沖縄・あったか生活。


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さて、靴下重ね履き生活です。これはまだ4ヶ月を過ぎたくらいです。

これはやはりお客さまの中に何人か取り組みをなさっている方がいらして教えていただいていました。何人かの方が、靴下をサリーちゃんの足(わかります?)みたいに可愛くふくらませてうちにいらっしゃったのが出会いです。

和定食を食べ始めてから少しして、そのことを思い出していました。とりあえずうちにある絹、綿の靴下を2枚重ねて履き、それから本を読みました。進藤義晴先生の「万病を治す冷えとり健康法」という本です。新板も出ていますが私は古いものを読みました。レビューの中に「古いほうが厳しく書いてある」とあったので。厳しく実が詰まっている(厳密な)ほうが私は好みです。なんと80年代に出ていました。あの時代に。それが今になって受け入れられているのは解る気がします。本当におもしろいですし、自分の世界観と非常に通ずるところがありました。元々はお医者さまですがのちに鍼灸をなさっているし、中医学の考えに通じていらっしゃいます。

前回にも書きましたように、冷えというのは上半身より下半身が冷えているということであり、そうなると肉体の生命力は中途半端にしか循環しなくなります。頭寒足熱の反対になるので不健康なわけです。また進藤先生はなにより、心の冷えからの毒を強調なさっています。私も思います。冷えは、毒をためることなのです。どちらが先かといえば、心の冷えから毒がたまり、からだの生命の流れが滞り、さらにあたたまりにくくなる感じでしょうか。

それで、下を温めて上を冷ますよう、外側からも助けてあげます。それが、靴下を重ね履きするということなのです。進藤先生は最低3枚履きなさい、と書いています。冷え取りの達人は6枚、とか、10枚、とか、12枚、という人も大勢います。

私は今は3枚。不調を感じた時は4枚、履いています。(それくらいだとサリーちゃんの足にはなりません。靴も以前通りけっこう履けます)それも、お風呂のとき以外いつも。それで、これを始めると毒出しが始まるということでした。先生用語では「めんげん」と言います。これは主人の世界(鍼灸)で使う言葉だそうです。私のほうはてきめんにめんげんが出ました。なんと、皮膚に湿疹というかただれのようなものが出たのです。私はあまりそういうトラブルが出たことがなかったので驚きましたし、治るのか不安でしたが、多くの方の体験談と寸分違わずしばらくするとすっと治まりました。

実は靴下重ね履きに入る前にもう一つきっかけがありました。これは冷えとは関係ないのですが、主人が手の指に酷いやけどをし、その治療法を調べていて「湿潤療法」をみつけました。やけどといえばひたすら冷やし、薬を塗って消毒し、乾燥させて皮膚の再生を待つというイメージです。私は幼少期にけっこう酷いやけどを何度か経験していますので、治り方の感じも覚えています。

主人のは指の皮がかなり深いところから水ぶくれを作る感じだったので、これは時間がかかるな、と思いました。鍼灸師ですので、手の怪我はご法度です。しかも痛みが強く、眠れそうもない様子でした。冷やしても冷やしても紛れないほどです。夜だったので救急車も考えましたが、いづれにしても明日の仕事には支障が出そうでした。

湿潤療法は、けっこう多くの方が推奨していましたし、お医者さんのサイトもしっかりしたものがありました。要はまず幹部を密閉します。空気を遮断すると、まず痛みが治まります、とあります。主人は絶対信じられないという様子でしたが、試しにラップをきっちりと巻いて閉じると、じっとしていられなかったのが静かになりました。書いてある通りです。

それで、これはやけども傷もそうなのですが、水で洗うだけにして消毒をするな、とあります。体内から出る湿潤液が治すというのです。それをラップで閉じ込めておけば劇的な早さで治癒するそうなのです。受け入れるのにはかなり勇気が必要でしたが、とにかくあの痛みの引き具合が何より勇気と信頼をくれましたので書いてあるとおりにしました。

