舞妓はぁぁぁぁん!

クリスマス・イブの夜に家でDVDみました。
私は、阿部サダヲさんが大好き!なので
そりゃもう楽しみにしてましたが、
期待以上におもしろかったぁ~☆☆☆ ☆みっつで~す。
それにしても、阿部さん、どこまでまっすぐなんだろう。
ほんと、さいこう。
だってあんなにおばかでへんたいな役なのに
いやみのかけらも不潔さも、何処にもないんだもの。
あれはもう、阿部さんの中身に、そういうものが存在してないんだと思う。
クリアでクレバー。的確で繊細でパワフル。絶賛。
たまぁにちょっとだけ、西田敏之さんのような匂いがした。
私、常々、日本の男優さんで一番うまいのは西田さんじゃないかな・・と思っているのですが
ちょっと同じ匂いを垣間見て嬉しかった。
あったかさ、とか、懐の深さでは、西田さんは圧倒しますが・・・
二枚目のハートを持ちながらコメディという芸を持つすばらしい役者さんだなぁと思います。
かっこよさ、というのは、足の長さとか、目鼻の形とか造作とかではないんだよなぁ。
足の長い俳優さんも、もっとがんばってかっこよくなってください。(笑)

本当に昔は良かったのか

よく、世の中はどんどんおかしくなってきている、という話しを聞く。
凶悪犯罪は増え、地球は荒れすさみ、もう手遅れだ、自分だけ守るしかない、みたいな。
私がそういう感覚を味わったのは、世間がまだバブルでうはうはしている時代だった。
そのころ私は芝居をやっていて、貧困で、今よりずっとあらゆることに不安だった。
だけど、芝居の中には、なにものにも代えがたい体験が詰まっていた。
それは、一言で言うなら、魂(意識)の進化だった。
一本の芝居の中で恐ろしいほど多くの気づきがあった。
まるで、そう、ひとつの人生を体験してしまったかのような
その人生をさらに、宇宙から眺めているような
芝居を真剣にやっていると
それくらいの、重みがあった。
だけどそのころの日本は、スキーにテニス、リゾート天国で
みんなお金があって、仕事もバイトもいくらでもあって
私たちがろくに食べずに芝居なんぞに現を抜かしていることがバカに見えただろうと思う。
「なんでそんなことやってんの?」自ら貧乏くじをひいてバカみたいと
よく言われたし
アパートを借りるのも、お金を借りるのも、どこで何をするのも
本当に不自由だった。
私は、このままじゃ、世界はだめになちゃうだろうと思い
そういう内容の芝居を作った。
新聞や雑誌にもたくさん宣伝をして
おとなの観客をたくさん入れた。
結果、30代後半のおとなたちはものすごく怒った。
エンターティメントごときが何をほざく、見てやってるんだからちゃんとサービスしろ
笑わせろ、楽しませろ、というような感じだった。
内容はものすごく詰まってて見せ物としての要素も多かったが
世の中が「便利さ」に現を抜かして「心」や、自分の感性というものを失っていく結果
本当の危機がやってきても人々は自分で何とかしようとすることを忘れてしまう。そして・・
という内容だったので、バブル崩壊の影が迫る中、
おとなは不安を感じて怒ったんじゃないかな。
今だったらみんなもうちょっとわかるような気がする。私も、ほらね、と思う。
私、23歳の作だった。早すぎた。
でも、今は、みんな、もしかして、ものより心が大事なんじゃないかな、くらいのことが
わかってきてるんじゃないかな。
心が本当に満足することをやるのが幸せなんじゃないか、とか。
そして!この間あるデータを見て私は心から、ほらね!と思ったのだ。
それは、昭和30年代と現代の、凶悪犯罪率、交通事故死亡率、エンゲル係数を比較していて
エンゲル係数と交通事故が明らかに減っているのは想像に難くないが
凶悪犯罪も4割減だとあった。(交通事故もそのくらい)
「3丁目の夕日」のこころ温まる時代よりも4割少ないということだ。
どうですか?私は、そうだろう!と思う。
昔を思うと、命とか尊厳に対して今よりも意識が薄く、雑だったなと私は感じる。
それくらいはしょうがない、とか、目をつぶれということがものすごく多かった。
心の傷だ?おまんまが食えるだけありがたいと思え!みたいな感じがあった。
世の中の空気に。
それはやはり戦後、人の命がゴミのように扱われた大きな傷から立ち上がり
ようやくご飯が食べられるようになり
世界からバカにされない日本になろうというがんばりがあり
世界一金持ちの国にのし上がった日本というおいたちがあるからだと思う。
私のだんなさんの世代はバブルさえ素通りして
もう世の中が何を目指してるのかさえはっきりしない時代に育ってるけど
でも、だからこそ、最高を目指せばいいだろう、それを探すのは
きみなんだよ!
誰かに感動させてもらうのを待っていても
生きがいを与えられるのを待っていても
ただ年をとってしまうだけだ。
もし地球が100人の村だったら
私たち日本人は、とんでもない地球のブルジョアなんだよ。
その私たちがいつまでもこころが貧しくて
困ってる人を助けられなくて
自分のことで精一杯で
何をやってもいくらやっても満足できなくて・・・
なんて、絶対ウソなんだ。
私は、世界の人すべてがしあわせでなければ、結局自分もしあわせではないし
いいことがあってもまた苦難がくるだろうと思う。
なぜなら私たちは、大きなひとつの中の一部だから。
大きなひとつの中でいくらいい思いをしても、反対の側面が必ずバランスをとるからだ。
宮沢賢治も言った。
すべての人がしあわせでない限り個人のしあわせはありえない、と。
それは真理だと思う。そう思ってきたけれど
昨日私は、改めて、本当に、これは、100%、そうだ、と、実感した。
最後の一人までが、地球で最後の一人までが、しあわせでなければ
絶対に私の自由なんて、私の、完成なんて、私の次元上昇なんて、ないんだって。
昨日、ソマリアの17歳の女の子が、
「生まれてからこれまで、嫌なことばかりだったわ」と言った。
生まれてからこれまで、嫌なことばかりだったんだろうな、と、私は思った。
17歳の女の子にそんなこと思わせてはいけないんだ、と私は思う。
日本は、今のところ、愛する人を兵隊にとられて、国家とかいう名前の
なんだかわからない組織のために合法的に殺されたり
軍事予算のために、とか、内戦のために、いつも飢えてたりしなくて済むし
いくらでも勉強できるし、
その気になれば、正しい情報が手に入りやすい環境だ。
(でも、入ってくるものが公正とは限らないのだ、もちろん)
本気で求めれば、しあわせ、とか、たいせつなこと、とか
いかに生きるかということについて熟考し
そして、選ぶことができるフィールドにいる。
一応、個人の尊厳が尊重されている。
だから、私たちはものすごいチャンスを持っている。
それは、本当にこころから震えるような、生きがいを生きるチャンスだ。
それが何処にあるのか、
もう、ヒントは世の中にあふれている。
みつけようとすればいくらでも見つけられる。
見つけようと、してみるかどうかだけだ。
私は、天からこう教えられた。
生活も仕事もお金も社会的地位もすべてが崩壊している時に
こう教えられた。
「まず、魂の理想を生きるのだ、と決めることです」
それを決めた瞬間から、宇宙はそのように動き始めるのです、と。
その前提なしに、宇宙の法則を利用して生きようとしても
多分何もお得なことは得られないでしょう。
なぜならそれは、本質的に宇宙と調和していないからです。
魂の理想がなんのかわからなくてもいいのです。
それを必死で想像するうちだんだん掴めてきます。
魂の理想を生きるということは
宇宙の生命を生きることであり
肉体を持つ創造主として表現することです。
そのように生きれば、必然、宇宙の法則が適用されます。
自分の生き方をおいといて、都合のいいところだけを当てはめることはできません。
というか、現状が、法則の結果となっています。
そんなことを・・・はぁ・・・・
思ったこのごろでした。
では、また^^

