幸せでありなさい

不二一元論を実際に生きるというのは
あらゆる説と逆説をすべて通過して統合するような
とても不思議な状況である。
どっちに進めば正解、どういう言葉が真理、どういう状態が好ましい、などということでは
到底理解ができない。
けれど、不二一元論以外で宇宙と宇宙以外のもののすべての真実を
言い表すこともできないだろうと思う。
もし私たちがこの宇宙に肉体を持っていながら
一元論を生きる指針を言葉で持とうとするなら
「どんな状況、どんな状態であっても、幸せでありなさい」
という言葉がわかりやすいのかもしれない。
どんなに悲惨な地獄にあろうと、幸せであるというのは
狂気の沙汰のようだが
肉体やそれに付随する知覚のすべてが「悲惨」を指し示したとしても
あなたの本質はそこにはない、本質は至福なのだ。
ですから、あなたは肉に惑わされずに
あなたの本質を識別し、本質だけとともにありなさい。
私たちは知覚による誤解、幻想を生きている。
目覚めるまでは。
知覚を幻想だと悟るには、頭で理解しようとすることは邪魔になる。
知覚という体感をただそれと知ることだ。
「どんな状況、どんな状態でも、あなたは幸せでありなさい」
という言葉は
状況も状態も、あなたではないと教えてくれる。
とても難しそうだけれど
聖者はそれは可能だと言っている。
状況、状態は、あなたではないと言っている。
幸せであるとき
人は前向になる。
前向きになれば幸せになれるのではなく
幸せだと前向きになる。
まず、幸せを求めると
すべてはあるべき姿を現す。

いつもこころに芸術を

「ニューシネマパラダイス」という映画の完全オリジナル版をみた。
89年イタリアの映画。
89年は私にとって印象深い年だ。
大学を辞めた翌年で、芝居漬けで、人生に疲れ果てていたころ。
芝居は絶好調にもかかわらずあと一歩でいつも結果がついていかない。
大学のあるとても素敵な先輩が
この時の芝居のダンスシーンの振り付けをしてくた。
今もアフリカンダンスなどでご活躍なさっている。
彼女がこの映画を絶賛していたことを覚えている。
当時ヒットしていたフィールドオブドリームズというハリウッド映画と比較して
「もう、おとなとこどもくらいの差よ」とおっしゃっていた。
深みが違う、と。
20年以上が経ってもすばらしい。
完全版で、前半から中盤過ぎまでは俄然良くなっていた。
なんだ、こういう映画だったんだ、改めてすごい、という感じ。
ところが終盤で、あれれ、となってしまった。
ちょっと陳腐な恋愛映画みたいなテイストになって
世界がぐっと小さくなってしまった。
すると前半に積み上げた美しいピースが
しょぼんとちっぽけなものになってしまい
そればかりか、全体に流れていたダイナミックで美しい時の流れが
澱みに変わってしまった。
前半に投げた伏線のどれをどのように終盤で拾うのか。
あえて拾わなかったことで時の流れとともに消化され、
昇華しているだろうと捉えられていたものが
そこへの執着のおかげで
この映画の醍醐味であった時間の流れというマジックが死んでしまった。
結果、ラストですべてを救い上げていた仕掛けが
完全版では極一部しか救っていないことになってしまう。
完全版にありがちなこととはいえ残念。
人生においても
網羅することより
何を捨てるか、ということは
その質の決め手になるのだろうな、と
仕方なく教訓を得てみた。
まだ観ていない方はぜひ短いバージョンをご覧ください^^

風のまにまに

今日は、いつもの格好で座っていると少し肌寒いと感じてしまうほど涼しい沖縄。
県外と気温が逆転しているこのごろです。
昨日は暑かったですが。
夏の日差しの下に咲く沖縄の色とりどりの花はほんとにきれいです。
太陽が近い。
昨日とおとといは2日連続で虹を見ました。
遠隔ヒーリングが終わりクライアントさんとお電話で話していたら
真正面に、雲to雲という感じで虹の橋渡し。
1分くらいで消えました。
天界からの、一瞬の合図のようでした。
昨日はだんなさんの車の中から新都心で半円の半分くらいのでーっかいのがどーん。
今Ruachではだんなさんのセッションがこちらでも受けられるよう
もう一部屋のセラピールームを準備しています。
お部屋というよりだんなさんの時間配分が問題ですが
8月からは週に2日くらいこちらで施術できる予定です。
現在も午前中の一部のお時間は稼動していますが
もう少し広げる予定でいます。
ご興味のある方、こちらのほうが足の便が良い方など
お問い合わせください。
私は同級生の森ちゃんからメッセージをもらって
なんだか人生ってすごいなと感動しています。
だってあの頃は二人とも中学生だったんですから。
まもなく私は一足先に44歳になります。
こんなのあれですよ、「ニューシネマパラダイス」くらいの時間の経ち方ですよ。
自分の人生に、そういう時間を隔てたミラクルがやってくると
本当に驚愕しますね。

