1年半ぶり、東京へ

6月11日から13日まで東京へ行きます。
ジャスト1年半ぶり、ということになるんだと
今気がつきました。
現在3日間、個人セッションでほぼ満席の状態となっており
細かい調整中です。
まだご連絡が行き届いておらず申し訳ありません。
追ってご連絡させていただきます。
お申し込み、お問い合わせいただいたみなさん
本当にありがとうございます。
皆さんのお声がとても暖かいです。
久しぶりに、いくつかのことを同時に段取りする、という機会となり
それだけでちょっと東京の空気を思い出しています。
今回は私一人で行くことになりました。
主人のほうは、こちらでの訪問鍼灸のスケジュールがあることと
東京でのワークの段取りまでたどり着けなかったのが理由です。
また近々、企画できたらと思っています。
沖縄は今年はずっと涼しくて
過ごしやすい気候が長かったのですが
ようやく夏らしくなってきました。
我が家はクリヤ・ヨーガとレイキのおかげで
またいろいろとおもしろいことが起こっています。
またご報告します。

自信

自分に自信が持てない、という悩みを持つ人は多いと思います。
そういう風に思う人はきっと、
自分以外の人は、自信があって、自分があって、いいな、と感じているのでは。
私も以前はそう思ったこともありました。
というか、子供の頃(小・中学生)から私は周囲から「自信過剰」と言われるほど
自信に満ち溢れて見られるほうでした。
それはどうしてだったかというと
自分が真実だと感じることに対して誠実に行動していたから、だと思います。
でも、高校生になる頃には
何が真実か、自分が何を感じているのかなんて
すっかり不明瞭になっていました。
その頃は早く自立したいという思いと
自分が社会人としてどう生きたらいいのかという葛藤で
とても苦しんでいました。
自信のかけらもみつかりませんでした。
自信とはなんなんでしょうか。
根拠を求めるほど自信は失われはしないでしょうか。
根拠のない自信がある、という言葉は身近な人から耳にします。
スピリチュアルの教えでは
自信は真の自己を信頼したときにのみ得られるもの、と言います。
真の自己とは内なる光、内なる神、ハイヤーセルフなどのことです。
自分という個をいくら信頼しようとしてもできるのは
おそらく他との比較をして勝る部分とか
勝てるという目測の部分に過ぎないでしょう。
ですから世の中のスピリチュアルで言われがちな
「自分らしく生きる」に関しても
セラピーやワークの目的を「個性の確立」と思ってしまうと
結局どこまで行っても
本当の自分ってどれ?
いつになったら自分に自信が持てるようになるんだろう?
となってしまいます。
分離した個を確立してそれを鍛えて自信を持ち、押し進めて生きることがゴールのように
勘違いが起こります。
凄い逆行です。
一生懸命人生に取り組んでいる方によくあるのがこのような逆行です。
もっと、もっと、上に、前に、もっときれいに、もっとシンプルに、
(この場合のシンプルも徹底してカテゴライズするか、すべて白か黒かになっています)
でも、人が幸せに、満ち足りて、輝く生き方をするためには
そっちじゃだめ、です。
これは、人がなかなか気づけない部分です。
読めばわかるし他人事の時は笑えます。
でも、実際自分が逆行している様子は見えない人がほとんどなはずです。
逆行は秒単位で人に起こることです。
今悟ったと思ったら次の瞬間には逆行しています。
それは「もっと」が人間の本能(肉体保存のシステム)に根ざしているからです。
本能から自由になるには
毎瞬目覚める必要があるのです。
それには究極、瞑想(変性意識下のワーク)しか方法はありません。
手放すと簡単に言いますが
生き物は手に入れることで生き延びますから
手放すことにはある意味、命を落とす恐怖が付きまといます。
その恐れから自由になるには
自分に起こるあらゆることを観察できるようになることであり
観察とは理性ではなく
内的な感受性で内なるものを観じる者になるということなのです。
手放すには、内なる神への信頼が必要であり、
だから、手放すことはお任せすること、と言えると思います。
手放しているとき、確かに自信があります。
さらに手放すと
自信があるとかないとか、どうでもいいこととして手放してしまえます。
シンプルになるというのは、そういうことだと思うのです。

