海は一つだって本当?

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主人と主人の両親と、阿嘉島へ行ってきました。

慶良間諸島の一つの島です。

世界でも有数の透明度を誇る海と聞いていましたが

聞きしに勝る美しさでした。

あんなに美しいものを見せられてしまうと

人間が当然の権利のように様々なものを汚して後始末をしない行為というものが

恥ずかしくなってきてしまいます。

沖縄に来てはっきりと見せつけられるものの一つに

「海の美しさは人口密度と反比例する」という事実があります。

南部から北部へ上がるほど人口密度は減り海の透明度は上がります。

初めて見たとき「しまった、南部に住んでいる場合じゃなかった!」と

声をあげてしまったほどでした。

離島はさらに桁が違います。

北野武さんが、自然を守ろうなんていうなら人間が絶滅するのが一番いいんだから、と

テレビでおっしゃっていて

実際、人間が生きることで汚さなければ

海も空もそれはもう、天国のように美しい。

自然を守りたい、なんていうセリフが戯言に聞こえてしまうほどです。

地球の元々の美しさが私たちに問いかけてくるのは

「地球を守る」なんていう僭越な考えではなく

「少しの間場所をお借りしている」という謙虚な居住まいなのではと感じます。

「美」は地球の大地もこの肉体もともに天からの借り物であるという智恵を

私たちに思い出させてくれます。

憩いです

You Tubeでみつけましたアニメの「風人物語」。 

当時から好きだったけど、今見ると改めていいなと思いました。

私も声の出演しています。

4'30~5'30くらいに出ている保健の女医さんが私。

ちなみに第5話「保健室物語」では活躍します^^

「風」が主役のアニメなんです。 

 http://www.youtube.com/watch?v=xco-508zimY

どんなときでも、今私たちにできること

「自分を愛する」ということは究極的に自己成長した証だと思う。

人間はまだまだ愛についてよくわかっていない。

それでも内奥にある真の自己が「愛」について納得したり、それを求めることで

魂は何かにひきつけられたりひきよせたりしながら

それを学ぶ体験のチャンスに出会う。

 

私は随分前から「人間は幸せになる義務がある」と考えてきた。

そういうとまず「じゃあ自分だけ幸せならいいの?」という疑問が聞こえてきそうだ。

それは恐らく「自分の欲望、欲求だけが満たされればいいの?」という質問だ。

もし、自分の幸せが自己の欲求、欲望を満たすことだと信じることができるなら

そうしてみるといいと思う。

するとそれではないということに心底気づけるかもしれない。

もしかしたら一つ満たされたら次々と欲求を満たすことに夢中になってしまうかもしれない。

けれど「自分を幸せにすること」と本気で追及していたら

いつかはもっと深い真実に出会うだろうと思う。

今世かもしれないし、魂が肉体の乗り物を何度か経た後かもしれないけれど。

 

多くの人は自分の本当の欲求を自分に隠して

表面的な欲求を満たすことで代用している。

潜在意識に欠乏を与えるのも、それを満たすのも

本当は愛しかない。

けれど私たちは愛の姿を簡単につかむことができない。

 

様々なことを学ぶ前に愛だけをつかむことは不可能だ。

おぼろげな愛に似た感触を頼りに私たちは愛をからだとこころに染み込ませる。

真の自己が知っていたはずの愛という光を、音を、温もりを思い出しながら。

 

スピリチュアルに覚醒するというのは

ビジョンを見るとか何かを予見するとかサイキックであるとか

そういうこととはほとんど関係がない。

内なる真の自己が知りうる愛という最高次元のエネルギーを自分に与える許可を与え

求め、受け取り、委ね、、親しみ、ひとつになることだ。

心も感情もからだもこころも態度も言葉も行動も

どこを切っても光と愛に満ちていることだ。

 

そういうからだで世の中を眺めてみるとおそらく

自分だけが幸せになるなんていう考え自体が

議論の余地のない間違った科学方程式のように見えるだろう。

 

今どこにいようと何をしていようと、どんな状況にあろうと、

私たちにできることは

今いる場所からその一歩を歩むことだと思っている。 

次世代エネルギー=愛です^^

先日、出先のテレビでちらっと見たのですが

「石油が作れる藻」の話です。

ほんとにちらっとだったので、今調べてみましたが

5月29日の夢の扉という番組のようですね。

藻で石油ができる、なんていうと

きっとできるといっても取るに足らない量なんだろうと思って見ていたら

世界の40%をまかなえる、とか、コストは1リットル50円にできる、とか

日本の石油輸入量に匹敵する量も作れる、とか!

