中庸にいること

中庸がいい、なんて思えるようになったのはここ最近のことです。
もの心ついてからこのかた最低なことがあまりに多かったため
いつかこれが終わったら今度は最高が続いてほしいものだとずっと思っていたし
そうじゃなきゃこの世に生まれてきて甲斐がないじゃないかと思っていた。
けれど過去の心の傷があらゆる許しにより癒されてくるにつれ
これが本当の幸せというものなどだとわかってきた。
幸せであるための条件は、なにもありません。
からっぽのまま中庸に在るだけです。
からっぽで中庸に在るということはなすべきことがない、行くべきところがない
ここにあることが100%正しく完全であるということです。
中庸に在るとどんなことでも自由に感じることができ
どんなことも自由に選択することができ
次の瞬間そこに向かってまっすぐに進むことができ
それに対して恐れがありません。
楽しいことも嬉しいことも辛いことも悲しいことも自在に体験できます。
私たちが『いつもいい状態』=楽しい、好調な、笑顔の状態を求めている限り
中庸にはなれないのです。
そこには判断があり上下がありそれは2極だからです。
中庸でいる限り私たちは真の自由を体験する可能性を持っています。
このところとても心が充実していて風邪気味だということにも気づかなかった私ですが
今日になって調子よくないことに気づきました。
からだが重いと心もブルーになってきます。
仕事の帰り道に重たいからだとややふさぎ気味の心を引きずりながら歩きつつ
今日のお客さんとの会話を思いだしていました。
ただ私自身のことにつて訊かれたことに答えていただけなのですが、
べろべろに酔っていたお客さんが突然
「今僕はきみから元気をもらったんだ。そうだ、がんばればいいんだ。
これまでだってがんばってきたけど、周りからそれを認めてもらえず
文句ばかり言われていると自分の位置が見えなくなっちゃうんだよ。
それで自分はがんばれてないと思っちゃうんだ。
でも違うんだ。俺はがんばってる。みんながんばってる。
周りからどう言われたって、それに対して悩んでも何も変わらない。
明日から、俺ができることをがんばればいいんだよ。
さっきまで俺はぼろぼろだった。でも明日から生きていけそうだよ。ありがとう。」
全然調子のよくなかった自分なのにこんなに人から感謝されるようなことが起こるなんて・・
そう思ってからふと、もし自分が絶好調だったら
その人のそんな痛みになど気づかず、スルーしていたかもしれないなと思った。
世界にはたくさんの、愛と相反する現象が起こっている。
それにばかりフォーカスしていても世界は良くはならない。
愛にフォーカスして生きたい。
でも、だからといって幸運にばかりフォーカスする必要もないと思った。
この世には類は友の法則が働いている。
みんな幸運になりたがっている。
幸運にフォーカスして幸運を求めれば確かにそれは得られる。
でも、全部じゃなくていいんじゃないかな。
半分でもいいんじゃないかな。
半分は誰かのために。半分は悲しみの中にいる人のために。
半分はおなかがすいている人のために。
そして半分は悲しみおびえている私の中の半分の私のために。
そんなふうに思うと、自分にも他人にも世界にも、少し優しくなれるような気がする。
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“中庸にいること” への8件の返信

  1. 中庸でいるということも結構難しい気がします。
    私の会社で他人に向かって、よく毒をはく人がいて・・・その都度私も傷ついたりするけれど、その人の事をいつも私は「どうやってココロのバランスをとっているんだろう」と思う。
    「あ。やっちゃった」とか「わかってるんだけど言っちゃうのよね」とか、思わないのだろうか。それとも「あー言いたい事いってスッキリ!」って思っているのだろうかと。。。
    毒をはいてる自分(その人)は幸せなんだろうかと。。。
    (私も、もう40だというのに、うまく生きれてませんねwww)
    自分にとって幸せな瞬間はダイビングをしてる時。
    海の中で均衡を保って「浮遊する」のですが、うまく浮遊できている時は、身体の中も心の中もすこーーーーんと抜けて空っぽになります。無の境地。
    「この状態が日常でも続けば、すごくいいのに」と毎回思います。平和で、気持ちも穏やかになれる瞬間です。

  2. 心が自由であることが、どれほど素晴らしい宝物で
    あるかを常に意識していたいですね。中庸であれば
    全てを受け入れ、繋がることが可能になる・・・外
    の世界に対立するものがない・・・パラダイスです
    ね~。小鳥たちが朝起こしに来てくれるようになる
    かも・・・大変な時にこそ、人に優しく接すること
    で自分が癒されることってありますね。簡単ではな
    いですが・・・笑門来福で精進しまする。

  3. 無理なく、自然なかたちで中庸でいられるって素敵ですね(^_-)
    そうでありたいと思う自分と、まだまだ欲の塊だぞ~!!って自分がいるので、私には、まだまだ人生の修行が足りないんだろうなぁ…。
    AZUさんに癒された人も、素直にそんな事が言えるなんて素敵な人でしたね♪

  4. のだっちさん
    >中庸でいるということも結構難しい気がします。

    >私の会社で他人に向かって、よく毒をはく人がいて・・・その都度私も傷ついたりするけれど、その人の事をいつも私は「どうやってココロのバランスをとっているんだろう」と思う。
    >「あ。やっちゃった」とか「わかってるんだけど言っちゃうのよね」とか、思わないのだろうか。それとも「あー言いたい事いってスッキリ!」って思っているのだろうかと。。。
    >毒をはいてる自分(その人)は幸せなんだろうかと。。。
    >(私も、もう40だというのに、うまく生きれてませんねwww)

    >自分にとって幸せな瞬間はダイビングをしてる時。
    >海の中で均衡を保って「浮遊する」のですが、うまく浮遊できている時は、身体の中も心の中もすこーーーーんと抜けて空っぽになります。無の境地。
    >「この状態が日常でも続けば、すごくいいのに」と毎回思います。平和で、気持ちも穏やかになれる瞬間です。

  5. テッドHさん
    >心が自由であることが、どれほど素晴らしい宝物で
    >あるかを常に意識していたいですね。中庸であれば
    >全てを受け入れ、繋がることが可能になる・・・外
    >の世界に対立するものがない・・・パラダイスです
    >ね~。小鳥たちが朝起こしに来てくれるようになる
    >かも・・・大変な時にこそ、人に優しく接すること
    >で自分が癒されることってありますね。簡単ではな
    >いですが・・・笑門来福で精進しまする。

  6. うさぎさん
    >無理なく、自然なかたちで中庸でいられるって素敵ですね(^_-)
    >そうでありたいと思う自分と、まだまだ欲の塊だぞ~!!って自分がいるので、私には、まだまだ人生の修行が足りないんだろうなぁ…。
    >AZUさんに癒された人も、素直にそんな事が言えるなんて素敵な人でしたね♪

  7. 中庸って難しい。
    もしかしたら自分の調子が良いときは他人のことがわからなくなるのかもしれない。
    小生は好調時があまりない気がするので・・・
    ストレス発散にいつもゴルフ練習場へ行きます。
    心は優しくても言動が優しくない人も・・・
    内面はわかりません。

  8. じょに~ぜっぷさん
    >中庸って難しい。

    >もしかしたら自分の調子が良いときは他人のことがわからなくなるのかもしれない。
    >小生は好調時があまりない気がするので・・・
    >ストレス発散にいつもゴルフ練習場へ行きます。

    >心は優しくても言動が優しくない人も・・・
    >内面はわかりません。

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