自分と親密につきあう

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アングルが高すぎましたが
昨日もまた虹さん、お部屋の前に来てくれました^^
スピリチュアルの教えでは
「外側で起こることは内面の投影です」というのが基本ですね。
引き寄せの法則などもこの法則のことを言っています。
ご自身の内面に意識を向けるのはすばらしいことです。
それだけでたくさんの気づきが起こり
内面は変容を始めます。
その途上で、ネガティブなフィーリングが浮上してきたとき、
―それは暗さ、怒り、悲しみ、恨み、痛みなどですが―
それを感じることにとても大きな恐れを抱いてしまう方が多いようです。
こんなもの感じたらこれが現実になっちゃう、とか
前の苦しいときに戻っちゃう、のように
ネガティブエネルギーに飲まれちゃうように感じて
あわててふたをしたり
そこから逃げ出したりしという反応をしてしまいがちだと思います。
でも、ネガティブな感情は誰もが内側に蓄えているものであって
それはいつか表現され消化(昇華)されることを待っています。
だからそれらの存在の気配を感じたときには
ようこそ、と言ってちゃんと意識的に感じてあげるといいのです。
感情に対してようこそ、と言いにくければ
小さな私ちゃんに、ようこそ、と言ってあげてください。
未消化のフィーリングを溜め込んで長年我慢してきたのは
小さな私ちゃんだからです。
そして、小さな私ちゃんの抱えているフィーリングを一緒に感じてあげて
共感してあげてください。
そうするとそれは、認知され、承認され、役目を終えます。
いずれにしろ大事なことは、なんだか知らないおばけみたいに恐れないで、ということです。
その良からぬフィーリングが類似した現実を引き寄せると
あなたが自分の内側に無意識に抱えているエネルギーに気づけます。
現実化する以前にそれをちゃんと意識して向き合ったとき
知らずに引き寄せて実現化することはなくなります。
3次元に降りていく前に、アイディアの次元でもう役目を終えてしまいます。

しあわせになるシンプルな方法

しあわせになりたいときには
しあわせ以外のことをあきらめる。
しあわせ以外のものを手放すと決める。
でも人間はあれもこれも必要、といってなかなかそうしない。
しあわせになりたいと言いつつ
しあわせにとっていらないものをいっぱい握り締めている。
そのうちに間違えて、しあわせだけをあきらめていたりする。
しあわせだけはあきらめないで
そのほかをあきらめれば
しあわせになれるっていうのに!

somewhere over the rainbow♪

初めて、虹のふもとを目撃してしまいました。
ここ数日連日虹を見ていますが
昨日はすごかった。
うちの前に局所的な雨が降ったかと思うと
半円の見事な虹。
しかも目の前のあるおうちの庭から出て
目の前の河の水面に着地しています。
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写真だと遠く見えますが
本当に目の前、触れそうなほど近くです。
虹って、遠くに出ていて、そのふもとってどうなってるんだろう~と
思いをはせるものだと思っていました。
びっくりしているうちに正面奥の山の上に2つ
天に上るような太い柱のような虹が。
地上は虹の柱の競演となりました。
そのほかにも昨日、一昨日は
雲に向かって細い幾筋もの糸が上っていくような
まるでたくさんの魂が召されていくような光景が数知れませんでした。
沖縄中でご先祖の霊を敬う思いが
天と地をつなげているのだろうかと思わずにはいられません。
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photo by shingo kazama
しまいには月からも光線。
主人の話ではこの光線は太陽とつながっていたそうです。
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photo by shingo kazama
アストラル界の天国が透けて見えちゃった、という感じの
沖縄南部の空でした。
みなさんの心に平和とよろこびがありますように。

