社会科と意識の進化

私は今になっても右翼と左翼の明確な定義がよくわかりません。先日もそれでググって調べていました。脱原発は左翼だ、というようなことを公人が言っていたりして、私も脱原発賛成なので左翼なのかなーとか、政治家の発言を聞いていると、まともだなーと思うのが共産党だったりして、私も共産主義者なのかしら、とか、一人で突っ込んだりしています。でも強いて言えば私は自由と平和が好きです。既存の言われているものではなく、より本質的なそれ、を志すものです。

右と左は根っこは一緒、という意見もあります。左翼とは正義感がやたら強いバカ、と定義している人がいて笑いました。右翼は自国の伝統や歴史に誇りを持っている人、とか軍事国家主義とか愛国者とか・・・。元公安の菅沼さんという人がおっしゃるには右翼の運動しているあの大きな音を出す車は暴力団の資金稼ぎで、その内部は在日朝鮮人や被差別部落出身の人が多いとのことで、いわゆる右、という思想と一般に見かける右、また政治におけるそれ、は実態が一つではないようです。そしてどうやら一方が他方の悪口を言う時に使う言葉でもあるようです。だから絶対的な意味も実態も本当はないのかもしれません。

311が起こり原発の問題は潜在的に在る社会の構造と歪みと汚染をあぶりだし続けているように思います。311がきっかけで意識の内面に目覚め始めたという人は実際にとても多く、私のところへみえる方からもよく伺います。結局のところ、この世は菌の世界と似ていてこの菌バランスによって世相が形作られているように思います。ただしそれは考えによってではなく、内面のエネルギーによります。考えていることというのは潜在意識の100万分の1と言いますがその通りで、潜在意識にどういう信念を保持しているか、その保持している信念のエネルギー(振動)で全体=集合意識の様相が決まります。決まりますといってもこれはとどまることなく変化し続けていますが。

人間はうにゃうにゃと変化し続ける流れに流されるようでいて、その流れそのものを作るファクターにもなっているわけです。そう考えると、社会を変えたいのであればやはり自分の意識が変わること、具体的には広がることが重要だと思います。何かを否定し別の何かになるというイメージより、より広がる、より高いところから全体を見渡し、決意すること、意図することで、要は「どんな思いを信じるか」で全体は変化していくはずです。

私がよく、自分を幸せにすることが一番大事、というのはこのことです。私で例えるなら、私は以前心のなかに想念がいっぱいに詰まっていた時には、願いや思いや意志や意図はことごとく実を結びませんでした。祈りというのはなんと虚しく踏みにじられるものだろうと思っていました。何度か書いたことがありますが、神をも呪う気持ちがありました。それが今ではこんな人になってしまいました。(笑)この差はなんでしょう。

要は自己意識=潜在意識のお掃除をせっせとした結果です。人間の自己意識にはものすごい思い込みが詰まっています。例を挙げるとキリがないほどですが、例えば、AさんがBさんに「絵がうまくてすごいね」と言うと隣にいたCさんは自分の悪口を言われたように感じる、というような感じです。誰もCさんを悪くなど言っていないのですがCさんは勝手に気分を害したり落ち込んだり傷ついたりしています。CさんがAさんに好意を持っていたり高く評価していたりまたBさんに元々少しライバル意識を持っていたりすればそういう思いは強くCさんを揺さぶったり苦しめたりします。この時Cさんの心の奥には、自己評価に対する思い込みがあります。自分で自分の価値を認めることが難しいので誰かの評価を必要としています。また、好きな人に愛されたいと願うことは普通のことですが、好きな人に高く評価されないと愛を得られない、という信念もあるかもしれません。これは幼少期にお母さんとの関係の中で作らる反応のパターンであったりもします。お母さんに評価されないと愛を得られない。お母さんの愛を得ないと自分には存在価値がなくなってしまう、という恐れを子どもは生存の本能と愛情欲求の双方の動機から強く信じる傾向があります。そういった信念は問い直されることなく人間の潜在意識の中で生き続けて別の人間関係に投影されていきます。

今のは思いつきで書いた例ですが、心はあらゆる場面で自己評価、存在価値への思い(込み)と照らし合わせながら反応し続けています。ですから、個々の価値観というものは白か黒かで分けることのできないものです。ほぼ、愛情欲求と自己評価と生存本能の感覚的な記憶からくる反応なのです。