はっぴぃ くりすます☆


イブはいかがでしたか?
私は夫婦で始めてのクリスマスをとてもしあわせに過ごしました。
世界中の人がしあわせなクリスマスを過ごせるといいなぁ・・・
と思いました。
そんな世界になりますように。
辛い時も寂しいときも悲しい時も
世界への信頼がありますように。
そうであればきっと大丈夫。
また必ず嬉しい明日が来ます。

みみ

ちょっと耳の調子が悪くて耳鼻咽喉科に行ってきました。
何年かに一度くらい、子供のころから調子悪くなります。
昨日は、外耳炎と内耳炎両方、と言われました。
鍼灸師の夫に伝えると、耳は腎と繋がっているということ。
そういえば足先がこのところ冷えて
お腹がちょっと重たくて
と、気になるところを伝えて行くと
腎で脾をあっためるところが腎が弱って脾をあっためられない・・云々。
なので弱ってるところを補ってあげるような鍼とお灸で
背中のこわばりもとれ、お腹の調子も良くなり
むくみもすっきり、
つまり、健康になるということは
見た目がきれいになるということなのです。
エステもいいけど
鍼灸は体質を改善しながら弱いところを元気にして
結果、きれいがついてくるから
自己管理のツールとしてとてもお勧めです。
からだに意識を持ってる人は、鍼灸で自己管理してる人がとても多いですよ。
私は風邪も頭痛も鍼で治してもらいます。
それは夫と出会う前からそうしていました。
ここ数年では咽喉が強くなったと実感しています。
以前はしょっちゅう扁桃腺を腫らせて泣いていましたが
ほとんどそういうことがなくなりましたょ。
鍼というと肩こりに、さす、ものだと思っている方が多いようだけど
肩こりだって、何処が原因で症状が出ているか
それぞれです。
体質と原因から鑑みて全体を調整していく治療法、
私にはありがたいツールです。