決定的な出会い

6年4組のことを書いたとき
私は詩に縁があった、と書いたんだけど
小1-2年の担任の大野先生は今思えば
詩を教えるのがとても得意だったのではないかと思う。
私もあの時へたくそな詩を書いて
何度も先生に見せに行って
何度も書き直して
なんか、そんなものになってテレビに出してもらった。
それから詩というものに意識が行くようになって
ずーっと書いていた。
母も、詩の本を買ってくれたり、芸術と文学教育には熱心だった。
父は超文学青年だったし(当時の新劇の俳優さんなんて全員そうだったはずです)
家には図書館並みに世界と日本の文学全集と歴史全集がそろっていた。
(あまり手をつけなかったのが残念)
それで、中学2年の時、学研の中2コース、という
小学校の時の、科学と学習、の続き的に毎月購入が許されていた月刊誌の詩のコーナーに
なにげなく応募したら
入選しました、という通知が来た。
学校から家に帰ると父と母がにんまりしていたのを覚えてる。
(随分大衆的なところにアプローチしたな、みたいに思っていたのではないかと思う)
一応事前に学研から、自分で書きましたね?という確認があって
そうです、と答えると、景品に万年筆が送られてきた。
入選というから銀賞とか佳作みたいなのを想像していたが
本が届くと大賞だった。
あくる日学校に行くと、隣の隣の隣くらいのクラスの女の子が
学校に本を持ってきて騒いでいた。
この子は同じクラスになってもないのに(なったのかな、一度、小さい時)
6年生の時、隣の隣のクラス全員にしかけて私を無視するという作戦を実行した主犯だった。
でも、隣の隣のクラスなんてほとんど接点もないので私には不自由もなく
そのクラスの子が私に用があって話しかけたりするといじめられたりして気の毒だった。
元々接点がない時の無視というはどうやるかというと
私が廊下を歩くと「みんな無視だよー!無視ねー!」と大騒ぎをする。
途中まで全然気づかなかったんだけどある時それが私に向いている行為だと気づいて
ふふん、と斜に笑ってしまった。
今思えばあの時騒いでいたのも
私が恥ずかしがったりするリアクションを期待していたのかもしれないな。
でも自分で応募したんだから別に読まれたって恥ずかしくないよ。
またふふん、と笑っていたと思う。
中3になると担任が、もう一人の恩師の栄子せんせになる。
栄子せんせは国語教師でルパンの不二子ちゃんなみにぼんきゅっぼんのものすごいセクシーな
ドかわいい女の子(だって当時まだ25歳前後)だった。
クラスの男の子がみんなで「俺のエイコ」って呼んでいたことは以前にも書いた。
私は栄子せんせとまたなにかしら相通じるものを感じていたし
先生もそうだったと思う。
だって当時なぜか、将来は一緒に暮らそうね、みたいな話をしたことがあったのだ。
なんで?!でもそうだった。
受験勉強の一環で毎朝学活の時間に小論文を書くのが日課だったが
これはうちのクラスの特権だった。
このクラスがよくできていて、ほんとにみんな文を書くのがうまかった。
文がうまいということは、普段から言葉を使ってものごとを考えていたということだ。
毎朝文を書いているのでどんどん磨かれていって
なんだか考えて語るの子がとても多かった。
放課後も居残って何人かでよく話した。人生について、人間について、心について。
私はこういうことが大好きで
家に帰っても勉強机に向かうとものを考えてしまい
しょうがないからノートにたくさん詩や文を書いていた。
当時スポーツ万能だけど漫画が天才的にうまい男の子がクラスにいて
その子も放課後仲間だった。
ある時彼が「勉強しようとして机に向かってもいろんなこと考えてしまって
とても勉強どころじゃないですよ。みんなどうしてじっと座ってられるんでしょうかね。」
その子は今日学校で誰がどんな言葉をどんな風に言って
そのときの表情がこうで、その時の思いはきっとこうで・・・と
そんなことがどんどんあふれ出してしまって勉強どころではないんです、と言った。
私はその時、まさにそう!私、それ!という思いだった。
彼は抜群に絵がうまいので
卒業文集のクラスの中表紙の絵を担当した。
クラス全員の姿がそこに描かれている。
私はその絵の自分を見たときのことを今でも思い出す。
自分は思うままに生きてる結構派手に目立つ子だったので
自分はみんなの真ん中あたりに描かれているだろうと思っていたのだ。
ところが真ん中で笑顔できゃぴきゃぴとした姿で描かれているのは
結構仲良しの女の子たちなのに私はいない。
あれ…と不思議に思いながら探していると
下のほうの段の端っこで、両手を腰に当てて、
更に紙の枠からそっぽを向いて仁王立ちしている横顔の女の子が私だったのだ。
今でもそのことにものすごい驚きを感じる。
彼は単に絵がうまかっただけではなかった。
スポーツもその時既に彼は哲学していた。
でも何より、人間を観る、という感性にあふれていた。
私は彼が私をあんなふうに描いてくれなかったら
あんな私には出会えなかったかもしれないと思う。
でも私はあの時確実に、あの女の子に出会った。
あの子は笑ってさえいなかった。
人生には決定的な出会いがいくつかあると思う。
彼はその後、大学生の頃に一度、舞台を観に来てくれた。
ちびくろさんぼみたいだった彼は
背が伸びて、手を骨折していた。ホッケーの試合で、と言っていた。
その後まったく接点はなかった。
決定的な出来事に限って、その瞬間はさりげなくやってくるものだと
今になって思う。

