誤解を解くために

ここ数日、催眠療法についての共通するご質問をいただくので
忘れないうちに少し書いておこうと思う。
お問い合わせで多いのは、こういう症状が治りますか?(効きますか?)
家族に受けさせたいのですが(こういった症状は)治りますか?
というような内容です。
催眠療法は医療行為ではないので
こういう症状が治ると言ってしまうと違法になります。
でも、催眠の仕組みをご理解いただけば
だったら自分のこういう問題に何かしらの働きがありそう、とか
原因に関係がありそう、という風にわかっていただけるのではないかと思うのです。
だから私は仕組み、ということをお話させていただきたいのです。
仕組みを知るということは
症状を消す、ということより時には一生の宝になると思うからです。
癒しには仕組みがあります。
その仕組みは宇宙とか神とか真理と呼ばれるものの理なのです。
ですから例外はなく働きます。
ですがもちろんいつでもどんな場合でも私とお客さまとに
100%働くかどうか絶対とは言えません。
私が行うことは原理に対して限りなく忠実にすべきことをするだけです。
その結果起こることは正直言って人知を超える(少なくとも理性を超える)ことです。
ですから毎回そこには奇跡があります。
奇跡というと神頼み的に聞こえるかもしれませんが
これは仕組みに忠実な奇跡なのです。
奇跡というのは決して突発的なものではなく
真理に基づいて起こるべくして起こることです。
ご家族が心配して療法を探していらっしゃることも多いかと思います。
ですが催眠は基本的にご本人の意思が最も重要です。
催眠が効くかどうかご心配の方が多いと思いますが
催眠はとても強力です。
潜在意識に踏み入れば変わりたくなくても変わります。
ある意味後戻りはできません。
それは操られるようにして変わるという意味では断じてなく
ご本人の潜在意識が解放されることによる変化なのです。
時々見られることですが
私はこのまま変わりたくありません、でもこの部分だけ取ってもらいたいのです、
というようなご希望があります。
でもそれは無理です。
意識は好むと好まざるとにかかわらず、今の状態で調和しています。
ひとつを変えれば全体が変わります。
ですから、ご家族としては
ご本人の一部だけ取ったりつけたり治したりしてくれればと望まれても
大きな目でみるとご本人の人生全体に関わってくることですので
ご本人が率先して変化を許可してくださる必要があります。
きっかけはご家族でも最終的にはご本人の意思が大切なのです。
またご本人が未成年の場合は
催眠の影響が強すぎることがあります。
子供はある意味常に催眠状態のようなもので
潜在意識にどんどんインプットされている時期です。
ですから本当に少し心を開いてもらっての対話(カウンセリング)で
充分同じ意味があります。
確かに催眠による暗示を与える(あなたは鳥にな~る的な)やり方もあるのですが
これは麻酔にも似ています。
根本的な原因を見過ごしてしまうことに繋がることもあるかと思いますので
人間形成の大切な時期にはなおのこと
心の中の原因に取り組むことのほうが有益なのではと考えます。
催眠を受けるかどうかのカウンセリングはするのですか?
というご質問もありました。
それから、催眠にかからなかったらお金を返してくれますか?
というご質問もたまにあります。
私の答えはどちらもノーです。
催眠を受けることを決めるのはご本人です。
受けると決めた方に対して必要なことを行うのが私の仕事です。
催眠状態にはどなたでも入ることができます。
本当に、お風呂で鼻歌歌っているのと変わらないのです。
ですがセッションルームはご自宅のお風呂ではないので
少々準備が必要だというわけです。
そのための準備は充分にさせていただきます。
それでもどうしても催眠に入れないという体験を選ばれるのであれば
それはご本人次第なのです。
また、入れなかったらどうしてくれるの、という考えをお持ちの方は
往々にして白か黒か、という判断をしがちです。
けれど、意識の世界は白黒ではないし
セラピーの目的はその白黒の世界からの目覚めにあります。
セッションをご一緒して何も変わらないという方はいません。
ですがその変化をどうジャッジメントするか
受け入れるか入れないか
また生かせるか、死なせるか、は
ご本人次第だと私は考えます。
この部分の線引きは私にとってもある意味命をかけた取り組みです。
私は自分にとってだけ有利な、或いは甘い線引きをするつもりはさらさらありません。
かといってお客さまにだけ有利で甘い線引きもしません。
これは私を生かしてくれている、癒し手として働かせてくれている大いなるものと
私自身との約束ごとです。
その『結果』は、
ご自身への導きと私という存在をご信頼し
ここRuachへ来て共にセッションを創ってくださった方と私との間だけで成立する
神聖な体験だと私は信じています。
奇跡体験のベテランである私のほうが少しだけリードして
この体験の受け取り方を示唆させていただきたいのです。