例えば私の傾向を言えば、きれいなもの、美しい言葉、またシンプルな正しさというものが好きです。これは、これだけとれば美点のように見えます。しかしその奥の動機を見ると、ここなら安全で安心だというエゴの傾向も含みます。不安を埋めるためにはきれいで正しいものを求めるという傾向があります。ですからとてもごもっともなことを一生懸命に主張している間にとんでもない罠にハマっている、というようなことは起こり得ることです。こういう傾向は、今の社会問題を解くにあたってとても注意しなければならない部分だと改めて感じています。このように何事もある傾向には両極や多面的な可能性が含まれるものであって、それ自体に良し悪しはないのです。

そこで、この世はどうせこういうものだ。だから欲望のままに生きようとそれを信じる人もいるかもしれませんし、またそれでももがきなからがんばって生きようと思う人もいるかもしれない。できるだけ波風立てずに、とか、自分を取り囲んでいるごく狭い範囲に視界をフォーカスしてそれに対応し、あとは起こったことにだけ対処しようというやり方もあると思います。どれもごもっともです。そしてそのどの方式を選んだとしても結果は大差ないのかもしれません。

そこで、です。では、なぜそうしてまで人間は生きるのだろう、という問いが意識の中に浮かんではこないでしょうか。

私は人生の旅というのは本当はそこから始まるのではないかと思うのです。人間が人間たる所以はなんだろう、という問いです。スピリチュアルの問いかけというのはここからしか生まれてきません。ですから、スピリチュアルというのはライフスタイルや生き方の選択肢ですらないのかもしれません。それは外側を見て考えているだけでも旺盛な生命力にまかせて生きているだけでも決して出会うことのない根源的な問いかけに耳を傾けることです。その問いかけの答えを探し求め、みつけ、そしてそれを手放し、生に没頭し、また気づき、実践し、考察し、また手放す。こうしていると全体は熟成し形を成し、またその形を意識が超えていき、形は破壊される。こういうふうにしか人間宇宙は進化しないのかもしれません。ですが、この体験をするとしないでは世界が違います。また小さな一つの選択に、真実の愛を持って行えるかどうかも違ってきます。

私はある頃から愛という言葉を率直に使うようになりましたが、愛とエゴという言葉は本当に一般用語として一般通念として使うことが難しい言葉です。エゴに凝り固まったあの人、という言葉は同時にエゴに凝り固まった自分を指さします。でもそれは悪とも利己主義のこととも違います。あの人が見えない時、私たちは自己を見失っています。ただ、そういう視点に立っているだけです。見えなくしているものの後ろに自分が隠れているだけです。

私たちが意識しようがしまいが私たちはスピリチュアルな存在ですし、神から愛され生かされています。ですが、それを意識しないうちは私たちはそう生きるしかありません。そしてその人が作る世界はそれです。その気づきがいつどのようにして訪れるのかも自分で気づくしかないことです。私たちはそういう意味で自由です。しかしその自由というのは不自由さを選ぶ自由という意味です。

意識すること。意識する自己を意識し、意識している意識を意識し、その意識である自己を意識すること。意識の拡大というのはこのようにしてなされていきます。私たちの意識が気づきによって拡大していくことが進化であり、社会の進化というものも結局はその進化を映し出す幻想にすぎません。拡大した意識はどこまでも、「それをも愛する」のだと私は思います。

プロフィールページを追加しました。

HPのAZUプロフィールに『表現の仕事歴』のページを追加しました。20代からの仕事(本業のみ)を列挙してみました。なんというか、ひどい思いの中にいた事の方が多い気がしますが、今となっては全部が宝物ですし、そこから学んだり身につけたことのすべてが私を生かしてくれていたことがわかります。

声優としての仕事ではアニメのアンパンマン184話のカレールーくん役、209話のランランくん役と、風人物語の保健の柊子先生役、それと『源氏物語千年紀』や旅チャンネルのナレーションなどが気に入っています。アンパンマンはゲスト主役で呼んでいただいたのに準備せずにスタジオに入ってしまいとちりまくりで皆さんにとんでもなくご迷惑をかけてしまい生きた心地がしない中の収録だったのですが、縮こまりながらOAを見たら我ながらよくできてました(笑)。しかし笑えない出来事でした。20代の時です。