感情のマスター

劇作家、演出家、演劇人のつかこうへいさん、62歳で亡くなられました。
私がそれについて書くのはとても僭越な気もしましたが
気が変わったので書きます。
数日前に私、ベランダで次から次へと
歌を歌っていました。
レパートリーがアメージンググレイスになって
そこから今度は芝居のセリフに移っていきました。
昔から、一人で芝居一本のセリフを全部一人でしゃべってしまって
聞いていた妹もその芝居を覚えてしまうという
ばかばかしいヘキが私にはありましたが
久々にそのヘキが出てきて
つかこうへいさんの「ストリッパー物語」の明美ちゃんの長台詞、
やってしまいました。
久々にやってみたら完璧に覚えていて
しかも当時のように泣きながら言えました。
その時の明美ちゃんの気持ちをちゃんと再現できたように思います。
アメージンググレイスはその長台詞のBGMとしてというのが出会いです。
21歳と22歳の時、二度明美ちゃんを演じています。
この作品は根岸季衣さんが19歳で初演していて
この役はつかさんと根岸さんの間で誕生しています。
当時玉川大演劇専攻の卒業生と在学生を中心に活動していた私の劇団では
座長のまるちゃんが卒論がつかこうへいというほど彼の生きざまに惚れ込んでの上演でした。
つかさんのやり方は口立てといって
役者を前に自分でその時感じたせりふを吐いて
それを役者はその場で自分に憑依させて吐く、という感じです。
うちの劇団ではさすがに口立てはしませんでしたが
エチュードと言われる即興や独自の面白いトレーニングをたくさんやりました。
稽古は厳しく、私は稽古場ではリーダーのようなことをしていて
演出助手や補佐をしていました。
私は演出家からさえ、稽古の鬼と呼ばれていました。
稽古だけじゃなくほんとに芝居の鬼だったと思います。
つかさんは本当に彼のやり方で
人間の奥底にある感情というものを
ストレートに、えぐるように、引き出し
そして本当に役のからだと役者のからだがひとつであるように
演じることができるように導く名手だったと思います。
うちの劇団が上演したこのストリッパー物語は
小さな小屋にかかわらず回をおうごとに観客がふくれあがり
千秋楽には倉庫や通路まで解禁にして全員お立ち見状態でも
なおかつ入場をお断りするほどの人気でした。
当時は演劇専攻というところですばらしい訓練を受けた生きのいい役者がそろっていました。
演じるなかで最も大切なことは
人間の感情をどう扱うかというとがあると思います。
基本は、ちゃんと反応する、ということです。
これがちゃんとできる人はそれほどひどい演技はしないはずです。
いろんなキャラクターがいてそれぞれ反応は違っていたりしますが
人間の根源的な感情というのはちゃんと存在していて
キャラクターというのは
その正直な反応を隠すか、曲げるか、無視するかといったように
後から上塗りしたに過ぎません。
でもその底には本当はどんな心の動きがあるのかというのは
ちゃんと感じていなくてはなりません。
芝居の主役というのは
あまり隠したり曲げたり無視したりということをしないキャラクターが多いです。
素直な反応をする人が物語りの主役になります。
だからみんなが見ていて感情移入しやすいんですね。
すごくおおざっぱなたとえですが。
で、一番してはいけないことは
その底にある心の動きに嘘をつくことです。
ちゃんと刺され、ちゃんと傷つき、ちゃんと倒れる。
ちゃんと驚きちゃんと慌てて、ちゃんとひねくれ、ちゃんと泣く。
ちゃんと悔い改め、ちゃんと目覚める。
こういった人間の営みを、劇場という安全な場所で
神さまの視線に見守られながら捧げてきたものが芝居です。
嘘があったときに、ちゃんと怒れるリーダーが
この世には必要だと思います。
私たちの稽古場でも
いつも本当に小さな嘘を見破ること、見張ること、見過ごさないことがとても大事でした。
小さな嘘がすべての歯車を狂わせていきます。
間違いにみんなが気づき、それが修正されていくとき
本当に同じ筋書きのドラマが見事に調和して説得力を持ち輝きます。
人間は感情をマスターしなければどんなスピリチュアルなこともマスターできません。
つかさんの芝居を体験すると
人間の感情ってどんなものでもすてきなものだと感じられるかもしれません。
たくさんの贈り物をありがとう。つかさん。
本当におつかれさまでした。