ひとくぎり

なんとなく空虚な感覚があるのは
ひとつのエネルギー的なイベントが一区切りしたからなのかなと感じています。
この春分くらいが分かれ道で
いつから続いていたのかと思い起こすと
去年の皆既日食からだったように思う。
まる8ヶ月はなんだかひとつの大きなうねりのなかにあった。
次のイベントのテーマはなんだろうなぁと今はからっぽな感じの中にある。
私は特に月に願いをかけなかった。
いつもありがとう!とだけ声をかけておいた。

ところでロンドン杜公園って

昨日のお休みはだんなさんと自転車で半日の旅でした。
まずはあしびなーで沖縄すばを食べました。
トッピングのお肉があぶってあっておいしかったです。
二人ともとんこつだしのふと麺で、だんなさんは三枚肉、私はソーキをいただきましたが
だんなさんは今までの三枚肉の中で一番おいしかったそうです。
お店はこちら⇒楽風OKINAWA
あしびなーはだんだんとにぎわってきているようで
歩いてすぐのところにこんな場所があるというのも楽しい気分です。
以前何度か閑散としているところに出くわしたので
心の中であしびなーをとっても応援しています^^
あしびなーのクロックスのお店に
ドーナッツプラントが入っていたのでちょっと嬉しかったです。
自由が丘でたまにドーナツコーヒーをいただいておいしかったので好きでした。
それから、ホウオウボクとマニラヤシの種を拾いました。
だんなさんが育てようと張り切っています。
それから、潮崎のサンエーちょっと用事を済ませて
サンエー潮崎シティの中にあるカフェでお茶しました。
東京でいうとスタバみたいな感じのカフェで、北谷と那覇と潮崎にしかありません。
ちなみに糸満市にはスタバはありません。那覇の人に軽く笑われたりします。
去年の今頃は糸満に住んでいたので
一人でよくお買い物に来ていましたが
沖縄へ来て夫婦とも仕事はいったん白紙になり
食べていけるのかどうかもわからない状態で
とてもカフェでお茶するなんていう気分になれませんでした。
それで昨日はだんなさんと初めてそこでお茶することができて
ものすごーく幸せだなぁと感じました。
振り返ればスーパーの一角なんだけど。
潮崎の海岸と住宅地を一周し
それから今度はだんなさんがこっち、というので行ってみると
ロンドン杜公園、という糸満市真栄里にある山です。
ほとんど全貌が見えないのでどきどきしました。
自転車を置いて徒歩で階段をどんどん上ると
なんだか人のうちみたいなところに出て、あれ?となりましたが
そこは介護施設でした。
さらに上がっていくとりーっぱな公園が。
しかもひとっこひとりいません。
空気が異常にに澄み切っていて高原だか桃源郷だかに来ちゃった気分です。
奥には展望台があって上ると最高でした。
さらに森の向こうから人の声がします。
行ってみると野球のできる立派な広場があり
観光地のようにきれいに整備されていました。
さらに奥は森です。
こんなにうっそうとしたガジュマルの森は初めてかもしれません。
ジャングルです。
ロンドンガマというものすごい言い伝えのあるガマがあります。
糸満市の由来は英語のエントマンから来ているという説を初めて知りました。
あんまりすごいお話なので載せておきます。
興味のある方はこちらへ⇒週間レキオ
それから公園よりもっとすごかったのは
公園を超えるといきなり普通に集落があったことです。
私たちはどんどん森の奥へ向かっていたつもりだったので
その奥は?!と覗いてみたらとても古い、これぞ沖縄、という集落だったんですね。
夕暮れ時の真栄里は本当にタイムスリップ;トリップで
私たちの興奮は最高潮でした^^
あれは味わった人としか分かち合えない感覚だと思うのですが
ああいった場所のエネルギーってたまらないものです。
樹の形や伸び方で感じるのですが
ちょっと普通じゃないんですよね。
あれは他を寄せ付けない自然のちから。
だからこそ古いものがそのまま残されているんだと思うんです。
私は以前東北に行ったときにとても強くその感覚を感じました。
さて、今度は西崎のうまんちゅ市場へ滑り込みで到着。
野菜を少しだけ買い(自転車なのでたくさんは買えませんでした)
最後は豊崎のグランビューガーデンホテルに。
というのは、いただいたお食事券があったからで
それでニヘデビールをいただきました。
グランビューガーデンホテルは先日母と妹が来たときに宿泊しました。
二人とも気に入っていたし、地元なのでこれも心の中で応援しています。
レストランはプールに面した席で
ライトアップされていい感じでした。
美々ビーチのホテルのようにゴージャスではありませんが好感が持てます。
おつまみもおいしくいただき
沖縄ありがとう、という一日でした。
ものすごく中身の濃い、ちょー地元的な休日でした。