こころをすませば

沖縄はお盆の中日、ナカヌヒでみなさんお忙しくすごされていることでしょう。
沖縄の女性は買出しやお料理など支度で大変だそうです。
昨日はお迎えの日でウンケー、明日はお送りするウークイですね。
去年は何も知らずに親戚だけの集まりにおじゃましてしまいました^^
一年が早いです。
私の部屋の窓からは今日も明るく美しい景色が広がっています。
気温は31度とほぼ変わりありませんが
ここのところ風は涼しく感じられます。
日陰が涼しい、少し乾いた季節になってきました。
大好きな季節です。
私の大好きなジョナサン・ケイナーという占星学者さんがいて
毎週星の予報をネットでみることができます。
リンクを貼っておきます。ジョナサン・ケイナーの星占い
彼は占い師というよりスピリチュアルの神秘家です。
この予報を見ていると、星の角度などが集合意識に影響をもたらすことで
世の中全体の動向にある傾向をもたらすということがよくわかります。
星の角度が緊張や闘争的な関係にあるとき
私たちは無意識に影響を受けて、カリカリしたり不安に陥ったり
けんかっぱやくなったりあるいはふさぎ込んだりというところにはまります。
そしてその理由を、あの人がこうだから、この今の環境が、と悩みます。
でも実は、私たちは宇宙というお盆の上で転がされている小さな動物に過ぎないのです。
それがわかってきて、意識できるようになると
集合意識の影響から少し離れることができるようになります。
意識の中にはそういった種(カリカリしたりなんだりという)はあるのですが
それを意図的に実行に移さないという選択ができるようになります。
ジョナサンが少し前に言っていました。
心に属するものっていったいないでしょう。
みなさんはあれこれと心配することや、喜怒哀楽がそこに属すると考えるかもしれません。
ですがそれすらも、実は思考に属するもので
本来心に属するものは「優しさ」だけなのだと思います、と。
優しさ、ということの定義についてはいろいろとあると思いますが
私はジョナサンに賛成します。
心(以外の思考がと言ったほうが正確かもしれません)が本当にあるべき姿であるとき
心は優しさに満たされ安定し落ち着きます。
心を澄まして誰もが感じたいもの、というのはそれかもしれませんね。

沖縄が熱い

沖縄が熱いです。
興南高校、優勝、すごいです。おめでとう!
那覇の、主人がお世話になっている治療院のすぐ近くで
私もお散歩しながら何度か通りかかったことがあります。
野球は、チームプレイと思いやり、フェアプレイの精神と精神力など
多くの力を必要とするスポーツ。
沖縄の未来が明るくなった気がしました
沖縄の旧盆がやってきます。
私は、平和の礎(いしじ)へ行き
直塚太郎さん(祖父)に手を合わせてきました。
平和祈念公園はいつものように澄み切った空気で
身を焦がすほどの日差しと涼しい木陰が優しく迎えてくれます。
おじいちゃんに手を合わせると
いつにもましてずーんとグラウンディングした感覚を感じました。
地に足をつけて、がんばります。おじいちゃん。
帰り道に主人が「喜屋武(きゃん)岬」へ行きたいと言い出しました。
どうして?と聞くのですが「行ったことないから」とのことです。
国道をなるべく避けて、路地裏をお邪魔するのが好きな私たちですが
喜屋武岬は本当に農家の庭先やサトウキビ畑を失礼して通り抜けた突端にあります。
なんとなくビーチのようなところを想像していたのですが
そこは平和の塔という慰霊碑と展望台、トイレがあるだけの小さな広場です。
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到着して車を降りると晴天なのに雨がばらばらと降り始めました。
どうして~?と言いながら、まず塔にお祈りを捧げました。
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それから丸い水平線を眺めました。
家に帰ってから主人の撮った写真を見ると
海に虹がかかっていました。
思わぬ贈り物というか、お知らせというか。
浦添ナンバーのバイクが一台止まっていて
10代に見える男の子が一人、展望台に座っていました。
どんな思いでやってきたのかな。
帰りの車の中で少し主人と話しました。
私と主人は、南部の民家のある路地や小さな森や公園や農道を散歩するのが
沖縄で最も好きなことのひとつです。
ドライブも、糸満や八重瀬の小道を走っているだけでものすごく満足します。
そうして心を澄ましていると、大切なことが胸の中にあふれてくるようです。
沖縄の方の中には、南部へは具合が悪くなるから行きたくないとおっしゃる方もいます。
きっと戦争でたくさんの亡くなった方が癒されていないから、と思わていることでしょう。
亡くなった方もそうですが、残された方もそうなのです。
沖縄ではほんの少し家族の歴史を遡るだけで
本当に辛く悲しい引き裂かれ方をした事実が当たり前のようにたくさんあります。
その思いは、そんなことを体験していない子供たちの心にも
痛みの記憶として刻まれ引き継がれています。
私も沖縄へ来るまでは、戦死した祖父のことを
どこかおとぎ話のように記憶していました。
けれど、母やその兄弟、また祖母にとって
それは家庭の平安を根底から奪って取り返しのつかないダメージを与えるような出来事でした。
私はその痛みのさなかで必死に自分の人生を戦っている父母から生まれた子供です。
その痛みの痕跡は私の中にも無意識にしっかりと刻まれていました。
心の中に刻まれる引き裂かれた傷は
いつかは癒されなければなりません。
そうしなければ戦争は終わらないし本当の平和もきません。
このことは最近の戦争やその体験者に限って当てはまるわけではなく
人類の長いサバイバルの歴史の中でつくられた私たちの集合意識の中にあります。
すべては、こころがつくる。
人がそれぞれに持っているその創造の源の力に多くの人が気づき
そこに目を向け、共に使うとき
本当の平和が来るのでしょう。
今日も、こころとともに、自分を楽しみたいと思います。