こまろく

沖縄、すごい天気です。ザ・夏休み。最高です。
豊崎に引っ越して半年と一月が過ぎました。
湿気とかカビとかもひと通りくぐり抜けて
だいぶいろんなことに慣れてきています。
180度に近くぐるっとベランダを囲うように広がる丘の緑が、近い。
空気が澄んでいるからなんでしょうね。
昨日、寝る前に小学校のことを思い出していました。
狛江6小。
私の住んでいたのもこの小学校のすぐ近くでした。
私は詩に縁があったと気づきました。
小学校1年生の時に、NHK教育の「おかあさんの勉強室」という番組に出ました。
6小の私の学年から数名が選ばれて、テーマは「詩」でした。
私はその中の、自分の詩を読む4人の中に選ばれました。
その時、みんながどんな詩を書くのかということに
生まれて初めて意識が向いた気がします。
バスに乗ってNHKのスタジオに入り
にせものの教室の中に机を並べ
担任の大野先生が心配そうに、マネージャーみたいに世話をしてくれています。
忘れられないのは、選ばれた10数名の他に
なんといってもダントツにいい詩を書くぴんこというあだなの男の子がいて
その子はお行儀も良くないし、質問されてもちゃんと答えられそうにないので
メンバーからは外れていたのですが、見学だけ、と大野先生が連れてきていたのでした。
ところが本番ぎりぎりになって大野先生が、(おかあさんみたいな女の先生)
どうしてもぴんこを一緒に出演させてあげたくなったのです。
それで、私の隣に机を並べて
「みょ、(私のことを先生はそう呼んでいました)よしてるの面倒みてあげてね」と言って
急遽一緒に出ることになったのです。
そのよしてるの詩は本当にすごかったんです。
私は子供の頃から感受性、という分野で右に出る人がいないというくらい
なんか鋭くて、誰がどんな顔でどんな風にどの言葉を言うかとか
そういうことを全部記憶しているような子だったのですが
このぴんこだけです、私よりそういうことをずっと記憶していた子は。
中学生になってそれを知って本当に驚いたことが後にありました。
小学校5年6年は、私の人生でもこんなに愉快な時はなかったほど
楽しい毎日でした。
それは担任のいわちゃんが本当にすごい人だったからだと思います。
いわちゃんは当時まだ24歳で私たちのクラスが教師になって2つ目の担任でした。
いわちゃんは色白でひげがとっても濃くて、だから全体に青白い顔でした。
髪は少し長めでくせっ毛でした。
目が細くてめがねをかけ、いつもジャージを履いていて
おい、お前らなー、と青年の澄み切った声で冗談を言い
怒るときは目に涙を浮かべて真剣でした。
まるで、ドラマに出てくるずっこけ感動先生みたいで
みんな、本当にいわちゃんが大好きでした。
ぴんこもこのクラスにいました。
私はいわちゃんと、人生について語るのが大好きでした。
あと、クラスのみんなが元気で幸せかどうか、とか
そういうことをいつも話していました。
いわちゃんが一度、このクラスにはリーダーがいないから団結力に欠けると言ったことがあり
その時私は「それはいけないことなの?」と反論したことがあります。
「今までリーダーを見て来たけど
それでみんなが幸せだったことはあまりなかったみたいよ。
それよりもみんながみんなの役割を認め合って
それぞれみんなが主役になっている今のほうが本当にみんな幸せなんじゃない?」と
真剣に言いました。
クラスには本当にいろんな子がいて
勉強もできないししゃべるのもへた、運動もできない、家庭も暗そうという子も
何人かいました。
でもそのクラスでは、みんながいつのまにか、そんな子の得意なことをみつけて
脚光を当てるという習慣ができていました。
漫画を描くのがうまいとか、あとはもう本当になんにもできないけど