風人物語はオーデションに呼んでいただき選んでいただいた作品で、アニメを全く意識しない演技ができた快心の出来、と自分で思っているものです。第五話保健室物語で主役になってます。

しかしすべては舞台の訓練あっての自分だと感じています。もし舞台と出会わなかったら私は自分の限界とか極限とか訓練、鍛錬というものと人生で向き合う機会を逃したのではないかと思います。臆病で怠け者で食わず嫌いの激しい、夢想家であたまでっかちの自分を叩きのめして叩き上げにしてくれたのが演劇と劇団という体験です。演劇は私にとって現実に出会った、神聖そのものでした。演劇は私の出会った現実の祈りと瞑想そのものでした。その体験とそれを失う体験から、私は内面の真の無限と神聖と真理に向かうことができたと思います。出会ったすべてに感謝しています。

創造する意識、それが人間

みなさんこんにちは。AZU WORLDへご訪問くださりありがとうございます。

お盆も過ぎ、先日は台風が来ました。今年は梅雨入りしたかと思うと雨が降らなくなりそのまま毎日快晴の繰り返しでしたが、ようやく変化が出てきた感じです。

本当にあっという間に時間が過ぎてしまいます。私も今年は47歳という年齢になりました。お祝いの言葉をたくさんいただき、この場で改めてお礼を申し上げます。私がこの世に生まれてきたことにありがとうを言ってくださる人がいるというのは本当に幸せなことです。そういえば、そんな人になりたかったんだった、と、本当に日々感謝ばかりが浮かんできます。主人と出会ってからちょうど10年なのですが、ついこの間という感じすらします。沖縄へ来てからは5年目です。はばからず言いますが、主人は私にとってこの地球に生まれてきて最大の贈り物です。もしこの贈り物がなければ、こうも穏やかに、地上で平安に生きることはできなかっただろうと思います。私がもっとも大事だと思っている瞑想すらも、こうも深く触れ合うことができなかったでしょう。地にこのような磁場を一緒に築いてくれるパートナーがいなければやはりインドの僧院にでも行かなければ瞑想していられなかったと思うのです。この幸せが世界の磁場を創る一助となることを祈ります。

私は人間がこの世に生きることは苦難に満ちていると思います。生きるのは誠に厳しいものです。私のセッションにいらしてくださる方は、よくおっしゃいますが、周りを見回すとみんな普通に生きていて、苦しんでいるのは自分だけのように思えます、と。でも本当はそんなことはありません。多くの人が人に言えない、見せられない苦しみを抱えています。また、それを忘れている人もいます。無感覚になって、外側を比べて自分を納得させている人も大勢います。どこをとっても不足していないのだから幸せに違いない、というように。ポジティブシンキングを遂行するために、内面を感じないよう蓋している人も大勢いるでしょう。とにかく地上の多くの人が、ライフスタイルを維持するために昨日のように今日をやり過ごすことに集中しています。不幸というハプニングが起こるまではなんとかこのまま行くのだというふうに。向きあおうとするのは、そのライフサイクルが破綻して、あるいはそれが形骸だけになり心がついていけなくなって、どうにも自己が変わらないことには進めない、と感じた人です。

多くの人は、不運は不運な人にだけ起こるものであって起こらない限りは自分にも平等に起こりうるのだということを忘れています。また不運な人は自分の中に何か重大な欠陥があってそれを修復しなくてはならないと思っています。でも、それらのすべては私たちの誰にでも起こりうることです。そこで、想像力の薄い人は起こるまではあり得ないと信じてるし想像力の強い人はもし自分に起こったらどうしようと恐れます。通常問題があるように見えるのは想像力の強い方の人です。

ですが本当は、その問題のすべては人類が潜在的に持っているものであるにすぎません。誰が先に気づいて自分のこととして取り組むかの違いがあるだけです。

私は想像力というのは人間の能力の進化だと思っています。想像力というのは本来、愛を感知し、肉体に降ろすために使われるべきものです。また愛を表現し、他者へ届ける時に使うものです。ですが、多くの想像力豊かで愛情に満ちた人が、そのパワーをおそれのために消耗して来ました。それは無理もないものです。地上にはサバイバルの意識で成り立つ社会が構築され、そのルールに則って幻想が展開されているからです。想像力は常に危機にさらされ脅かされる心を守るために使われてきました。