翌日、主人は嘘のように痛みなく、傷もしっかり覆って、支障なく仕事ができました。そして3日しないうちにほぼ治癒してしまったのです。これは奇跡を見るようでした。

こんなことがあり、人間の治癒力と、その引き出し方について新たな観点が生まれ、それと重なるようにして進藤先生の本を読みましたので、からだに出るめんげんもわりとすんなりと受け入れました。進藤先生んは皮膚にめんげんがでたら、水で洗って、痒ければ掻きなさい、と言っています。以前ならあり得ないと思ったと思うのですが、あのやけどの治療があって、なんとなく私の中では理解できました。

主人の鍼灸も、ヒーリングも、そもそも人間の持つ生命力を引き出すものです。その源泉は意識であり、意識のおおもとが神と呼ばれるものです。進藤先生はこのことにも言及されています。そして、治療はアトラクションみたいなものだとおっしゃっています。まずは大切なことに心を開いてもらうための方便みたいなもので、本当は個々が自身の治る力に出会うことが大切だ、と。この点本当に共感いたしました。つまり、個々が内なる神に出会うことが大切だ、ということなのです。

靴下効果はしかしながら、肉体面にけっこうな恩恵をもたらしてくれました。最初のうちは足がほてって寝苦しかったのですが、真夏の今はそうは感じません。足が温かいので、逆に上半身が冷えても体調を崩しません。変化は前回の記事にも書きましたが、その他にも体型がなんとなく変わったというのがあります。足首がすっきりしました。沖縄へ来てここ数年、歩くことと湯船につかるのが減ったのと、冷えと加齢のせいもあると思うのですが、ストレッチでも筋トレでもヨガでも脚だけはどうしても痩せなくなっていて、これはもう無理なのかなと思っていました。が、全体ではたいして体重は減っていないのですが(それでも減りましたが)脚から痩せるというのは長い人生でも初めてのことのように思います。これはだんなさんの撮ってくれる写真を見るとはっきりとわかりますし、外見にうといだんなさんも断言するほど違いがあります(あくまで当社比)。

私たちの世界では、必ずしも両極のどちらか一方が悪という見方はしません。中庸がいいのです。ですから極端なやり方や、ハウツー方式のセラピーには懐疑的です。でも冷えという意味では、そもそも下が冷えてしまっているのをバランスしてあげる手立てとしてとてもいいように思います。

この暑い時期からいきなりの熱い味噌汁と靴下重ね履きはいかがなものかと思いますが、夏は意外にもとても冷えます。そして冷えの温床を作りますので、何かの改善を求める方はお試しください。

植物性豆乳ヨーグルトに関しては「発酵マニアの天然工房」と言う本があれば仕組みがわかり、安心です。
味噌汁は、菌が生きてる生みそをお選びください。
靴下については冷え取り靴下でググると商品はたくさんありますが、ご興味があれば進藤義晴先生の本はお勧めです。
それから湿潤療法につきましても充分にお調べになってからお試しください。我が家には一応、解剖学、生理学などを学んだ鍼灸師がいますので、自己責任で行いました。現在はこの療法を採用しているお医者様がたくさんいますのでご自身でお調べください。

ちなみにこういった具体的な方法にも、我が家では、基本レイキ、プラスレイキは怠りません。治癒も栄養も療法もすべての力は意識の内なる神から来ます。その力を借りるのがヒーリングです。使える方はすべての場面でお使いください。あまり活かせてないなーという方はご質問いただければお答えいたします。ご遠慮なくどうぞ。

沖縄生活・食生活。


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真夏の沖縄を楽しんでいます。今年で6回目の夏を迎えることができました。

どうも最近では私は色白ではなくなったようです。うすうす思っていたのですが、先日近所のしょうえいさんに
「だんなさんはないちゃー(内地の人)に見えるけど、おくさんは、うちなーんちゅ(沖縄人)みたい。色もあんまり白くないしさー。内地の人は白いのにねー。」
と言われました。やっぱりそうか。来たばかりのころは
「やっぱりまっしろねー。」
と言われていたんだけどな。というか、東京でもずっと色白で通っていたんだけど。(笑)

それにしても最近はよく、おくさんはうちなーんちゅ?と言われるのです。これはけっこうすごいことだと思っています。沖縄の人は本当によく見分けるので、だんなさんが一番驚いています。信じられない、という感じで。なんというか、ちょっと嬉しいです。