みんなができるのを待ってあげて、できたときみんなが思い切りほめて
そのときの笑顔がものすごくかわいい男の子とかもいました。
それだけでその子はマスコットにように扱われていて
笑顔がとても増えたりしました。
そのクラスにはカギ大将がいなくて(ガキ大将を卒業していたりして)
優しくてユーモアのある男の子がいっぱいいました。
みんなでできる新しい遊びを考えたり
道具を作って持ってきたり
新しいおしゃれをはやらせたりする男の子がいました。
そういう子はいつも人気者でしたが
その子はみんなに脚光を当てることを忘れませんでした。
そうしていると
本当に毎日が楽しくてうれしくて仕方ないことを
わかっていたから自然にそうしていたんだと思います。
私の中のユートピアの原型はそんなころの体験にあり
それは不可能ではないし
無理強いしたり、難しく考えなくても、人間にはできるのだと知っています。
だってあの、6年4組にできたんですから。
最後にぴんこの詩をどうぞ。
「ふゆやすみ」
ふゆやすみになったら
ひこうきできゅうしゅうにかえるんだ
とうきょうにないもの
たくさんかってくるんだ
せんせい
たくさんふゆやすみちょうだい
たくさんたくさんあそんでくるから
おはなしも
たくさんしてあげるから

しあわせ

Ruachにいらしてくださった方々の
嬉しい変化が続きます。
そうやって、心の内側から幸せになって
私に教えてくれているんだと思う。
それが真実なんだということを。
私は心底望んだ体験をしているんだ。
みなさん、ありがとう。
幸せになってみせてくれて。
これからもよろしくお願いします。

光と闇の分量

主人が訪問鍼灸でお邪魔しているおばあちゃんから
ラジオをいただいたので(ブーゲンビリアもいただいたおばあちゃん)
午前中にラジオを聴くようになった。
すごく驚いたことに
こないだはユーミンがしゃべっていて
今日は大貫妙子さんの番組をやっていた。
高校生、大学生のころ部屋で聴いていた頃にタイムスリップしたかと思った。
ユーミンはあの頃とまったく変わってなかったけど
大貫妙子さんはしゃべり方とか、声ではまったく誰だかわからなかった。
高校生の頃大好きでLP(!)何枚も持ってた。
えー、30年近く前のことじゃないですか。
大貫さんは、文学者とかジャーナリストのおばちゃんみたいな感じになっていて
文化人の香りがした。
それで、ゲストがサエグサなんとかさん、と言っていたんだけど
お腹の中の善玉菌と悪玉菌の話をしていて
要はどっちも大事、という話でした。
例えばお腹の調子が悪くなるのは
悪玉菌がものすごく増えた時じゃなくて
半々くらいのバランスがちょっと崩れて
悪玉菌がちょーっと優位になってしまった時なんだと。
だから、逆もある、ということで
ちょーっと善玉が優位になるバランスで
からだはとても元気、となるということなんですよね。
この二元性の世界をとてもよく表している話だと思いながら聴いてました。
今は除菌、みんな大好きで
何でも完全に消そうとしてしまう傾向があるけど
健全というのはそういうことじゃないんだよ、と
大貫妙子さんも言っていました。
人間の幸福とか、真理というのも
探求していると同じだということがよくわかります。
幸福でいることはいつも必ず笑顔だけではないんですよね。
雨の日も涙の日も、悲しみの日も必ずあります。
そういうすべてを心から慈しむことができたら
人生はとても豊かです。
そうできるならいいんだけど、なかなかそれが難しい。
そういうときのためのセラピーだと私は思っています。
今調べてみたら、
ゲストは三枝龍生さんという方で
野口整体などをなさる整体師で、武道家だそうです。
なるほど、おっしゃることの観点がすごくワタシ的に的を得てました。

