自信

自分に自信が持てない、という悩みを持つ人は多いと思います。
そういう風に思う人はきっと、
自分以外の人は、自信があって、自分があって、いいな、と感じているのでは。
私も以前はそう思ったこともありました。
というか、子供の頃(小・中学生)から私は周囲から「自信過剰」と言われるほど
自信に満ち溢れて見られるほうでした。
それはどうしてだったかというと
自分が真実だと感じることに対して誠実に行動していたから、だと思います。
でも、高校生になる頃には
何が真実か、自分が何を感じているのかなんて
すっかり不明瞭になっていました。
その頃は早く自立したいという思いと
自分が社会人としてどう生きたらいいのかという葛藤で
とても苦しんでいました。
自信のかけらもみつかりませんでした。
自信とはなんなんでしょうか。
根拠を求めるほど自信は失われはしないでしょうか。
根拠のない自信がある、という言葉は身近な人から耳にします。
スピリチュアルの教えでは
自信は真の自己を信頼したときにのみ得られるもの、と言います。
真の自己とは内なる光、内なる神、ハイヤーセルフなどのことです。
自分という個をいくら信頼しようとしてもできるのは
おそらく他との比較をして勝る部分とか
勝てるという目測の部分に過ぎないでしょう。
ですから世の中のスピリチュアルで言われがちな
「自分らしく生きる」に関しても
セラピーやワークの目的を「個性の確立」と思ってしまうと
結局どこまで行っても
本当の自分ってどれ?
いつになったら自分に自信が持てるようになるんだろう?
となってしまいます。
分離した個を確立してそれを鍛えて自信を持ち、押し進めて生きることがゴールのように
勘違いが起こります。
凄い逆行です。
一生懸命人生に取り組んでいる方によくあるのがこのような逆行です。
もっと、もっと、上に、前に、もっときれいに、もっとシンプルに、
(この場合のシンプルも徹底してカテゴライズするか、すべて白か黒かになっています)
でも、人が幸せに、満ち足りて、輝く生き方をするためには
そっちじゃだめ、です。
これは、人がなかなか気づけない部分です。
読めばわかるし他人事の時は笑えます。
でも、実際自分が逆行している様子は見えない人がほとんどなはずです。
逆行は秒単位で人に起こることです。
今悟ったと思ったら次の瞬間には逆行しています。
それは「もっと」が人間の本能(肉体保存のシステム)に根ざしているからです。
本能から自由になるには
毎瞬目覚める必要があるのです。
それには究極、瞑想(変性意識下のワーク)しか方法はありません。
手放すと簡単に言いますが
生き物は手に入れることで生き延びますから
手放すことにはある意味、命を落とす恐怖が付きまといます。
その恐れから自由になるには
自分に起こるあらゆることを観察できるようになることであり
観察とは理性ではなく
内的な感受性で内なるものを観じる者になるということなのです。
手放すには、内なる神への信頼が必要であり、
だから、手放すことはお任せすること、と言えると思います。
手放しているとき、確かに自信があります。
さらに手放すと
自信があるとかないとか、どうでもいいこととして手放してしまえます。
シンプルになるというのは、そういうことだと思うのです。

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