久々のCMオーディション

が明日入りました。ちょっと扁桃腺が腫れて調子が良くないけど・・なんとかいいお顔で臨みたいです。
今日は雨だけど、ちょっと空気もしっとりして喉や肌に優しくしてくれてるみたい。
風邪撃退のため、なべ風おそばを作りました。まず昆布でだしをとり、長ネギとしいたけを刻んで入れます。めんつゆを少しと味噌と豆板醤としょうがをちょっとで味付けし卵を落として半熟に、そしてゆで麺投入。うどんやご飯でもうまいです。
昆布の水溶性繊維はカロリーの過剰摂取を抑えてくれるそうなので美容にもよいそうです。(あるあるより)
それにしても私のような仕事や生活には風邪ってほんとにコワイんですけど、ここ2年間週に3~4日歌う生活を続けてきてようやく、風邪でも扁桃腺腫れても熱があっても歌える自分を体験できたのはとても大きな支えになっています。
そういう強さが私にとってはとても必要だったんだと思う。
うん、何事も勉強だな。

神は証明を必要としない?

即ち神を試す必要はない。けれど私たち人間のほうはいつも神に試されているみたいな気がするもの・・・でも違うな。神を疑い試したいがために私たちは試されるような出来事に遭遇するのだ。遭遇したと感じるのだ。完全なる神の懐に抱かれている人にとってはそれは試練ですらないんだろうな。
私は今年の年頭にあたって浮かんだ抱負が「今年は天使さんんとお話したい」でした。私はかなり疑いぶか~い人間だけれども、天使の存在についてはすごーく納得がいっちゃってるので信じてるんです。ですからもういつだって、彼らに助けてもらったり願いをかなえてもらったり、彼らなしには私の生活は成り立たないくらいの家族のような存在なんです。
まるで一緒に生活してるかのように彼らのことが「わかる」んだけど、面と向かって彼らとお話したことがありません。彼らは慣れ親しんだ空気のような存在(まさに!)なので私が彼らのことを気に留めなければまるでいないかのようになりを潜めています。
ですから以前は困ったとき苦しいとき恐怖に曝された時にばかり彼らを頼っていましたが、彼らは文句も言わず私に付き合ってくれました。
そんな彼らとの付き合いが続くにつれ、私は彼らに心から感謝と親愛の情を抱くようになりました。今日一日、なにか心が満たされるような、他人との心のふれあいに出会えた時、人の掛け値ない優しさや深い気づきに出会えた時、私は心の声高らかに彼らに感謝を伝えます。なぜならそれは私が常日頃心底願い、そんな日々を送れることを切望し天にリクエストしていることだからです。
もちろんそのことを「天使抜きに」説明することもできます。人の思いやイマジネーションはそれを実現するエネルギーを持っています。心から抵抗なく同時に否定することなく願えばそれは実現します。ですが、人間には利己的な欲望というものが大いにある。利己的な欲望を無理にかなえてしまうとそこにはひずみが生まれます。利己的な欲望は物質の法則の中にあるので、どこかから奪ってこなくてはならなくなります。Aさんが豊かになるにはBさんが貧乏になるってことです。私はそういうのはあんまり嬉しくないので私の豊かさは無限の宇宙からいただきたいのです。
天使にお願いすると、その辺のフィルターをうまく使ってくれるように私は思います。あれもこれもとなってしまった時でも、本当にほしいものがとてもいいルートでやってくるように思います。同じ物での心のこもったやり方だったり、それを手に入れるために行ったことが自分の成長にとって役立ったり、自分の進化につながったりというように。
私は最近思うのですが、ニューエイジのせりふに「努力なしに」「がんばることなしに」できる、というのがあります。その意味をずっと考えたり試したりしてきました。私は今はこういうことじゃないかと思うのです。
それは「本当の自分を押さえつけたり殺してしまうことなしに、できる」ってことなんじゃないかしらって。
自分が本当になりたい自分になるための努力はすばらしく楽しいものです。
また、自分以外の人=他人の心を本当に思いやるということは深遠で一朝一夕にはできないことだと思います。けれどそういう自分でありたいと願うこころがありさえすればおのずとそれを学ぶに必要なできごとに出会うことができ、それを拒否することなく受け入れ乗り越えさえすればなりたい自分に「自然に」近づくことができます。
受け入れ乗り越えることは時に痛みや苦痛を伴うことが実際あるでしょう。でもそれは、本来の自分を押し殺し、無理やりに自分を曲げたり心を押しつぶしたりして「がんばる」「努力」とは違うはずです。魂は私たちの体の奥底で必ず喜んでいるはずです。
天使はこういうおはなしがきっとすきです。私たち人間が天使のことをささやき、心を輝かせときめかせているところに来ては祝福の「粉」をまきます。
その粉は地球をきらきらと輝かせます。私たちの笑顔と同じように。

