飯を食う

時々、あれ?と思うことがある。
私の場合、音楽をやって、とか、ヒプノセラピストをやって・・とか女優さんで、とかいうと
好きなことやれて幸せだね、と言われたりする。
私は、あんたもやれよ、と思うだけだ。
例えばブログなんかでセラピストだったりアーティストだったりと名乗ってる人も
実はベーシックに会社員だったりしてそれプラスなんかを好きでやってる、
みたいな人が多いからなのかな。
生活のベースは別にあって、好きなことをやってるというのが普通なのかもしれない。
私は違うのです。
はっきり言ってそんな器用なことができるなら
とっくに別の仕事で成功してみせますわ!!
私は結構仕事熱心だし公共の利益に興味があるしくそまじめだし
だた、自分に合ったことじゃないと全くオーラが死んでしまうし、
すぐ具合悪くなっちゃうし、
頭がおかしくなってしまうというおそろしい欠点があるため
なんとか自分が呼吸できて、笑顔でいられる環境を捜し求めて二十数年、
ようやく自分の体質を知り、それになんとか呼応してくれる環境に身をおく努力をし続けた結果が
今のスタイルなんです。
歌う、演じる、心のケア。
これならなんとか自分も生きつつ飯が食える。
でも自分が壊れちゃうのとご飯が食べられないほど貧しいのだったら
壊れちゃうよりは空腹を我慢するほうがまだマシなんです。
だから、仕事が無い時はご飯をあまり食べませんでした。
自分が壊れちゃうと、それを修復するのにさらにお金や時間や迷惑がかかってしまうからです。
でもそうやって何とか自分を壊さないように気をつけて、あとはなんとかして
ご飯が食べたい!という一心でがんばったから
なんとか今があるのだと思っています。
そうやって手に入れた環境なので、今ここで一秒も無駄にせず大事にしたいと思えます。
よくスピリチュアルのチャネリングなんかに出て来るセリフで
「なんの努力もなしに」というのが出てくるので
私も随分いろいろ試して検証しました。
 
思うにあれは、自分を壊してしまうほうに努力してはいけない、
という意味なのではないかと思っています。
今の世の中は、世間体とか身の安全のために
自分を壊してまで保障のある仕事に就くとか
それで努力してるのに大変だ、とみな思っているので
宇宙人から見ると、そんな生き方をしても誰も喜ばないよ、と言いたいのではないでしょうか。
私の場合、子供のころから「私とは何者か」ということをずっと考えていたので
高校を出る頃には「私には女優が合ってるみたい」と気づいていました。
大学(玉川の演劇専攻)に入って演劇漬けになると
みるみる私は元気になり健康になり輝きました。
周りの人も一目置いてくださるようになりました。
でもなかなか演劇では飯が食えないと気づいたので
その他の事でもやらなきゃと思いました。
35歳になって、周りの人が「歌をやってみたら?舞台で歌ってきたんだし、できるよ。」
と言ってくれたので真剣にやってみたら、周りの人たちがどんどん応援してくれました。
生活は相変わらず苦しかったけど
家賃だけは何があっても滞納しないと心に決めてがんばりました。
周りには風呂ナシの激安の部屋に住んでいる人もいましたが
私の場合、お風呂だけは必要だったのでそこが最低ラインでした。
またその頃には、あなた、セラピスト絶対にできるからやってごらんよと誘ってくれた友達がいて
その時も全然お金が無くて本当にお腹がすいて心細かったけど
半年ほど仕事を減らし、自力で勉強してヒプノセラピストになると
クライアントさんもたくさん来てくれて
一年間に800回以上のセッションをすることができました。
その一年が終わる頃には私は歌の勉強と腕試しのためにNYへ行きたいと思っていました。
その時も、銀座で演奏を聴かせるクラブとセラピーの二本立て
生活は安定していましたが、まだ私の内面が不安定でした。
池袋で毎週JAZZのライブをしていましたが、そこはギャラがありませんでした。
でも昼間ピアニストと2人思い切り練習ができたので、
本当についていました。
そんなことをしていると、ある紳士が私に、NYへ行っておいでと言って投資してくれました。
いっときますが本当に純粋な投資です。みかえりはナシでした。
今思うと良くぞそんなことがと思いますが
当時はそうなるように「意図」していましたので
「ああよかった、できた~」という感じでした。
そうです、これぞスピリチュアルの王道です。
意図は現実化するってことです。
好きなことをやって生きると言うのは
私にとっては生きる、ということと同義語だし
(例えば私の弟は、サラリーマンになろうとして心の病気になってしまって
いまだに社会復帰できません。本人はとても働きたいと思っていますができないのです。
妹含めて私たち兄弟はとても似ています。繊細で異常に傷つきやすく特異な才能があります。)
私ほど極端でないにしても、人はみな健康で魂が健やかでいるためには
自分の道を歩むことが最低必須条件だと思います。
それがどんな職業だっていいし、趣味だっていいのかもしれませんが
みんなが「この生き方は自分で選んで実現したんだ!」という思いで生きられると
世界はものすごくハッピーになるだろうと想像します。
スピリチュアルの極意は、「あらゆることに責任を持つこと」です。
究極的には、地球の反対側で起こっていることにさえ、です。
その向こうには「自由」があります。
自由とは、無限の選択肢を手に取り
そして、自分で選ぶ、ということです。
[上の写真は沖縄・久高島を臨む]