今世の目標は

今世の目標は「転生を卒業する」こと。
これはスピリチュアルどうこうよりずっと以前から思っていたことです。
人生の泥沼のどん底みたいなときに
妹と二人で家から逃げ出し
行くところもないので家の前の地面にべたっと座りながら
「でもきっと今のことが、全部なんだったのかわかるときが来るよ」と
チェーホフの「三人姉妹」のラストみたいな心持で語り合っていたころより
もっと前からそう思っていました。
今思えばその頃は明らかに今の人生は
たちの悪い罰ゲームのように感じていたのかもしれません。
もし自殺したてしまったら
このゲームをあたまからやり直すと思うとたまらなかったので
なんとか自分で終わりにしたいと切実に思っていました。
最近になって妹と電話で話していて
「あのさ、何かで読んだんだけど
魂によってはカルマを終わるだけで転生を完了できるけど
最初から悟るのを目標にしてきた魂は
カルマが終わっても、悟るまで転生するって。
それ読んでさー
正直、ちょっと、しまった~と思ってさ。
後悔ってめった感じないけど
これ読んだときだけはちょっと後悔した。
また転生しちゃうかも…ってちょっと思ったよー。」と言いました。
それを聞いて妹はゲラゲラ笑っていたので
きっとこの話のツボをわかってくれたんだなと思って
私もゲラゲラ笑っていたら、妹はどうやら号泣してたらしくて
それを知ってなぜか私も泣いてしまいました。
なんでって訊かれてもうまく答えられませんが
その後もその話になると妹は泣けてしまうそうです。
あぁーみおちゃん、本当にそうなんだろうな、と思うんだそうです。

ひかりのくに

朝目が覚めるとプラーナと金色の網目のオーラに囲まれています。
なので、光に向かっておはよう、ありがとう、と声をかけるのが日課です。
少し前に、瞑想から戻って目を開けると
自分の身体の上空にものすごい勢いで回転する渦巻きを見ました。
初めて見たときはものすごくびっくりして、しばらく呆然としました。
身体から1メートルか、1.5メートルくらいのところで
竜巻みたいに回っているので最初は目が回ったのかと思いました。
周囲を見回すと他のところには渦はなくて
よく見ると私の身体の上空に縦にいくつか並んでいました。
渦が見えるからには渦を構成しているものがあるはずだと思い
目を凝らしてみると、やはり光のようなものが回って渦に見えているようでした。
瞑想の後のすっきり感と呆然が混ざってなんとも言えない気分だったので
散歩しながら妹にヘルプしてもらいました。
やっぱり、チャクラなんじゃないか、という見解に落ち着きました。
その後リンクしている湖南さんのブログのバックナンバーで
4つのボディにあるチャクラの記述を見て
これのことかもしれないと少し納得しています。
その後も瞑想でふかーいところまで行くと
戻ってきてしばらくは渦が見えるようになりました。
ただ、後にはもう少し身体の近くに見えるようになりました。50センチくらいかな。
今はクリヤ・ハタ・ヨーガをしていて
演劇の訓練などとびんびんに繋がっていてワクワクですし
身体の記憶がどんどん目覚めています。
一度、尾骨のところからなにかが、やっぱりぐるんぐるん回転しながら
身体の中(背骨というか真ん中というか)を突き抜けてきたことがありました。
これも初めての体験で、わなわなするというか腰が抜けちゃうというか。
その時もさすがにびっくりして「わーぁ!わぁ!」と一人で騒いでしまいました。
それで何が一番進化したかというと
やっぱりセッションでのヒーリングとリーディングの力のように思います。
光が伝わるのがじかにわかるので、私もどんどん先に進めることができます。
本当に現実がどんどん変わっていかれるのを伺うと嬉しいです。