パワーアップライブinサンク


告知が遅くなってしまいましたが
先週と今週の金曜は
サンクでのAZUパワーアップとして
ゲストピアニストとのコラボでライブをお届けしています。
ゲストはヴォーカリストでピアニストの吉澤美砂子さん。
いつもとふた味くらい違った私をお楽しみいただけるかと思います。
サンクでは、来年からも新しい企画を練っております。
銀座というと敷居の高い感じをお持ちかもしれませんが
実際はとてもお得なサービスがたくさんあるし
お食事もとてもしっかりおいしく召し上がっていただけます。
どうぞ、古き良き香漂う銀座のバーにいらしてくださいね。

アキバ系ライブを体験♪

昨日は教え子ちゃんたちのライブを見て、その後忘年会でした。
ライブのタイトルはまさしくMOEMOTIONですゎ^^
このレッスンを始めるまでは
私の伝えることが、果たして彼女たちの現場にどれほど役に立てるのだろうかと
いろいろ考えましたが・・
レッスンが進むうちに、毎回毎回実感できます。
根源はひとつなのだと。
私がいつも繰り返し言う言葉を彼女たちも自分のものにしてくれてるんだということが
彼女たちの姿からひしひし感じられます。
根底がしっかりしていれば応用できる。
どんな表現でもそこに立ち返れば大丈夫、ですよね!と。
自分を知る。
本当の自分を大事にする。
相手の心を感じる。
自分の真ん中で受け止め
丁寧に相手に投げ返す。
役を演じるということは
同じように役の人格に敬意を払うこと。
リチャード・ドレイファスがインタビューで言っていた。
役者は自分の理想を演じるんだ、と。
本当にそうだ、と思う。
私は歌を歌っている。
私は、歌が好きで好きでそれが仕事になっちゃったわけではない。
最初から、仕事にしたいと思って歌い始めた。
それはどんな感じかというと
理想のプロのシンガーをステージで演じたい、という感じなのだ。
私は演じることがとことん好きだと思う。
いつも言うことだけど、
演じるということは
自分の中に、神の視線を常に持つ、ということなのだ。
すべての人はどこかで演じている。無意識なことが多いだろう。
それをことごとく意識化していく。
意識上で、意図的に演じる。
実はそれは、スピリチュアルでいう、目覚めて生きるということと似ている。
演じるというと誤解されるが
演じることを意識すればするほど
己の仮面は剥ぎ取られ
真の自分が浮き彫りになるものだ。
つまり自分にウソがつけなくなっていくのだ。
私は彼女たちに、存分に生きてほしいと願う。
存分に生きて、ステージやカメラの前でもっとも輝けるのなら
あなたはプロの表現者だ、と、私は思う。
一緒に、がんばろうね。

魂の美しい人

すてきな人、と感じる時
こんな形容を使うことがある。
それをなんて説明すればいいんだろうとふと思った。
私の感じる、魂の美しい人。
純粋、だけどそれだけじゃない。
もっとしたたかな美しさも含む。
主体性だけじゃなく客観性の目を持つ。
清濁併せ呑める許容性という大きな器の匂いも含む。
いろいろ考えて、あっ、これかな、と思ったのが
宇宙という視野で生きている人、かなと。
宇宙という視野で生きると
人間は謙虚にならずにはおれない。
他人と自分とを同等に扱える。
謙虚、というとやたらと自分を他人より下において考える人がいるけれど
それはそれで自分視線でしかものを見ていないのではないかと思う。
自分も、周りの人も、等しく大いなるものから与えられた存在。
等しく美点も欠点のあるもの。
私、を、私物とみなさず
私、も、天から預かった尊い存在。
そうすると、私の中の神性と出会いやすくなるのではないでしょうか。
自分を良くしよう、とか、
自分がよくなるんだ、とかではなく
私自身が天から授かった尊いものとして
存分に神性を発揮できるべく生きるには
わたしはどう選択しどう生きればいいのか
という風に思うと
当然わたしは私を尊ぶことができますし
わたしの中の神に背くような生き方はなるべくしたくないと思うものです。