ブルームーンによせて

たくさんの人が昨夜から先ごろまで、或いは今夜までに
月に願いを伝えたことでしょう。
望むことがかなうのはとても嬉しいこと。
でもかなわなかったとき
人はどんな風にそのことを受け入れるのでしょう。
幸運の神さまに願いが届かなかったから
願う気持ちが足りなかったから
願い方が間違っていたから
そもそも願うことが間違っていたから・・・?
私は、本当に必要なこと
本当に魂が望むことは
願った瞬間にもうかなっていると思うのです。
でも人はそのかなった結果をなかなか受け入れられません。
自分の内面を知ると
自分が本当は何を欲しているのか
何を求めているのか
何が本当に自分を満たしてくれるのかがわかってきます。
顕在意識が望んでいることと潜在意識が望んでいることは
往々にしてずれていたりさかさまだったりまったく想像を絶するほどのレベルで
違っていることが多いのです。
自分を本当に満たしてくれるものを求めて
それを得ない限りは
人は本当に幸せにはなりません。
変性意識でのワークをすると
そのギャップに少しずつ気づき
その溝を少しずつ埋めていくような導きが起こってきます。
本能、衝動的な欲求のままに欲しいものを手に入れていっても
幸せには近づいていかないばかりか
刈り取らなければならない芳しくない種を蒔くことにもなります。
私たちは目覚めない限りはコード化されたカルマのシナリオを
無意識に突き進み消化する生き物です。
そのシナリオにうんざりしたときが魂のおめでとうの時なんだと思います。
幸せを願うなら
幸せの正体をよく調べて熟知しましよう。
でたらめに走り回って偶然たどり着くほど
肉体の命は長持ちしないし
生命の法則はそうはできていないものです。
私は人間は幸せを目指してこそ進歩するものだと思っています。