台風も過ぎて

みなさん、お元気ですか?
私は最近、生まれて初めて「はだしのゲン」を見ました。
今Gyaoで無料配信されていてネットで見ることができます。
リンクを貼っておきますね。ここからジャンプできます。
アニメ映画ですが、とてもよくできていていい映画だと思いました。
すごくこわい映画だと聞いていましたが
(何度もリメイクされているので以前はそうだったかも)
全体にとても温かさが感じられ愛がいっぱいでしたし
とにかくゲンと弟の声の演技がかわいくてかわいくてたまらないです。
それだけで引き込まれるほどのびのびと、いきいきとした表情にあふれ美しいです。
日本が唯一の被爆国である、とか
後世に語り継がねば、という言葉は
物心ついた頃から聞かされてきました。
私は終戦から21年後にこの世に来ました。
それから44年経って、65年が経った計算です。
でも、沖縄へ来て、
戦争はまだ終わっていない、という言葉がとても真実に身近に聞こえます。
本当に、終わっていません。
こちらへ来て初めてわかった真実もたくさんあります。
本当に、すべてはちゃんと癒やされなくてはなりません。
そうでないと、今は戦争と戦争の間の小休止でしかないのです。
沖縄への移住のきっかけは
主人と見ていた終戦記念番組での沖縄の映像でした。
番組が終わっていきなり主人が
「ああもうこんなことしてちゃだめだ、沖縄に住もう、もっと人間を学ぼう」
と言ったのです。
沖縄へ行けば何がどうなるなんてことはお互い頭になかったのですが
私も二つ返事で「いいよ」と言いました。
主人の言葉の「こんなこと」というのは
日々の生活に埋没することだったでしょう。
沖縄になにがあるのかはわかわなかったのですが
埋没していてはできない、本当に取り組むべきことを
日々忘れないでいるための移住だったのかもしれません。
本当に取り組むべきこと、
それは確かにいつでもどこにいても取り組むことができます。
それは内面にあることですから。
ですがそれをしやすい環境を選んだり整えたりする工夫は必要なのだと感じます。
環境を選び整えると私たちは日々大切なことを忘れなくなります。
主人とよく話すのですが
若い頃ってなんてヒマだったんだろうということです。
同じマンガ本を何度も読んだり(さほど大切でもない)
暇つぶし、という時間が存在していました。
でも何度も読み返したい本は実は限られていますし
本当はまた必要になったときに手に入れればすむのかもしれません。
そう考えると、持っておかなくてはならない荷物は少なくなっていきます。
荷物が減ると、費やすべき対象もはっきりしてきます。
人生は取り組まれる時を待っています。
取り組まれた瞬間、遅すぎることも早すぎることもなくなってしまいます。

第44回

昨日8月4日につつがなく44歳になることができました。
祝福のメッセージ、本当にありがとうございます。
おかげさまで幸せな一日を送ることができました。
昨日は二人ともRuachでのセッション、アチューメントなどをさせていただき
沖縄でいただいているご縁に改めておどろきやよろこびを感じました。
私44、だんなさん33というぞろ目のペアになりました。
数字のメッセージは、天使の愛と助力があります、と、
アセンディッドマスターがあなたのそばにいます、ということなので
もう百人力です^^
夜は58号線を走るたびにすてきだなと思っていた
PIZZA HOUSEというお店へお食事に行きました。
建物は旧アメリカ領事館跡だとのことで
異国感情緒と歴史の香りがします。
(maruさんからプレゼントにいただいた
オーガニックコットンのカーディガンを羽織ってでかけました^^)
途中、車から天使とアセンディッドマスターからと思える贈り物が。
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天使のはしごというより、神の光臨という言葉がふさわしいほどの
真っ白い光線でした。
あの白はなんなの?とだいぶ興奮しつつのドライブでした。
沖縄ではお店のサービス体勢が残念なことが多いのですが
昨日はその点もとても気持ちよく過ごすことができてhappyでした。
お料理の運ばれるタイミングもすばらしかったです。
ウェイトレスさんはかなり年配の女性が占めていて
もしかしたら元飛行機の客室乗務員さんだったのではと思うほど
目配りや動作が洗練されていました。
特に私たちのテーブルを担当してくださったMASAKOさん
(だったと思う。ちなみに彼女は若手でした^^)
どうもありがとう!
お料理の味を3割以上引き上げてくださった気がします。
本当に、お仕事への厳しさ、きめの細かい心遣い、思いやりというものが
受け取る側への優しさ、温かさになるんだなと
改めて学ばせてもいただきました。
今日は朝から雨と晴れの繰り返し。
地を潤してくれています。
みなさんにも毎瞬の祝福がありますように。

