世界を支える同志とともに

年末年始が大荒れということで
いつも穏やかなイメージのあるお正月も
不穏なイメージの幕開けとなりそうです。
でも、そんなの関係ねー♪
私たちの生存のための本能は
いつでも外界の変化に神経を澄まし
刺激や変化に対して
戦闘、或いは逃亡、という反応のために準備をしています。
確かにお天気の変化は死活問題でした。
その変化に鈍感で逃げ遅れた生物は
命を落としてきました。
でも、人間の文明は私たちに情報を与え
適切な対処をもって外界の敵を敵対すべきものではなく
協力、共存すべきものへと進化させてきました。
文明社会は、本能を弱体化させたかもしれません。
ですが、その代わりに理解、受容、和解という道へと
大きく導いてくれたのだと思います。
ですが同時に与えられた安全によって混乱も生まれました。
役割によって成り立っていた社会の規律も
獲得という目的も奪われ
これまで人が慣れ親しんできた喜びも色褪せました。
でも、これは何一つ嘆かわしい変化ではないはずです。
この一見損なわれたかに見える損失は
すべて愛という原動力によって補え、置き換えが可能だからです。
私たちは今を生きることで
常に古いパラダイムの幻想を脱ぎ捨て
愛という無限の原動力を中心にすえて生き始めるには
本当に具体的で的確な進化が必要です。
それを「気づき」と呼びたいと思います。
今年一年、本当にありがとうございました。
来年も、ますますの発展と冒険とそれを支える勇気との出会いがありますように。

人生を分ける心の声

例えば以前の、どうみても自分を幸せだとは表現できなかった頃
一つの動作から次の動作に移る境い目の瞬間などに
ふと内面をよぎる感覚を言葉にしてみるなら
「ああ辛い、しんどい、疲れた、重たい、動きたくない、不安、…」
というような感じだった。
動作している時はその目的のために動いているので
その最中は一瞬感じないのだけど
次の動作に移る合間合間にそんなセリフが心から漏れるように出てきてしまう。
瞬間瞬間のことなのでよく観察しなければ
なんとなく気が重いなぁとか疲れているな、という感じに知覚されると思う。
それで、次の動作に移る時には
それを振り払うようにがんばったり勢いをつけないと進めない。
すると、一つの動作をするのがとても重たくきつく、
からだにヨロイでも着けている感じになる。
この、ずっとがんばっている状態を続けると
だんだんと人生に疲れてくる。
それで私は気がつくとよく
「人生に疲れた」と口にしていた。
知り合いからあいさつに「元気?」と問われると
思わず正直に「ん~…疲れているかな、人生に」
なんて答えてしまい、相手を当惑させてしまっていた。
不幸の手紙の配達人みたいだ。
これが続くといわゆるウツと言われている状態になってくる。
動作と動作の合間の心の声は
潜在意識の無限の空間に蓄積された記憶から出てくる。
ネガティブと判断された未浄化の感情とともに記憶された記憶は
この現象界との接触における様々な動作に付随して無意識に浮上しては
心身に重荷を課す。
この潜在意識の古い記憶を浄化していくと
この動作と動作の合間の心の声が変わってくる。
「ああ、幸せだなぁ、ありがたいなぁ、穏やかだなぁ、軽やかだなぁ、安心だなぁ」
という風に。
最近の私はすっかりこれで
ご飯の買い物にスーパーで、とか
朝目が覚めたばかりの時
パンとコーヒーの匂いをかいだ時
仕事や家事の合間などにこういうセリフが漏れてくる。
観察するとあちこちで漏れているので
せっかくだからなるべく口に出すことにしている。
この、動作の合間の瞬間の心の声がエネルギーとして
次の動作の表現を選択したり
似た波長のものを引き寄せたりするのだと思う。
無意識に近い領域のエネルギーが働いている。
潜在意識が変わると
この合間の声の主張が変わってしまう。
この声が変わってこないと
いくら頭でがんばっても
引き寄せだったり、成功哲学だったりも
なかなかいい風には機能しない。
わかった、と思っても何も変わっていないのだ。
それともう一つ
この声は、理屈を言わない。
シンプルなフィーリングで中身が構成されているのと
結局のところ
ここを満たしてくれるのは愛以外にはない。
どんなに何かに成功しても達成しても
やった!というのは手に入れたその時だけだ。
次の瞬間からその満足は色あせ始める。
本当に満たしたいなら
コツコツと自分を愛する作業をするのがいい。 
過去を許し、自分に愛を与え、受け取る。
みんな自分と自分の中身とで行う。
地味そうだけど、
人生を幸せに変え、世界を変えたいならこれが最も近道だと思う。
私がセラピーでしているワークはすべてこの作業を推進することへ向かっている。