「地球温暖化」が核正当化のための作り話だとすれば

石油の藻、希望があります。

こういった希望の種を

人間が希望のために使えるよう

心の成長をみんなでがんばらなくてはなりません。

一人一人が自身のエゴに取り組み解体することで

地上のすべてを

愛を持って取り扱うことができるようになるはずです。

その時、そこにある世界は

愛中心の

愛が原動力の世界なのでしょう。

楽しみです。 

見えざるものを見る

先日のお休みは、近所のビーチの砂浜に寝そべってプラーナを眺めていました。

眺めるなんていう半端なものではなく

少しこころを静めてみると

視界がプラーナでうまっちゃうんじゃないかというくらいの量です。

プラーナは物質よりも高い次元のエネルギーと言われていて

光の粒がぴょんぴょんと不規則に飛んでいるように見えます。

日よけに持っていたUVカットのカーディガンを顔の上に乗せて目を開けていたら

空に浮かんでいたのと同じようにプラーナが見えます。

ちょっと意外な感じだったので、だんなさんにも布をかぶってプラーナを見てもらうと

やっぱり同じように見えたそうです。

布ごしに光を見ているという感じでもないところが不思議です。

つまり目で見ていながら、視野を遮っても視野の中に見える。

この次元のものでない、という感じがなんとなく実感されておもしろかったです。 

人は本当に体験したことしか学べないのか

実際に自分がそういう目に遭わないと人は学ぶことができないものだ。 

それはある種の正解であると思う。

人は蒔いた種を刈り取らねばならない。

因果律という宇宙の法則だ。 

欲望は解消されない限りこの因果律から解放されない。 

解消のためにはすべて果たされればいいが

それは成就しないものだ。

なぜなら欲望は更なる欲望を呼ぶから。 

けれどもう一つのやり方がある。

それは「叡智による解消」である。

叡智による解消の方法が瞑想だ。 

読んで、書いて、考えて、瞑想。

そうすることで、私たちは転ばぬ先の真実の杖を持ち

その先の一歩を踏み出すことができる。 

たとえ今日どしゃぶりだったとしても

地球全体を家族のように思う人にとって

心痛の絶えないこのごろです。

上のお兄ちゃんと二番目のお姉ちゃんはけんかばかり。

3番目の子は怯えて心を閉ざしているように見えます。

お父さんは正しいことを言いたいのに

何が正しいか迷っていてイライラですし

お母さんは心配のあまり叫びそうになってしまいます。

 

でもみんながどんな状態だったとしても

みんなの願いは

家族みんなが互いに愛し合っていること。

たとえ今は笑顔になるのが難しくたって

泣いたって怒ったっていいじゃない。

一番さみしいのは

誰も顔を見合わないこと。

心を触れ合わせないこと。 

目をそらして

心をそらして

家族が互いの存在を心から追い出してしまうこと。

 

晴れの日も雨のときも

悲しみの日も苦しみのときも

お互いに心を開いて

目を合わせて見つめあいましょうよ。

忙しいときほど

誰かのことをしっかりと感じていましょうよ。 

そして「愛しています」と

心の声が我慢できずに言葉にするまで

心が開くのを待ちましょう。

「ごめんね、あなたに怒ったんじゃないの。

ただ、気持ちをわかっていてほしかった。

わかってもらえないと思ったからさみしかったんだ。」

そう口にしたとたんに

心は溶け合い、優しくなれる。

本当は互いを求め合っていただけなんだと気づく。

時にはそっと見守り

時には声をかけて

時には叱って

時には一緒に笑って

いろんな気持ちがあるように見えるけれど

その心の底に

あなたが幸せでありますように、と願う気持ちがあれば

私たちは少しずつ前に進むことができる。