“飯を食う” への4件の返信

  1. 好きなことをする。そしてやり続けるということは素晴らしいことですね。僕の場合も好きなことをする。好きなことしかしないと決めていたはずなのに、いつのまにかそうでないこともしているような気がします。
    いえ、好きなことしか仕事にしなかったのですけど、その仕事にした好きなことがいつのまにかそれほど好きでなくなったということがいくつかあるんですよ。
    そんなときどうしたらいいものか、近頃そんなことを考える日が多くなっています。食べていける、生活が出来るというあたりを基準にすれば、もっとすっきりとした選択が出来るようにも感じているのですけど、僕の場合は今、自分の思いだけでは選択を出来ないような立場にいるので、それでまだしばらくは悶々とした日々が続くような気がします。
    あまりにもたくさんの余計なものを抱えてしまうと、人生というのはまた不自由ですね。そんな自分が嫌で仕方ないので、この1~2年でなんとか面倒なものはすべて整理してしまって、自分を解放してやろうと思っています。

  2. 実際、好きなことだろうと何だろうと
    仕事は奉仕ですから
    思うようにならないことだらけです。
    9割は憂鬱なことが多いです。
    しもの世話なんて誰もしたくないだろうけど
    愛する人のためだったら喜んでします、みたいなもんだと思います。
    私の場合、荷物を軽くすることから人生を始めなくてはならなかったので
    そっちは得意です。
    でも豊かさというものももちろん体験したい。
    私は大金持ちになったら
    本格的な芸術学校とか完璧なゴミ処理場とかを作りたいと
    昔から思ってます。
    あと、原発もなくしたい。
    戦争なくしたいのはもっともだけど・・・
    政治ではなくなんかの方法で・・
    私のお金じゃなくても、えらい人たちを動かして
    それくらいのことができるような発言力と言うものを持つというのが究極の目標です。
    肝心な時に大事なことが言えて、
    信用してもらえるような人間でいるため
    日々努力しています。

  3. 典型的な求道者の行き方ですね。ご家族はいらっしゃるけど、道を中心に進んでいるということがよくわかります。
    そこまで煮詰まっていないと、20代の早々からなかなかそのような生き方はできないものです。
    今の時代はとりあえず、仕事をしながらでないと冥想できないもんね。
    それと、そんな生活ができるということにも、運はあるとおもいます。

  4. 湖 南さん
    >典型的な求道者の行き方ですね。ご家族はいらっしゃるけど、道を中心に進んでいるということがよくわかります。

    >そこまで煮詰まっていないと、20代の早々からなかなかそのような生き方はできないものです。
    >今の時代はとりあえず、仕事をしながらでないと冥想できないもんね。
    >それと、そんな生活ができるということにも、運はあるとおもいます。

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