おそうじ

今日の豊崎は思わず笑ってしまうほどのいいお天気です。
少し前の黄砂では
この目の前に見える丘やサンエーの看板までもがもやに隠されていました。
まったく信じられない。…
心の中でもよくこんなことが起こっていますね。
例えば黄砂を知らなくて
もしあれが霧だと思っていたら
あんなに何日続けて霧が晴れないなんてちょっとおかしい、異常だな、怖いなと感じる。
でも黄砂だと知れば、それは起こりうると納得がいく。
黄砂による「もや」という現状は変わらなくても
それによる恐怖心は軽くなる。
でもいい加減、窓は開けられなくて窮屈だし
知らずに開けてしまっていた間に
部屋は随分汚れていて
そこらじゅう触ると砂がついて不快です。
大掃除が必要になる。
でも原因がわかっているので方法もシンプルだし手間も最小限で済みます。
汚れの原因が何なのかわからないと
必要以上の化学薬品を使ってみたり
大げさに考えて、やり始める前に疲れてしまったり。
あきらめてしまうかもしれません。
正体を知って
適切に対処すれば
お部屋も快適になり
こうやってお天気のいいすばらしい日には
また心の底から
それを楽しむことができます。
ありのままを受け入れることができます。

シンプルでリアルな取り組み

沖縄に来てから癒しという仕事に専念するようになり
その分やはりとーっても中身の濃い日々を送っている。
私自身の癒しが進んできたので
何かに発散する必要がなくなって、専念できるようになったと思う。
自分自身が癒される体験はもちろんセラピスト、ヒーラーにとって必須だが
単に体験ではなく本当に中身が癒されて(霊的に回癒が進んで)いくと
本当の意味でようやく正直になれるのだということを実感する。
私はもともと正直者ではあった(嘘つきではなかった)はずだが
いろんなことに気を遣って(気を奪われて)
或いは気をまわして
起こっていないことを心配して、と
様々な理由でやはり言えないことやできないことが
たーくさんあった。
それはおそらくどんな人もそれぞれそういう部分を抱えているはず。
そういう心配、おそれ、また罪悪感が癒されていくと
率直に、正直になれていく。
とてもシンプルで軽やかだけれど
ただシンプルで軽やかだけを目指しても
本当にそうはなかなかなれないものだ。
自分に本当に取り組むということは
とてもリアルに自分の中身を変えていくことだ。
いくら何かを身につけたり持ち物を増やしてもそうはならない。

アミアミオーラ

今日は少し長めにゆっくりと瞑想をすることができました。
最近はマスター・ヨガナンダにも導いてもらっています。
最も高貴なる神がいつも私とともにあってくれるようとても深く望みました。
どれくらい時間が経ったのか、目を開けるのがもったいない気もしましたが
そーっと目を開けてみると
視界がぼやけていて代わりにとってもくっきりと
黄色い網目のオーラがはりめぐらされているのが見えました。
網目は近くを見たり遠くを見たりすると
細かくなったり大きくなったりしました。
部屋中をぐるっと見回しましたが
そこらじゅうに見えました。
こんなにものすごくくっきりと見えたのは初めてです。
第7層のオーラは金色の網目と言われたりしていて
神との繋がりをあらわすと言う人もいます。
瞑想で神との繋がりをとても祈ったので
それが目に見えてあわられた、という感じでしょうか。
次の瞑想が楽しみになりますね。

春分を過ぎて

沖縄は俄然夏に近づく足音がします。
うちのだんなさんは運転で日焼けした右腕の皮がむけました。
と言っても海では泳げないですよ。
沖縄は常夏だと思っていらっしゃる方も多いですが^^
まだ最高気温が25度になる日もたまにある、というくらいで
とても過ごしやすい季節です。
先日セッションにいらしてくださったまっちんさんが
ご自身のブログに記事をアップしてくださったので
ご紹介します。
~まっちんの日々なブログ~
最後のほうにとても興味深い記述がありました。
クリスタルのくだりなんですが
このお話はセッションでは伺っていなかった部分で
ブログを読ませいただいて知ったのですが…
私たちは心や体の未解決の傷にクリスタルを埋め込むと言われています。
それによって塞いでおくのですが
完治はしません。
それで今度はそれを除去することが必要になります。
クンダリーニレイキのクリスタリンレイキは
その作業をしてくれるのですが
まっちんさんのセッションでは
特にクリスタリンレイキはやりませんでした。
でもヒプノのなかで古傷が癒されブロックが解放されたときに
「クリスタルがばらばらになり光に吸い上げられていく」というビジョンを
ご覧になっていたということでした。
ご本人も「宇宙とつながった」感じがしたとおっしゃっていましたが
私も同じように感じました。
まっちんさん、ありがとうございました。