本質、再会、至福

私にヒプノセラピストの仕事を勧めてくれたのは
21歳の頃、演技の養成所で知り合い、
後に私が脚本を書いてプロデュースした舞台に出演してくれた
演劇つながりの友人だった。
全然本気にしていなかった私に対して彼女の決め文句は
「催眠は演劇と一緒だから。演劇の勉強にもなるからやりなよ!」だった。
私も彼女も本当に演劇を愛していたな~と思う。
今週に入って、クリヤ・ハタ・ヨーガを始めた。
DVDを入手して、なのだが
始めてみて、本当にびっくりした。
私がこれまでやってきたことはヨーガだったんだ!!と、なってしまった。
演劇の訓練がどういうものなのか
きっと世の中ではあまり知られていない。
演劇をやっている人ですら知らない人がたくさんいると思う。
世間でのきらびやかで華やかなイメージ、
或いは貧乏くさい劇団員的イメージのどちらでもない
神聖で荘厳で、修練と探求と、今ここ、我有りの世界。
舞台の肉体訓練は呼吸とイメージを支配して我を知り、超え、至福となる。
そういったことの醍醐味に比べたら
カーテンコールなんて本当におまけのおまけなのだ。
(世間ではカーテンコールの拍手=見返りこそが役者の醍醐味と思われているみたいだけど)
先日おきなわワールドでエイサーを見た。
あちらこちらで見ることができるが
ガイドブックか何かにおきなわワールドのは最高峰だとあったので
とても楽しみにしていた。
エイサーは踊念仏が本土から伝わり独自の進化を遂げたものだそうだ。
まさに演劇の起源と同じく
神仏に捧げるパッションの儀式だ。
少し時間を過ぎてしまって急いで席に着いたとたん
ハートがどっかんと開いて嗚咽泣きしてしまった。
私は大学の時和太鼓に夢中だった。
まさにこれが演劇、と感じていた。
舞台上の人は、神と一体だということなのだ。
恐れがなく完全に今にある。
今その瞬間を完全に受け入れ楽しみ感謝し惜しみなくすべてを注ぎ、込めるという態度。
それがあらゆる動きや顔の表情、声となって表れる。
そういった人の立つ舞台からは客席にエネルギーが流れ込み
波動が共鳴し、同化し、浄化される。
演劇の意義、目的は、浄化なのだ。
あの頃舞台にみつけた本質と、
おきなわワールドのエイサーで出会えた。
まったく、この時間を越えた仕掛けはなんだ。
そんな感じで、最近の私は本質との出会い、再会が相次ぐ。

東京出張を検討中です

沖縄ではお父さんはたとえ他の日は働いても
こどもの日にはお休みをとって子供と遊ぶそうです。
沖縄県民みんなの思いがかたちになって
こどもの日は最高に最高にいいお天気でした。
ここのところ黄砂などで空がくすみぎみでしたが
この日ばかりはそこらじゅうがきらっきらに輝いて
もうどこもかしこも美しい、これぞ沖縄さーという一日でした。
さらにそれを最後に、翌日にはいきなり梅雨入り宣言。
みんなの意識と島が直結、と改めて感じました。
さて、私のほうでは今、またヒーリングのメニューを再考しています。
ひとつにはライタリアンレイキの伝授と浄化期間が完了しまして
私自身がまた新たなステージに来ているようです。
そろそろメニューに加えたいと考えています。
それから少し前に、リクエストをいただいて
アバンダンティアとエンジェルのアチューメントをさせていただいたのですが
これももし、私とのご縁がある方にアチューメントさせていただければ
すてきなことだと感じて検討しています。
私自身はどちらもとても気に入っていて
アバンダンティアの恩恵は、人生の目覚めのプロセスに大きく関わってきますし
エンジェルのサポートも同様です。
私自身が結構のんびりやというかなんというか。
いつもメニューにないものをリクエストいただいてから
形にするというスタイルになっています^^
リクエストくださる方にいつもお導きいただいていて
本当に感謝しています。
もうひとつ、これも随分前からちらちらお話があったり考えたりしていましたが
東京でのセッション、ワークショップをリクエストいただいています。
これも形にしようかと考えています。
近ければ6月上旬までが飛行機がお安いようなので
東京方面でひと月以内に私、もしくは主人の風間真吾の
セッションにご興味がおありの方がいらっしゃれば
ぜひお声をおかけください。
感謝とともに

見える世界

金色のアミアミオーラが見えるようになり
どういった変化があるかというと
なんといってもバリアフリー感が強まりました。
スピリット中心の世界、愛と光中心の世界というものを長い間望んでいましたが
まさに、そんな中で生活しているという感覚です。
これまで「こうであるに違いない」「こうであるはず」と思っていたものが
「そうです」になった。
もちろん、見えなくたって良かったし
見ること、見ようとすることより
感じること、信頼すること、のほうが
多くの学びと理解を要するので
とても大切なプロセスだったと感じています。
でも肉体に与えられた五感というものが
一つ一つ変容して
魂の五感に置き換えられていくのは
とても深い喜びがあります。
神の懐にいる気持ちです。
とても幸せで、とても安心なものです。