先日は大学の同級生が遊びに来てくれて「ミオはさ、ちょっと沖縄の訛りがあるよ。その語尾の、さーとか、イントネーションが、こっちの人の言い方だよ。」なんて言われました。ちょーっとずつ、なじんでます。

今日は少し健康についてのお話。生活に取り入れてみて、合うものは続きます。昨年4月から、おうちで豆乳ヨーグルトを作っていることは何度か書きました。1年3ヶ月になりますが、旅行で家を空けた日以外、毎日食べています。そして当然ながらせっせと作っています。

これは親しいお客さまから教わりました。牛乳のヨーグルトと違うところは乳酸菌が植物性だということです。植物にはどうやらみんな乳酸菌がいるようなのですが、私はお米からいただきます。簡単に言うと、豆乳にお米を入れ、お砂糖(私は甜菜糖)と海塩を入れて発酵させます。植物乳酸菌は動物性よりもうんと強いそうで、おかげで豆乳でも簡単に作ることができます。

最初の数ヶ月は、特に体調に改善は見られませんでした。むしろちょっとおなかが張るような、ごろごろするような感じもありました。でもおいしかったのと(元々ヨーグルトや乳製品大好きなのですが、牛乳にはリスクが多いので控えておりました)おもしろかったので(発酵、本当に面白いんです)毎日食べました。

そして昨年夏のおわり頃に、冷えについて、心惹かれて少し勉強しました。だんなさんが特に年々冷えがひどくなっているように見えて、私は痩せにくくなっていたのもあります。だんなさんは冷えが高じて、夏は夜ものすごい寝汗をかいていました。だんなさんは中医学では陰虚という体質らしいのですが、熱が頭に昇ってしまい、足元が冷えています。

そもそも冷えというのは身体の下が上より冷えていることなので、二足歩行をする人間はほとんどの人が冷えていると言えるようです。でも冷えは、心や感情、感覚とも非常に関係があり、影響が強いのです。

私は以前は冷えもひどかったのですが、だんなさんとつきあうようになって鍼治療をいっぱいしてもらい随分いろいろな面で体質改善されていました。が、沖縄の長い過酷な夏の勢いにちょっと体調管理が甘くなっていたようです。夏はあったかいものをほとんど食べられなくなっていて、火を使う料理がとてもおっくうになっていました。料理だけでばててしまうような感じです。

そんなことがあり、昨年秋前ごろになって、とにかく冷えをとってやる、と決めました。

まず食事ですが、普通の和定食を定番にしました。ごはんと味噌汁と、火を通した野菜を中心にしました。これは、冷えとりラボというサイトを参考にしました。エドガー・ケイシーもアンチエイジングの鬼も、生野菜を中心にしなさいと言っているのですが、ここはあえてからだを温めることを主眼としました。酵素は発酵食で摂ると決めて。それからは毎日なにかのきんぴらだの煮物だのをいただきました。でも主役はあくまでごはんと味噌汁です。これは食べだすとあきらかに心身ともに良い感じを受けました。心が中庸にいやすくなります。

ごはんはもっとも中庸の食べ物だと言われているのですが、まさにそんな感じです。私は栄養素(成分)にはあまりこだわらずに、からだにどんなふうに働きかけをする食べ物なのか、ということを意識しました。

私は何を隠そう、人間は意識が進化し、カルマが浄化されれば外界の影響を受けなくなると考えており、やがては食べ物に頼ることなく、宇宙(意識)からエネルギーを得て生命を育めるという説を信頼しております。実際に食べなくても生きている人は地上にけっこういらっしゃるようです。いつだかずっと以前に、笑っていいとも、で、タモリさんもそう言ってました。ゲストにサンプラザ中野さんが出てらして、最近あまり食べないのだけどとても調子がいい、と語っていたのを受けての発言でした。タモリさんはご存知だったようです。私はまだまだ食べものに生かされておりますが。

