エネルギーとワーク

宇宙にあまねく偏在するエネルギーと言われているレイキ。
そのエネルギーを人の体、掌を通して伝えるのが
レイキのヒーリングと言われています。
私のエネルギーとの出会いは、玉川大学の演劇専攻に通っていたころでした。
玉川の演劇は、実技の授業が盛んです。
演技の基礎の基礎、からだとこころの根源の部分から再生を叩き込まれます。
そこで学んだことは、今ではスピリチュアルと言われている分野そのものでした。
まず、1年生には身体表現という90分の授業が8コマあります。
日舞、声楽、リトミック、そして石塚身表(いしづかシンピョウ)とわかれていて
このリトミックといしづかシンピョウはまさにスピリチュアルのワークに繋がるものです。
私はこのリトミックとここで再会した時運命を感じました。
今では結構あちこちで幼児教育のおけいこ事として見かけますが
当時は教えられる先生もほとんどいなかったはずです。
ところが私は幼稚園の時にこのリトミック教育を徹底的に受けていました。
狛江のみずほ幼稚園というごく普通の幼稚園でしたが
当時の園長先生がリトミックの指導者だったのです。
余談ですが私は幼稚園を2つ受験しました。
母いわく幼いとき神童のようであった私はもちろんどちらも合格し
そのうちの英才教育にちからをそそいでいたいずみ幼稚園の園長先生から
ぜひうちに入園してほしいと直々に言われたようです。
特待生扱いのような感じでしょうか。
私の母は宇宙人的な私たちきょうだいを育てるにはもってこいの人で
当時から私たち子供を独立した一人格として尊重してくれました。
「あなたたちはお母さんの分身でも付属品でもないの。
一人の人間なのよ。」と
もの心ついたときから言い聞かされて育ちました。
それで、人生初の人生の岐路に立った私に
母は、いずみ幼稚園の園長先生はこう言ってると説明した上で
「だけど、みおちゃんがいいと思う方を、自分で選んでいいのよ。」
と、私自身に選ばせてくれたのです。
私は、みずほ幼稚園の広々として平和でのどかな構えと
面談した園長先生の上品で穏やかな雰囲気を気に入っていました。
私を尊重してくれ、問いかける、という態度です。
一方いずみ幼稚園の先生は明らかにこちらを審査する、という態度でした。
「あなた、これ、わかる?できるの?」という感じ。
私はそういう、上から押し付けられる態度を好みませんでした。
それで私は、みずほ幼稚園を選んだのです。
リトミックの定義はここではふれませんが
要はこころと音楽を使って体で表現することをしていました。
手は3拍子、足は4拍子で歩く、とか
死んだ小鳥を埋めてあげるエチュード・・・とか。
時には「活元」と言われる、自然治癒を促す野口整体の手法で
ある呼吸法と動きを用いると自然と体が動いて
エネルギー経路の歪みを取る・・・などを行ったりもしました。
まさにヒーリングの世界です。
また、いしづかシンピョウは野口体操を学ぶ授業でした。
これは野口整体とは別のものですが
体を徹底的に哲学し、実際にその哲学をからだで体現する、といったものです。
この野口体操は、根底から私を覆し救ってくれました。
私の父は元々新劇の俳優ですが、
父も劇団でこの野口体操のメソッドをやっていました。
父もそのすばらしさを知っていたので
この(玉川の)カリキュラムは本物だ、とうなづいていたのを覚えています。
野口体操は例えば、死体のエチュード、なんてことから始まります。
さあ、死体の演技をしてごらん、と先生が言います。
何も知らない1年生が床に倒れます。
息を止めて死んだフリしますが、なんだかリアリティーがありません。
ただの死体なはずなのに。
でも確かに私たちは生きてるわけですから
内臓は動いてるし、細胞は新陳代謝し、オーラは輝いてるはずです。
では、死体になる、とはどういうことなのでしょう?
というところからレッスンが始まるわけです。
私たちの体は皮の袋に入った水のようなもの。
それをざまざまなカタチに維持しているのは
私たちの想念である。
ですから私たちは、想念という思い込みを変えれば
別のカタチに変化するのだ、というわけです。
それには死体みたいな「まね」をするのではなく
死体という状況をありのままに見て再現することだ・・・
そして1年生のうちにわたしたち30人のクラスメイトは
忍者のように壁におなかをぴたっとつけた逆立ちをしたり
(半数以上が、補助の逆立ちすらできなかったというのに!)
テーブルをすいっと飛び越えてしまったり
塀を音もなく乗り越えたり
ぐにゃぐにゃの生き物になってはいづり回ったりが
一瞬にしてできる集団になりました。
実際に、人はイメージを変えるだけで
別人になれるという体験を重ねました。
イメージを変えるには、呼吸がポイントだということもわかりました。
私が学内で最初に参加した演劇集団は、超能力劇団でした。
今思えば、メンバー全員がそのような教育と訓練を受けた集団だったので
「そう思えばできる」のは当たり前だったのです。
芝居の稽古では、人を人差し指だけで飛ばしたりして遊んでいました。
一番体重が重い人をみんなで囲んで、気を集めます。
両手の人差し指を合わせ、しゃがんだデブさんの脇とか膝とかに差し込んで
