生命の贈り物

CAHSZY7E.jpg
妹は最近彫り物を始めています。これは版画の菩薩。
もう10年以上前のことですが、あるカウンセラーの方から勧められて
生命の贈り物という本の一部をいただきました。
この本のメインは祈りの言葉で、残りはこの祈りの言葉集がどのようにしてできたのか、
どのような結果を生んだかの実例、そして訳者の言葉がありますが
いただいたのは祈りの言葉の部分だけをコピーしてくださったものでした。
私はその頃、同じようなテーマや志向のある友達といつも一緒に行動したり
一緒にセラピーを受けたりしていたので
友達グループにもその祈りの言葉集はいきわたりました。
この祈りの言葉は一見クリスチャンの祈りにも似ており
主、という言葉が使われていますが
宗教に関係なく、声に出して唱えることで一定の波動を確立し
カルマの結び目を解き解放してくれるというもので
難病や不治と言われている病や依存症などを完治する力があるとあります。
紹介してくれたカウンセラーの方も
すべてのカルマの解消になるからやってみて、ということでくださいました。
祈りの言葉はこんな感じで始まります。
「私は今日の日を祝福します。そして、私の生命のために感謝します。
私を傷つけた人々をすべて、完全にゆるします。(3回繰り返す)
私が傷つけた人々すべてに、
どうぞゆるしてくださるようにとお願いします。(3回繰り返す)・・・・・」
そしてゆるしの祈りから始まって、自分自身の癒しの祈り、世代間にわたるゆるしの祈りなど
9つの祈りがあります。
私はその頃、すでに様々な取り組みをしていましたが、
内面は荒れ放題に荒れて、恐怖や痛み、悲しみ、苦しみ、寂しさなどに常にさいなまれていて
こういった苦しみを終わらせるには死以外有効に感じられず
暇さえあると死にたいな~と考えていました。
もちろん思いの奥深くには、自分はこんな思いに追われるためにいるのではないし
まだ私のみつけていない、人生を開く扉があるはずだと感じていましたが
そんなのは戯言に過ぎないという声のほうが遥かに切実で圧倒的でした。
そんなさなかですからそれは真剣に祈りを唱えました。
漠然とでしたが、私を救うのはこういった目に見えない内面的な何かだということは
わかっていましたし
そういった取り組みはそれまでにも人生を度々大きく変えてはくれていたのです。
ですから外面的には私はとても明るくパワフルで活動的で活き活きとして見えたはずです。
ところが、この祈りを唱えると悲しみや怒りや
痛めつけられ押さえつけられた苦しみが噴出してきて
どうにもならないほど辛いのです。
私は周囲の友達に尋ねてみましたが、数人の友達も近いことを言っていました。
最低1~2ヶ月は毎日すべてを唱えるとあったので
拷問を受けるような思いで毎日唱えました。
多分2ヶ月くらいはがんばったと思うのですが、一向に楽にならず
習慣といして定着しないまま挫折しました。
その頃の私は、すべてをゆるす準備はできていませんでした。
あまりに深いカルマの応酬をまともに喰らっていたし
カルマやこの世の仕組みがわかっていませんでした。
先日、神の使者のことに触れましたが、
この本を読んでいるうちに、生命の贈り物のことを思い出しました。
そしてもう一度手にとってみたくなりました。
以前はプリントだったのでわかりませんでしたが
訳者は大内博さん(玉川大学の教授でA Course in Miraclesを基にした
ワークショップなどもしている方)で、見事にその関連について触れられていました。
そして思い返してみるとこれまでのすべての道が
整然としていることに気づきました。
生命の贈り物を唱えましたがとても穏やかな気持ちでした。
ところが、翌日から思い出すとひやっとするような出来事が再浮上したり
自分が激怒している場面(いかにも私がそうしそうなシチュエーションで)が
夢に出てきたりといったことが起こり始めました。
赦しを実践するには絶好の機会です。
夢の中ではおもしろいことに、激怒の次の瞬間に、私は夢の中でも赦しました。
翌朝の気分はもちろん良く、以前のように動揺したり嫌な気分を引きずったりすることは
自分の人生から消えつつあるようです。
まだまだ書きたいことは山のようにあるのですが今日はこの辺で。
生命の贈り物
神の使者

“生命の贈り物” への2件の返信

  1. 妹さんの彫り版みごとです。
    「他人を赦し、自分の過ちの許しを請う」言うは安く行なうは至難の技です。年を執ってもその境地には至りません。小さなことでもいいから会得したいものです。

  2. 270さん
    >妹さんの彫り版みごとです。
    ありがとうございます^^妹も母もブログといただくコメントをたのしみにしているようなので、喜んでいると思います。
    >「他人を赦し、自分の過ちの許しを請う」言うは安く行なうは至難の技です。年を執ってもその境地には至りません。小さなことでもいいから会得したいものです。
    この小さな取り組みをすることで、莫大な変化があるそうです。すぐには目に見えないかもしれませんが。
    こつこつやっていきたいと思っています。

コメントを残す