その想像力の使い方を、私たちは今、軌道修正する時に来ています。本来の使い方に戻してあげるのです。そうすると私たちは内なる源泉に繋がり、無限の力とともにこの地上を創造するものに戻れるのです。私たちは弱者ではありません。一人にひとつずつ、無限のパワーがついていて、それを使いこなすやり方が地上には降ろされています。瞑想と祈りがそれです。

やり方をマスターしてください。探求してください。正しく知れば、誰もが望む存在になることができます。必要を感じて、近々瞑想とスピリチュアルのガイダンスのためのワークショップを、できたら定期的に行えるよう準備しています。ご要望などありましたらご連絡ください。

多数決の虚しさをいつも私は思います。しかし、一方で、一人の人がなにを思いなにを信じ、なにを希望し、なにを感じて生きているか、それだけが世界を彩り形作っていくのだという真実に希望を持っています。社会の実情を知ってなにになると思う人もいるかもしれませんが、私は、なにを祈るのか、より明確に意図するためにできる限り今の状態状況を知っている必要があると思っています。カウンセリングと同じです。社会の病理や隠された要因に明かりを当ててよく見て、そして気づいていながらにして祈ることが必要です。それはすべて人が作り出しているものだからです。それも、私たち兄弟姉妹の意識が織り成しているものです。私たちはすべてつながっています。誰がやっているように見えても、私たちの意識がやっています。ですから他者のしわざに見えるのは私の無意識がそう見せているだけなのです。

今日も、自分がなにを思いなにを感じなにを信じているのか、ひっくりかえしながら探求したいと思います。

平和を創る真の法則

みなさんこんばんは。AZU WORLDをご訪問くださりありがとうございます。

今日は終戦記念の日。沖縄へ来てみると、沖縄戦の終戦記念日『慰霊の日』があり、県民はその日に祈りを捧げます。6月23日。沖縄はとっくに終戦していたのに本土では2度も原子爆弾が落とされ、まだ勝利を信じている人がたくさんいたのですね。

何度も書いていますが私の祖父も沖縄の地で兵士として亡くなりました。なんの訓練も受けていない満鉄の多分エリート社員で、劇団を主催する芸事青年でしたが。私が住んでいる南部のどこかにその肉体は埋まっていると思います。お墓には髪の毛と爪しか入っていないと聞いています。

私たち夫婦が沖縄へ来たのも終戦記念日にテレビ番組で(その時はたまたまテレビがうちにあって)放送されていたドキュメンタリーを見た時の主人の一言で決まりました。なんで戦争の話で決意したのか当時はわかりませんでしたが今はわかります。戦争と平和を通してもっと人間を学び、平和を創ることをしたかったからです。

私は今という時代に生きることができていることを魂にとって最高の幸運だと思います。私は多くの人の過去世の記憶をみさせていただいていますが、過去の地上に生きた人々の過酷さがいつも身にしみます。おかしなことですが、みなさんの過去世の生き様、そこから来る思いを目の当たりにしながら歴史を学んでいます。人間の思いがどのようにこの世を創造してきたか、本当によくわかるのです。

痛みの強いトラウマ的な記憶を持つ人生、また痛みに耐え切れず無意識的にこの世を送る人生。その想念の影響を私たちの潜在意識は引き継ぎ影響を受けながらまた今世のコード化された記憶を再現しています。私たちは真実に目覚めることでしかこのマトリックスから自由になることはできません。

今日はいらしてくださったお客さまの印象深いお話をご本人の許可を得て掲載させていただきます。

彼女はコツコツとご自身のトラウマ的なテーマに取り組んでこられました。本当に繊細で愛と清らかさに満ちた魂そのもののような女の子です。ご自身のテーマへの取り組みを一段落終えられましたが最近では『身に迫る戦争』についてよく考えられるそうです。

もしそのような追い詰められた状況になった時に、自分が果たして神の愛と繋がり正しい判断や選択や行為ができるだろうかと想像するととても不安になります、と。

このことは私もよく考えます。考えるというよりも、とてもリアルにイメージします。イメージできてしまうのでとてもこわい。そのこわさの中で自分がどのような状態になっているかと思うといたたまれなくなることもあります。