伯母・麻生アヤのこと

以前KEEP MY BODY&SOULのコーナーに書いたことのある母方兄弟の長女である伯母が昨年11月23日に他界いたしました。享年69歳。
一昨年のその伯母の息子である劇団主催の従弟の結婚式で会ったのが元気な姿の最後でした。
亡くなってから改めて感じるのは、私がいかに伯母の影響を強く受けていたかということです。
伯母は才気煥発、博学、才媛・・あまりそばにいると、うざい存在でありました。
たとえば私が小学生の頃、山口百恵ちゃんの自伝なんぞ読んでいたらとてもばかにされたという記憶があります。
高校生で太宰を読んでいれば「今頃そんなの読んでるのか、もう卒業する時期だ」などと言われたものです。
それから伯母は美意識の大変高い人でした。高校生でひどく落ち込んで体調も優れなかった私が、今で言う摂食障害の状態になり太ってしまった時もかなり手厳しく非難されたことがありました。
私は精神的にもかなり不安定でつらい時期だったこともあり、ひどく傷つき心の中で反発も感じました。
けれどおおむねはいつも私をお姫様のように扱い、美人だ美人だと言ってくれ、何かしゃれたことを言ったりするととても大げさに褒め称えてもくれたりしました。
それから洋服やバッグやアクセサリーは3分の1くらいは伯母にもらったもので育ったようなものです。小学生の頃から伯母のお下がりを着ていました。
伯母は黒柳徹子さんのように一度ステージなどで来た服はもう着なかったりするので、しょっちゅうダンボールで宝の山が岡山から送られてきたものでした。
いったい何者だという感じになってきましたが、伯母の肩書きは私にもよくわからないくらいたくさんあります。
私が物心ついた頃にはフリーのアナウンサーをしていました。
岡山に遊びに行くとラジオから伯母の声が聞こえていたのを覚えています。
その七光りで従弟はコマーシャルに出ていました。
私はその頃超売れっ子の声優さんの娘でしたから、テレビからお父さんの声が聞こえない日はなかったものです。私だっていつか出られるだろうと心のどこかで思っていたように思います。
伯母はお化粧がとてもうまかったので小さかった私は魔法でも眺めるように伯母の化粧の手順をじっと見るのが好きでした。
けれど晩年の伯母は素肌がとてもきれいになったので(若いときよりうんときれいでした)とても薄化粧でした。
それから割烹やバーを経営していたこともありました。
バーには高校生のときにカウンターに立たせてもらったことがあります。
何もせずただ伯母のすることを見ていただけで面白かった。
厚揚げを煮たやつをちょこっと小皿に盛って出したりして。注文されなくても出すってところがなんか大人の世界でした。(笑)
司会者としてはとてもやり手というか先生と呼ばれる人で、お弟子さんも何人もいたようでした。
テレビせとうちのプロデューサーをしていた時もありました。
確か定年まで勤めたんじゃないかな。その後は倉敷の文化芸術振興財団にいて、日本の古典芸能や舞台芸術を後押しする仕事をしていたようです。
私が以前いた劇団プロジェクトMの座長の丸ちゃんこと丸尾聡と第三舞台の鴻上さんと3人で写ってる写真を伯母からじゃなくて誰かから(丸ちゃんだったかな~)もらって、へーおばちゃんこんなことやってるんだとびっくりしたこともあります。
でも正直その頃は、私も芝居の世界で七転八倒していたものだからあんまり同じフィールドには来てほしくなかったりもしましたね。
あと、その前に政治家として出馬したこともあります。えーっとどこまでしゃべっていいのかわからないけど、私は一度議員会館に連れて行ってもらったことがあります。「こういうところにはなかなかこれないだろう」と言って。そりゃそうです。確かその時有名な方にお会いしてお茶を飲んだと思うけど名前は忘れました。
それから2人で銀座でデートしたこともあります。確か帝国ホテルのティールームで待ち合わせをしたんです。そこでお茶して待ってるように言われて「待ち合わせっていうのはこういう所でするものよ」と言われました。
それから銀座をぷらぷら歩いていると、選挙の宣伝カー(?)が止まっていてその屋上で演説してる人が伯母を見つけ、マイク片手に「麻生さん!麻生さん!!」と叫んでいました。伯母は嬉しそうにちょっと恥ずかしそうに笑って「あらあら江田さん」と応えしばらく話をしていました。その人はそうです、江田さつきさんでした。
銀座では資生堂パーラーにも連れて行ってくれました。1杯千円くらいするコーヒーにびっくりしていると、「こんなことで驚いちゃだめよ、おしゃれってこういうこと」と諭されたりしました。
ある時ふと思いついて麻生アヤ、とネットで検索してみるとかなりたくさんの記事が出てきました。
ライフワークのように続けていたのが、お寺の境内の一角で行う野外の朗読劇の一人舞台でした。
残念ながら私は一度もそれを見ることがなかったのですが、写真を見るとそれは想像以上に美しい舞台でした。
こうして書いていると書き終わるのが怖くなってきました。書きはじけてしまったことを今ちょっと後悔しています。
伯母の話はまだしばらく続くということにさせていただきます。