その花を咲かせましょう

お部屋に植物が増えてきました。
東京では、特に結婚前は
部屋にある植物ひとつひとつに水をやって
そのままじーーーーーーーっと眺めるというのが日課だった。
結婚してからそういう時間が削られていて
沖縄へ来てからはまったくもって忙しかったのだけど
(あら、東京よりも沖縄のほうが忙しそう。
だけど移住って結構大変なんですよ、なにかと)
豊崎に部屋を構えて半年余、ようやく植物ちゃんに気が回るようになってきた。
東京からずっと一緒の植物、しかも結婚前の高円寺の部屋から、というのが
幸福の木。
もうこれだけになってしまった。
当時は植木鉢にお金をかけるという発想がなかったので
いただいた蘭の鉢を何度も転用して
土は百均の、椰子の繊維で水をかけると膨らむ、というもの。
新居でご主人は次々ときれいな鉢にお気に入りの植物を並べていくので
幸福の木の黒い小さな鉢が気になっていた。
先日ようやく、他のものと釣り合う白い鉢に植え替えた。
どうなっているだろうと思いながら幹を引き抜こうと力を入れると
いとも簡単にすぽっと鉢の形で抜けた。
うす赤いひげのような根がびっしりと渦巻いていて
土の代わりに入れていた椰子の繊維の姿はほとんどなかった。
背の高い白い鉢に入れてあげると南国の部屋にとても似合うようになった。
また数日なのに、背が伸びてきたみたいだ。
この木は母が大きな木が伸びすぎて邪魔になったところを
のこぎりで切り落としたカブを捨てていたら
「根っこがでてきちゃったの、みおちゃん持ってく?」と言ってくれたもの。
本体はもう枯れてしまったそうだ。
高円寺の日の当たらない部屋の蛍光灯で光合成をして
ずっとつきあってくれている。
4回も引越しを経験している。
先の見えないトンネルをおびえながらひっそりともがきながら生きていた私を知っている。
悲しいときや、どうしようもない思いをよく
街路樹の木々に伝えた。
木には通信ネットワークがあるから
思いはずっと遠くまで木が伝えてくれるという話をどこかで読んだから。
人はわかってくれなくても、木はわかってくれる。
さびしかったけど、きっといつか、すべてがこれでよかったと思える時が来ると
それだけ信じていた。
フジ子ヘミングは、猫をたくさん飼っていて
猫は全部わかってくれていて
貧乏で辛いときも猫の面倒を見て愛を注いだから
今それが報われているんだと本に書いている。
どんなに悲しくても辛くても
誰もわかってくれなくても
わずかな何かに愛を注ぐことができれば
その愛は自分に注がれ
自分に注がれた愛は
必ず、わずかに、わずかに、育っていく。
自分の内側で育った愛は、自分を、必ず花開かせる。
どんなに悲しくても、辛くても、時に憎んでも怒りに震えても
それを通り抜けてきても
開いたその花は美しい。
だから、悲しむことを恐れないで、
傷ついても自分を嫌いにならないで、
泥の上に咲く蓮の花が教えてくれる。
その、自分の花を咲かせましょう。
今日もせっせと育てましょう。

2010年7月

7月に入りました。
新たな風が吹いています。
そういえば、6月、東京からの帰りの飛行機の出発が少し遅れたのですが
機内で機長さんから
「ただいま、いい風が吹いております。
出発は遅れましたが時間通り到着できるのではと見込んでおります。」
という放送がありました。
ただいま、いい風が吹いております、って、なかなか、当たりの飛行機でした。
みなさんにもいい風が吹きますように。