みなさんはいかがでしょうか。なるべくなら考えたくないことですが、今の日本の現状は、開戦前ととても似ているというのは事実だと思われます。違う選択ができるのでしたら回避したいですし、そのためにも各人各家庭でそれぞれの覚悟をする必要があるでしょう。(悪いことを考えると実現する、などという法則は真実ではありません。私たちの内側にあって無感覚に無視されているエネルギーが、解体されることなく現実化していくというのが本当です。うちにあるもの、また外から迫ってくるものには向き合って付き合うことが何よりのカルマの解消になります。)

彼女は障害のある子どもたちの教師なので、彼らに対峙する自分について常に問いかけをし自己意識を底からかき混ぜるようにして洗いなおし向き合っています。その姿勢や在り方に私は心を打たれます。

私の口から出た言葉はこうでした。「その時になればそうできると思います。すべては今の連続だから、今そのように生きていればその時にもそうなるでしょう。」「ですが、その鍛錬は恐れに慣れることでもその時に備えて準備するのでもなく、今、魂が満たされて充足して幸せでいることでなされると思います。そうであれば、必要な時に自己を差し出すことができると思うのです。」

私は話していてその言葉にも胸を打たれました。そしてその言葉を即座に受け入れていた彼女にも打たれました。今ここでこのようなことを語り合っている私たち自身の様子に打たれました。奇跡の風景を眺めているような感覚でした。

今ですら本当のことを言うにはとても勇気が要ります。本当の自分で在ることは高度な自己探求と鍛錬の成果でしかあり得ません。ですがそれがもっと過酷になった時にそうであれるかどうか、という彼女の自問とその在り方は、きっと人であれば誰もが可能な姿勢だと思うのです。生きる限り、人として愛を持った心であることを決して諦めない彼女の在り方。優しい人というのはそういう人のことだと思うし、人間であれば誰もがそうなり得るとやはり私は思います。そういう生き方をして満足するのは他の誰でもない自己と自己の魂です。

今すぐそうなるかどうかや、その方法がわかるかどうかは全く問題ではありません。ただそう在りたい、そうなりたいと願う心だけが必要です。そしてそのために探して求めるという探求だけが。求めよさらば与えられんという言葉は神の世の言葉で真理です。それは欲しい物を手に入れることではなく、心の在り方を言っています。私たちは心でしか真実を見ることも愛を知ることも満ち足りることもできません。心でしか本当に大切なものを手に入れられないのです。

今日の奇跡に感謝します。そして今を生きていることに感謝します。今この局面にあっても常に神の使者や肉体を持った本物の天使と触れ合えることに感謝します。

今日はそんな記念日でした。

すべての生命体に届けます

みなさんこんにちは。AZU WORLDへご訪問くださりありがとうございます。

私はヒーリングを行うようになり、ヒーリングと祈りは本質的に同じものだということがわかりました。そして、祈りというのはとても明確で寸分の狂いなく神へと届けられまたその応えは寸分の狂いなく私たちへ還ってくることもわかりました。

私たちに自己意識の浄化が必要なのは、自己意識に肉体意識の記憶が詰まっていると、その祈りの神からの応えをまっすぐに受け取りにくいためです。起こっていることを明確に受け取ることができないからです。

今日は私のお誕生日なので、私のとびきり好きな祈りを書きます。これは何度もご紹介している『生命の贈り物』という本の抜粋です。この本を手にする機会がありましたら、ぜひ5ページからの日本の方々へのメッセージを読んでみてください。圧巻です。そこに述べられているのはヒーリングと祈りの極意と言ってもいいかもしれません。

自己の癒し、自己意識の浄化、自分と世界の幸せと平和のために何かできることを探している方、この祈りをぜひ言葉に出してご自身の内なる神に届けてみてください。

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すべての人種・すべての国民・全人類・地球

そして、すべての生命体のための祈り

天にまします主よ、私たちはあなたの子どもです、あなたの謙虚なる子どもです。

私たちは、あなたに愛をささげます。あなたの不断なる愛と祝福に感謝します。

すべての人種のために、すべての国民のために、そして、全人類のために、私たちは祈ります。

お互いに対して、私たち自身に対して、地球に対して、地球の生命体に対して、私たちが与えた傷や、犯した過ちに関して、私たちは謝罪します。そしてゆるしをお願いします。

主よ、私たちを傷つけた人々すべてを、ゆるすことができますように、どうぞ、力をお貸しください。私たちが私たち自身を傷つけた諸々の時に関して、私たち自身をゆるすことができますように、どうぞ、力をお貸しください。私たちが傷つけた人々のすべてが、私たちをゆるすことができますように、どうぞ、力をお貸しください。