愛をあえて語るなら

2010年もまもなく過ぎ去ろうとしています。
沖縄という地に迎えてもらって早2年になります。
たくさんの方々と、心の内側に触れ合わせていただけたと感じています。
セッションにはこの沖縄の全域から、また県外からもいらしていただき
レイキのアチューメント、ヒーリングでは
全国と海外の方とも繋がる機会を与えていただきました。
すべてが私という存在へのギフトだと
心から感じることができます。
内側の苦しみを打ち明けてくださる言葉も
そして、目覚めや回復を体験なさる中でいただいた喜びの言葉も
ともに私の奥深くへ届けられる贈り物でした。
東京在住のある男性からいただいた
レイキアチューメントの感想の言葉を
私自身と、皆さんへの祝福として
ご紹介させていただきます。
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 遅れましたが昨日のセカンドアチューメントありがとうございました。
 とても強いエネルギーを感じました。
 温かくて、やさしくて、眩しくて、ひたすら感謝の気持ちでいっぱいでした。
 人生でこんな気持ちになることなんて滅多にないと思っていましたが、あるんですね。
 自然と涙が溢れるほどの感謝という気持ちが。不思議です。
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この言葉を読むだけで
私の中にもある感覚が流れていきます。
なんの理由もなく
人生にはこんな思いが溢れていていいのだと
そんなメッセージが伝わります。
心静かに、このメッセージを読んだとき
溢れてくるもの
愛について言葉にするなら
こんな風に伝えることができるのでは、と感じます。
どうぞ、愛溢れる瞬間をお過ごしください。
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糸満観光農園のイルミネーション すてきでした。

2010-2011

いよいよ冬至、皆既月食、今年最後の満月ですね。
そしてクリスマス。
年末です。
2010年から2011年に向かって
お掃除進んでいますか?^^
Ruachは年末31日17:00まで営業します。
年明けは4日火曜日よりスタートです。
天体の力を借りつつ
多くを手放し
たくさんの光りが流れ込むことを祈ります。
皆さんに祝福を!
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別々にいただいたブーゲンビリア。
ほぼ同時に咲きました。

豊かさを引き寄せる

人生を変えるような劇的な霊的体験をするのは
たいていどん底を経験して、とか、にっちもさっちも行かないところから奇跡の救済が、
というような人が多いようだが
決してどん底経験が必須なわけではなく
ただ人という生き物が、変化を恐れるという特性から来ていると思う。
本当に、もう捨てるものがないや、という状況にならないと
人はなかなか変わろうとしない。
誰もが人生を今より良くしたいと思うだろうが
良し悪しにかかわらず
変化するには、これまでの状況を離れる、手放すという作業が
意図的であれ無意識であれ必要であり
その手放す行為を、人は無意識に恐れ、拒む。
だから本当に追い詰められたり
選ぶ余裕がない状況にならないと
その一歩が踏み出せない。
私も本能が発達した恐がりの部類で、
何か状況を変えなくてはならないときには
大体いつもお金に困っていた。
生活が安泰だったら、思い切って次に飛び込むことをしなかったと思う。
だいたい勇気が必要なときには
生活に困ってるんだから、がんばるしかないんだ、という状況になった。
だいたいがノーチョイス、来たものはとりあえずありがたく頂戴した。
あとから振り返ると、その時、全然やりたくなくて仕方なく始めたことが
奇跡のようにすべて役に立ち統合されている。
よくスピリチュアルなんかで
やりたいことだけやるのがいいこと、みたいに言われるけど
自己の狭い視野と知覚で「やりたい」なんていう目先の欲望を
人生の指針にするにはあまりに頼りない。
恐れから少し自由になってくると
お金の不自由さも去っていった。
それは、内なる指針を信頼して
その導きに従って(受け入れて)生きる生き方を
徐々に体得したからだ。
外的な状況に対する反応、ではなく
内的なエネルギーの導きに従う、というように
主導権を替えた。
乗り物のエンジンを取替え、精密なナビが着いたような感じだ。
豊かさが、内面から来るというのは本当のことだ。
引き寄せがうまくいっていないと思う人は
内面の恐れに目を向けるといい。
欲望、欲求を正当化して
内面の恐れをごまかしていても
豊かになることはない。
内面の完全な自由と無限の豊かさをせき止めている恐れは
自分をどのように制限しているのだろうという見方をする。
その制限は、恐れから来ていると覚えておくといいと思う。