世界は縮まっている♪

最近、出会う人たちとなんの予習もなしに地球のことや世界のことを話せることが多くなった。
地球のこと、と一言で言っちゃうけどこれはまぁ簡単に言えば地球の意思と私たちの意識の話だ。
このことは私にとって至福の歓びであり、長年探求してきたことの証明と実現ということでもある。
つまり、見えない世界も含めた世界の成り立ちやその仕組みや法則のことだ。
私は私が生きるにおいてより心地よい驚きと興奮に満ちた世界を夢見ている。
そのためには愛中心の世界に地軸を移行させなければならないと思っている。
その愛中心の世界を作るために、簡単に言えば探求・模索を続けているというわけだ。
それもこれも、私や私たちの家族や仲間やひいては地球に住む家族たちが幸せと歓びと感謝に満ち溢れ、命の賛歌を高らかに歌い、生きるとはこういうことなんだ!宇宙の生命たちよ、私たちに続け!愛の賛歌を響かせよう、というお手本にならんがためなわけで・・・
つまり地球人である私たちにはそんな可能性まで秘めているってことだ。
よくばりな私としては、そんな可能性を秘めている肉体に生まれたんだから、その行く末をこの目で見てみたいと思う。
最近TVCMで、私たち人間が想像できる未来は必ず実現できる、ってコピーが出てきたけど、とうとうTVでもそういうこと言う時代が来たんだなって、これも感無量です。
10年前には考えられなかったことだと思います。
まぁちょっと勢い込んで雑な文章になってしまいましたがお許しを。
ぴーす!

ただいま!!

たった今、渾身の日記を書き終わったところで誤って全部消してしまいました!なんてこった!!
というわけで、こんな復活ですがどうかみなさま、帰ってきたAZUをよろしくお願いします。
今年から日記と掲示板に楽天のブログを使います。
以前のIらんどの掲示板[TALK WITH US!]のどちらもオープンしています。
どうかみなさんこれまで以上にお気軽にどしどしメッセージをください。
みなさんはお元気にお過ごしですか?
私は心のほうはかなり健やかに過ごしています。
体のほうは相変わらず弱いというか敏感で、ちょっとの変化でもすぐ反応してバランスを崩します。
管理は大変ですね。今に始まったことじゃないので特に心配はありませんが・・。
さっき消してしまったお話は次回書くことにします。
書いてるうちに自分でハッピーになってしまうような(笑)内容だったんですが、またの機会に。
では、今年もよろしくお願いしますね~^^