主よ、どうぞ、どうぞ、お願いします。主よ、感謝します、感謝します、感謝します。

私たちは、神のご助力により、お互いを、私たち自身を、そして、すべての生命体を、完全にそして完璧にゆるし、解放します。主よ、感謝します。

天にまします主よ、私たちが生きとし生けるもののすべてに対し、畏敬と尊敬の念を持つことができますように、どうぞ、力をお貸しください。そして、私たちの人生において、生きとし生けるもののすべてのために、平和と調和を達成するという、お互いに対する、地球に対する、そして、生きとし生けるもののすべてに対する、私たちの責任に目覚めることができますように、どうぞ、力をお貸しください。

主よ、私たちの意識と知性と行動を、善と愛と真実の内なる声と一致させることができますように、どうぞ力をお貸しください。天にまします、最も高貴なる神よ。

今、この時に、そして、永遠に。

天にまします主よ、感謝します。主よ、感謝します。感謝します。

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ハワー・ドウィルズさんのサイト】

統合のとき

みなさんこんにちは。AZU WORLDをご訪問くださりありがとうございます。

昨日は映画「ヘルプ」をDVDで見ました。このところ映画どころではないストーリーが日本で展開されています。でも霊的な目で見るとそれは目新しいものではなく、過去のドラマの再浮上です。私たちは常にお掃除を求められており、お掃除することでより本質を生きるという贈り物を与えられます。

「ヘルプ」はとてもオススメです。もう少し前に見たら「ああ、こんな時代に生まれなくてありがたいな」と、歴史を眺める気分で見たかもしれませんが、昨日は「今まさにこれ」というものをまざまざ見せつけられた気がしました。ですが、とても希望と救いのある、そして示唆に満ちた物語です。おうちで映画鑑賞なさる機会にはぜひどうぞ。

多くの平和を愛する魂が地球にやってきているのは真実です。ですがその多くが非常に居心地の悪い思いをしているのではないでしょうか。

或いはとても聡明で、目先のことをやりくりし、スピリチュアルの法則を使いこなして、仕事や人間関係に困らないようになるよう奮闘努力し、家族の問題をなんとか整理してみて、はて、幸せってなんだったっけ。あれ、私の魂がもっとすべきことがあったはずだけど、と、内側に違和感を感じている人も多いかもしれません。

魂の使命という言葉がよく使われますが、魂の使命はひとつしかありません。それは、愛を体験することです。多くの進化した魂は、愛というものがどうであるべきか、という見方をします。そしてそれを生きようと努力しています。ですが、それをするほどに、自己の不完全さ、不充分さに打ちのめされます。人間の、と言ってもいいかもしれません。

でも、その壁に直面しているとすれば統合の時は間近です。愛はどうあるべきかではなく、私達が愛をどう感じ、どう自己の中に見つけ、そしてどう自己に与えるかが重要です。それができたらあなたは世界を変える方法を得とくしたのと同じです。

望むと望むまいと、世界は移り変わります。今地上に表面化しているのは過去の痛みと貪欲の記憶の残像です。これをお掃除していこうと取り組む魂と、この古いストーリーを自分のものだと勘違いして遂行しようとする、眠っている魂に大きく分かれています。魂が眠っていると私達の肉体や本能はただ外界の刺激に対して反射するだけの道具になってしまいます。そして潜在意識の記憶というフィルムを吟味することなく上映してしまいます。眠っている魂が目覚めるには、目覚めている魂がより活性することです。浄化、祈り、愛の実践によって集合意識に目覚めの風穴が開き、光が流れます。

大事なのは意識することです。意識するというのは、「今自分はこの意識という宇宙でなにを創造しているのだろう。この私の内なる世界で私のエネルギーはなにを生産しているのだろう」という「問いかけ」」をすることです。そして内側でなにがなされているかを知るには「内面を感じること」です。

実は統合というのはこの道筋を通して行われます。私たちはハートで一つになるというのはこういうことです。

どうぞ探求なさってください。地球はみなさんの魂とワークしたがっています。「着地し、悠々と生きてください。あなたが幸せになってください。そのために私は持てるものすべてをあなたに与えます」と、母なる地球はみなさんに呼びかけています。