春分

春分の日。
今日からは夏至が近づいてきます。
我が家のベランダからは日の出が拝めるのですが
引越し当初は窓の一番右よりでした。
今はまんなかあたり。
夏至には左端になるんだな、たぶん。
今日はなんぶトリムマラソン。
朝からどっかーんと花火(?)もあがってました。
豊崎から眺める豊見城市と糸満市は
なぜだかものすごい霧に包まれています。
こんなお天気は初めて。
いつも澄んだ空気のおかげですぐ近くに見える山々が
今日は真っ白い霧の中にうっすらと影を見せるだけ。
でも雨はなく、今は日も射しています。
不思議な景色です。
Image799.jpg
昨日は夜からなんだか恒例の浄化があり
風邪のような不快な症状や具合の悪いときに出やすい症状が
次々と目白押し。
吐き気、めまい、悪寒、喉の痛み、頭痛、その他…。
でもそれらの症状がやってきては消えるのが繰り返されて
しかも重くないんです。
だから、風邪とは少し違うのがわかる。
それで、眠りながら、なんだかずっと、作業している。
マスターと話したりとか、してるんですよね。
何度も目が覚めるたびに
「あれ、今何の話だったんだけ」と思う。
起きるたびに具合も悪い。
だけど朝起きる時間になると
どうやら作業は完了していて
もうかだらはどうってことないんです。
で、寝ている間に気になったことを起きてからいろいろ調べたりします。
結構大事なことも多いです。
こういうのは覚醒における結構スタンダードなパターンかと思われます。
寝てる間にコードを埋め込まれる、とか、そういうのですね。
今やっぱりこの時期は
きっと地球でまれにないほど光が注いでいるというのは
本当なんだろうと思います。
たくさんの人に必要なことが起こり
幸せに結びつくことができますように願うとともに
私もがんばります。

無条件の愛

先日消えてしまった日記のテーマはこれでした。
スピリチュアルの教えの中でももっとも大切なことのひとつ、
無条件の愛。
巷でも無条件の愛をおくるね、なんてフレーズをたまに目にします。
だいぶ以前、まだ今ほど癒しの進んでいなかった頃
私も実践しようと取り組んだりしました。
でもどうしてもうまくいかなかった。
この世のすべてに無条件の愛を持ちそれを体現するって
実際どういうことなんだろう?どんな状態なんだ?
どうしたってそのときの私にはできないどころか
イメージの中ですら感じることすらできなかったのです。
なので、無条件の愛については態度保留、ということでやってきました。
最近になって「この宇宙すら神の創ったものではない」(好きですね、このフレーズ)
という概念に出会って
こびりついていた「無理」が一掃されるようにすっきりし
どうやら神は本当に「理」だったと実感できるようになり
私の癒しは格段に進んだようです。
それでまた最近になって今度は
「神への無条件の愛」という概念に出会いました。
無条件の愛はエゴからは発せないしまた
エゴは幻想であって真実ではないのですから
無条件の愛は神なる真実にのみ捧げられるものであって
幻想に向かっておくるべきものではなかったのです。
神への無条件の愛、また神からの無条件の愛の中にあるとき
私たちは初めて幻想に対しても無条件の赦しを行うことができる。
なんだ、だから結局この世のすべてに無条件の愛を与えるでいいじゃない、と
思われるかもしれないけれど
本気でやってみると、この違いは天と地のように違うということがわかるのでは。

Ruachサイトの更新

レイキアチューメントを受けてくださった方の
アフターワークアウトのために枠を設けました。
今のところ個人セッションの形でさせていただきます。
トータルヒーリングスペースRuach *REIKI-WORKOUT*
お時間内でご希望に沿って行わせていただきますので
ご要望をお伝えください。
感謝とともに☆