目隠し

心のブロック、というのは
無意識に自分につけた目隠しが風化したようなもので
自分ではずそうとしてもなかなか難しいものだ。
それを見つけて一緒にはずすのが私の役目だと思っている。
内面に立ち入る許可をいただけるかどうかがとても大事で
いただければ本当に奇跡のような変化をご一緒させていただける。
目隠しのない意識は本当に無限であって大いなるものだから
目隠しという隔てるものがなくなると
あるがまま、今ここ、一なるもの、というところへ近づくことが可能だからだ。
奇跡に立ち会うのは神聖で驚きと喜びに満ちたことだ。
このお役目に選んでくださる方々に
いつも畏敬の念を感じている。

私に贈る

苦しむ人は幸いだ。
救いを求めることができる。
求める者には、それが与えられる。
救われた者は、
二度とその光から身を隠すことはないだろう。
その光を与えることを選ぶだろう。
与えるとその光はさらに輝くことを知っているから。

旅の途中

12月だというのに、昨日は初夏のあったかさ。
今日もまずまず温かい日和です。
昨日は北中城村にある中村家住宅と中城城跡へ行ってきました。
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いつも思うのですが
ゆっくりと沖縄を味わうのなら
シーズンオフと言われている涼しい時期がありがたいです。
ゆーっくりといつまででも景色を眺めたり
歴史や自然を存分に探索したりができます。
またそういう風に味わうと本当に味わいどころ満載の島だと思います。
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これは近所の数日前の夕日。
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修練

女優という職業に就くと決めたとき
両親は芸能関係者だったため
関係者の知人の方々に会わせてくれた。
ムーミンパパやトトロの声でとても有名な
故高木均さんは父が親しく
私たち3きょうだいが子供の頃からかわいがっていただいた。
後に私が81プロデュースという事務所にお世話になったときは
均さんもいらして
何度か現場でもお仕事をご一緒させていただいている。
均さんは、女優になるために何をしたらいいですか?と尋ねると
「太極拳がいいよ。太極拳はやったほうがいい」とおっしゃいました。
私はただの高校生だったので
太極拳はいいけど、もっと具体的な方法を教えてください、という感じだった。
でも今ではその意図がとてもよくわかる。
大学の演劇専攻へ進み、
最初の1年間は一言もセリフというものを言わせてもらえなかった。
舞台に立てないのはもちろんだが
実技の授業の中でもセリフは一言もしゃべらない。
演技はセリフを言ってなんぼと思っているから
本当になんでもいいからセリフで表現したくて仕方ないのだけど
1年生はひたすら野口体操という不恰好な(いえ、本当はとても美しいのだけど)体操と
リトミック、声楽、あとは座学をやり、
先輩たちの舞台の裏方に徹する。
でもその時期に学んだことは本当に莫大でかけがえがないものだ。
今はわかる。
催眠療法のセラピストになったとき
採用されてから半年間、仕事がなかった。
その間は研修期間なのだが
教わることはどうってことないマニュアルであって
独学と毎日1時間以上の瞑想が課せられていた。
収入がほとんどなくなってしまったので
菓子パンを2つくらいかじりながら泣く泣く勉強していた。
なんでこんなことしているんだろうと何度も嘆いたけれど
その時は他に道がなかった。
でもあれは本当に正しかったと思う。
人に伝えることができるものとは
内側に生まれ培ったものだけだと私は思う。
人生は魂が本当に願ったことがかなえられるが
かなえられる方法は人智を超えている。
魂の望む道を願い
今ここに与えられているものが最も神聖な答えだと知ることが
本当は最も豊かな生き方だと思う。