いちにのさんで上に飛ばすのです。
デブさんは私たちの頭上高く飛んでいきました。
稽古場には5円玉を糸につけて柱にぶらさげていて
手をかざすとその5円玉が押されて動いたり
調子がいいとグルグル回ったりするのを見て
自分の調子を測ったりしていました。
そしてスプーン曲げも流行りました。
学校のロビーで稽古の合間にみんなで曲げて遊びました。
私も何本も曲げて、もうこれは普通のことなんだと飽きるまでやっていました。
しまいには学校中で手と手をかざしあって気の交流をするようになっていました。
気は、いとも簡単に感じることができましたし
それがどのように行き来しているのかもわかりました。
そうやって会話するように気を流して遊んでいました。
また、芝居の稽古はかなり過酷なので
いくら正しいからだの使い方に気をつけても故障があります。
そんな時は誰かが気で治してくれました。
私は大学の最初の頃はものすごい恐怖症のかたまりで
疲れもひどく、ひどい頭痛もちで
一度頭痛が来るとバファリン以外誰も救えない状態でした。
けれどある日私が頭痛で吐いたりしていると
先輩が背中に手を当ててくれ
あっという間に治ってしまったのです。
なぜ、演劇の訓練にそんなことが役立つのでしょう。
一つは、演技、ということは人を生きることだから。
人にはそれだけのエネルギーが詰っています。
というか人を追及すればそれはエネルギーそのものであるということです。
死体一つ演じるのにもウソはすぐばれます。
深い洞察と訓練が必要なのです。本物であるためには。
それから、演劇とは、あらゆるエネルギーの対立を描いたものであり
目に見えないものを構築する作業であるということ。
そして最終的にそれを作品として成立させるには
観客の存在が不可欠であり
演劇とは、戯曲でも俳優でも演出家でもなく
作り手と観客との間に起こるエネルギーのやりとりなのだということです。
玉川での演劇生活は私にとって宇宙に帰ってきた!という感覚でした。
大地と天と私、という感覚です。愛ですね。
演じるとは私にとってはそういうものです。
意識、とか、スピリットといった概念と出会ったのが27歳でしたが
それからは、入ってくる概念がなんでも
「あれのことか~」という感じで繋がりました。
先に体験や自分の内側での検証があったので
ほとんどわからないことがありませんでした。
今世での体験だけではなく、それ以前のものも、
ただ思い出せばいいのだということがわかりました。
さて、冒頭のレイキに戻りますが
レイキは、スピリチュアルのなかでも
わりと最初に普及したものです。
私も早くに出会いましたが
当時は玉川超能力劇団ですごい体験をいっぱいしていたので
今さら、という感じしかしませんでした。正直な話。
実際、周囲の人をハンドパワーで癒すことは普通でしたし
それで充分使えたからです。
今はどうかというと
もう、当時とは比べ物にならないほど
私自身の浄化や覚醒が進んでいるし
地球も世界も人々の意識の格段に進化しています。
私は毎日のようにアークエンジェルス・ヒーリングやクンダリーニレイキを使って
ヒーリングをしていて
実際にものすごく使えます。
私の家族や親しい人も目覚しい恩恵を受けています。
全自動ホームベーカリーで、
無添加の愛がいっぱいのおいしいパンを焼くような感じです。
誰かがあみ出した詳細なレシピとテクニックを
ホームベーカリーに再現したみたいな感じ。
毎日パンをこねる作業から解放され、
次のステージの探求にかかれます。
そうです。次のステージに行くのです。
作業を手放して。

“エネルギーとワーク” への2件の返信

  1. ものすごく興味深く読ませていただきました。
    ピナ・バウシュの舞踏などに感じるエネルギーのうねりは
    まさにそのような感覚でした。相互作用しつつ場が立ち上がるというか。
    演じる人への賛嘆とともに、われわれもそれぞれ演者なのだということを
    深く思います。
    もう、エネルギーに無意識下で都度影響されて
    ガチコンゴツンとなり続けるんじゃなく、
    それを使っていくというか動かしていく時なんですね。
    > そうです。次のステージに行くのです。
    > 作業を手放して。
    うう。ワクワクします。

  2. ショージさん
    >ものすごく興味深く読ませていただきました。
    >ピナ・バウシュの舞踏などに感じるエネルギーのうねりは
    >まさにそのような感覚でした。相互作用しつつ場が立ち上がるというか。
    >演じる人への賛嘆とともに、われわれもそれぞれ演者なのだということを
    >深く思います。

    >もう、エネルギーに無意識下で都度影響されて
    >ガチコンゴツンとなり続けるんじゃなく、
    >それを使っていくというか動かしていく時なんですね。

    >> そうです。次のステージに行くのです。
    >> 作業を手放して。

    >うう。ワクワクします。

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