後戻りのない幸せへの道

知ることでとても楽になることと
知らなければ幸せだったのにと思うこと
時によって両方ありますよね。
スピリチュアルを学ぶことはある意味
舞台裏を知ることでもあります。
きらびやかな表舞台と違って
裏では地味で汚い、とまでは言いませんが
わりとこつこつとした作業が山積みになっていたりもします。
ある日天からふわふわしたなんかが降りてきて
今日からあなたを女王さまにしましょう、とか
そういうことは起こりません。
けれど、今日からあなたという人生の主役に抜擢されます、ということは起こります。
主役というのは結構責任も大きいので
ほとんどの人は、躊躇したり怖くなったりします。
でも、よっしゃ、じゃあやります、と宣言し
何からしたらいいですか?と前向きにやる気になると
はい、じゃあ、これとこれを、というふうに差し出されたり
黙って足元に階段ができたり
誰かがやってきて、あのぉ、これ、やってほしいんですけど、
みたいなことが起こってきます。
そして、実際に一歩階段を上がってみると
ぱちぱちぱち、と羽のついた人たちや
神々しい光をまとった人たちが取り囲んで
後押ししたり、階段をぴかぴかに磨いておいてくれたり
次の一段を用意してくれたり
時にはおいしいドリンクとか、新しい靴とか、安心して眠れるお布団とかを
ご褒美に与えてくれたりもします。
そこでまだ主役に慣れていないと
あれ?こんなことやるつもりじゃないよ、
だって主役っていうのは冠かぶって、ドレス着て、座ってるんじゃなかったの?
とか
もっとみんなが注目してくれたりちやほやされたりするんじゃないの?
なんて思って
差し出された階段や注文のことはすっかりほったらかし。
なあんだ、変化とか目覚めってこの程度か
全然楽しくないじゃない
なんてことになってしまったりします。
もしくは
うすーくのばされてなーんか胸の中でもやもやしていたものが
お掃除の過程で一気に浮上してくると
以前よりむしろ辛かったり、自分の嫌な面とご対面することになったりして
もういや!やっぱり元に戻る!とか
自分はどうなっちゃうんだろう、とか、不安に陥ったりということもあり得ます。
そういうときにはやっぱり経験者や、サポーター、導き手の手助けが重要になると思います。
そんなときには、抵抗しない、ということが最も有効な手段になります。
痛みに対してこころとからだを開いておいてください。
そして痛みを完全に手放せるように願ってください。
願った後はそのことは忘れてしまってください。
意図して、祈って、実際に小さな一歩を踏み出すとき
そこに与えられるものは天からの間違いない贈り物です。
たとえ自分の好みじゃなくても、表面意識で望んでいなくても。
だから安心してそれを手にとって、今持っているものを使って
存分にがんばればいいんだと思います。
こんなはずじゃなかった、という考えが浮かんでも
いやいや、これが自分の魂が望んでいることだはず(うちなー弁)と信じて
そこでできることをみーんなやってしまうと
はい、卒業、次ね、という風に次のステージの準備が整います。
すごく遠回りに聞こえるかもしれませんが
そうしていると、後戻りがないし、あれやこれやと迷わないので
結局一番シンプルで着実なんだと
この年になって思うようになりました。
自分のことで言えば
いつでも人数倍生き急いできたわりには
地道なことやってきたなーと思います。
でもやっぱり最短最速だった気もする。
時間なんて、あってないもの。
つまりスピリットの世界はそういうことなんですね。
たとえば結婚というものを私は40歳になって初めてしたのですが
自分の中で結婚とかパートナーというものに
理想を持てて実行できるまでにそれくらいかかりました。
理想というのは、自分の願望や利己的な思い、ネガティブな観念、欲望を浄化して
その向こうに共に目指すパートナーシップという生き方のビジョンです。
エゴには永遠はないですが愛は永遠です。
この世にない永遠というものを共に分かち合う(トレーニングする)のが
結婚だと私は思っています。
そんな理想を一緒にやってくれる相手を私は探していたんだと
今になればわかります。
そんな永遠ものの相手を探していた上に
何を探しているのかさえわからなかったんだから
引き寄せるのに時間もかかりました。
わかるようになるまでの練習も厳しかった(笑)。
それではっきり言えるのは
このパートナーシップは変化は常にしていくでしょうが後戻りは起こり得ないのです。
今の状態がこの先どれくらい続くのか、なんてことは
まったく問題ではない、ということなのです。
それが永遠なるもの=愛=神の探求の成果とも言えます。