あしたのジョーと宇宙戦艦ヤマト

なぜだか、あしたのジョーと宇宙戦艦ヤマトがこのごろ実写で映画化されている。
どちらも私の父の(声の出演の)代表作だ。
私は生まれながらにテレビから流れる父の声を聞いて育った。
あしたのジョーはものごころついた頃から繰り返し再放送され
高校生になっても、クラスの男の子達は
あしたのジョーやっているから早く帰ろうぜ!と
放課後そそくさと帰っていったのを覚えている。
ヤマトのほうは、テレビアニメで宇宙で戦争する、なんてもののはしりだったと思う。
毎回番組の最後に
「地球滅亡の日まであと285日しかないのだ」とナレーションが入るのがこわくて
小さいほうのテレビでおばあちゃんとフランダースの犬を見たりしていた。
ヤマトの人気のおかげで日本では初めて声優という職業が脚光を浴びるようになり
父の人気はすごかった。
ファンクラブがあって、
バレンタインデーにはダンボール何箱分かのチョコレートをいただき
私たち3人きょうだいは、それはたくさんのチョコレートにありついた。
今振り返ると父は特に人気というものに奢ることも浮かれることもなく
いつもぴりぴりと生真面目に仕事に取り組んでいた。
ただただ完璧な仕事をすることだけしか頭になかったように見える。
父は舞台をとても愛していた。
声の仕事は、元々新劇の役者さんたちのアルバイトのようなものだった。
父は、舞台とは見た人の人生を変えるものだと言い
一方、声の仕事は「排泄物だよ」と言っていた。
決して声の仕事を卑下したわけではないと思う。
舞台のように無から有を生み出す壮大な創造物と
声の仕事のように普段培ったものを瞬間的に放出するしかないものとを対比したのだと思う。
しかしながら、父の声の仕事はまことに天才の業だったと思う。
ミクロン単位でどこを切ったとしても
その切り口には愛とか魂とかが宿っているのだ。
父という人の愛は相当にいびつで傷ついているはずなのに
彼の表現には恐ろしいほどの密度で存在している。
神業のように。
本人はどこまで自覚しているのかすらよくわからない。
時々すっとぼけたトーンで「みお、お父さんは、かみひとえだな?」とか言ったりする。
私は心底爆笑してしまう。
意識の光と闇のあちこちを旅した人だけれど
父の内なる神を私はわりと素直に感じることができる。
「みお、人生は魂が見ている一瞬の夢だ。
思い切り好きなように生きて、納得して死にな。」
自称無神論者の父の言葉。

歌ってきました

皆さんの応援を胸に^^
久々に那覇のライブハウスで歌わせていただきました。
またしてもめっちゃびっくりのサプライズで
本当に世界は小さすぎる、という事実を突きつけられたりして
沖縄ではもうこれが当たり前なのか、と思わされたりしています。
久しぶりの歌の感じはと言いますと
歌わない間に少しばかり自由度が増していました。
内なる自由さが反映されているのを感じることができ
個人的にとても満足です。
オーナー、店長はじめお客さまも本当に温かく
親密な空間でのライブでした。
飛び込みで一人でいらしたお客さまは
那覇マラソン完走のメダルを首からさげて
沖縄の旅を心から楽しまれたご様子でした。
ご挨拶をしますと
「本当に、最高です。こんな楽しい思いをさせてもらって、沖縄最高です。」と
おっしゃって
私も、彼にとっての沖縄の1ページなのだな、と今朝改めて思いました。
ところで昨日の昼間は久しぶりに山の茶屋 楽水に行きました。
南部のあちこちのカフェに行きますが
ここはかなりお気に入りです。
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