ちょうどこの時期、味噌汁は塩分が多いから控えているという声をよく耳にしました。そしてその矢先、味噌汁の塩分は悪さをしないという研究結果が出ているのを見ました。

***以下コピー貼っておきます***(livedoorニュースからの記事です)

高血圧や生活習慣病などで、気にかかる塩分。これから気温が下がるにつれ、温かい味噌汁が美味しい季節だが「塩分を控えたい」という気持ちから、味噌汁を飲むのを我慢してしまう人もいるのではないだろうか。

 10月26日に行なわれた日本高血圧学会で、そんな思い込みを覆す発表がされた。共立女子大学教授・医学博士の上原誉志夫先生が「味噌汁は食塩摂取量の独立した決定要因ではないと明らかになりました」と報告。具体的には、以下の3つのポイントが挙げられるという。

【1】味噌汁を飲んでも血圧には影響がみられなかった
 味噌汁の摂取頻度別で、低頻度群:5日間当たり0~2回、中頻度群:5日間当たり3~5回、高頻度群:5日間当たり6~15回の人を比較した際に、血圧への影響は確認されなかった。

【2】減塩のために味噌汁を減らすことにあまり意味はない
 味噌汁の食塩摂取量への寄与率は約2%で、味噌汁は食塩摂取量の独立した決定要因ではなかった。

【3】1日1杯の味噌汁のある食生活が血管年齢を改善する可能性がある
 1日1杯程度の味噌汁のある食生活が、血管年齢の指標CAVI値(動脈の硬さを表す値)を低下させ、血管年齢を10歳程度改善する傾向が確認された。

 味噌の歴史や栄養について詳しい「みそ健康づくり委員会」のサイトで、その効能について見てみると、最新の研究成果による発見以外にも、多くのビタミンやミネラルを含む調味料であることがわかる。前出の研究発表を行なった、上原先生に味噌の栄養などについて、話を聞いた。

「味噌の材料は、良質の植物性タンパク質を多く含む大豆。発酵によって多くの栄養成分が作られ、その約30%がアミノ酸であるだけでなく、必須アミノ酸8種類を全て含む珍しい食材のひとつです。がんの抑制や血圧の低下、抗動脈硬化、骨を丈夫にする助けになるなど、さまざまな機能に影響を与える栄養があるんです」(上原先生)

“栄養は嬉しいけど、塩分は……”と思う人の中には、過剰に味噌汁の塩分が多いと勘違いしているケースも多い。「みそ健康づくり委員会」が行なった調査で、「味噌汁1杯あたりに塩分量は何g含まれていると思うか?」という質問に正解したのは、17.1%。実は味噌汁1杯の塩分量は約1gなのだが、33.4%が「2g」、30.1%が「3g」、8.8%が「4g」、実際の量の5倍になる「5g」と回答した人も10.7%いた。

「摂取塩分量は実質的に少なく、それを相殺して、かつ身体に良い栄養が摂りやすいのが味噌汁です。全国的に味噌汁の具として使われているワカメなどの海藻類は、アルギン酸が摂取塩分を相殺して、血圧を下げる効果があります。またヨード(ヨウ素)には、代謝を高める機能も。良い出汁が出て美味しい貝類は、亜鉛やセレンといった微量元素が摂取でき、栄養面のほかに味覚の改善にも効果がある具材ですね。春や夏のアサリ・しじみに加え、今の季節は牡蠣もお薦めです。

 また季節食材では、免疫力を上げて感染症を防ぐ栄養を含む、きのこ類。野菜を多く摂ることで抵抗力が高まりますから、野菜をいっぱい食べられる具だくさんの豚汁も、不足しがちな栄養を豊富に摂れる点で、特に良いでしょう。

 味噌汁を健康に役立てる食べ方としては、毎日同じ具ではなく、海藻や貝類・野菜といった具材を日替わりで入れて、多くの栄養を手軽にバランス良く摂れるようにするのが、賢い活用法です」(上原先生)

***コピー終わり***

からだに良い物を探して世界からお取り寄せする生き方より、私は味噌でまかなえる分は味噌に任せます。なにより、味噌汁をこんなにも美味しい、と感じられる自分になれたことも嬉しく思います。(子供のころは苦手でした)

それと、沖縄では手作りのお味噌がけっこう手に入り、これが本当に好きな味なのです。うるま市の海中道路にある道の駅で買った、玄米の味噌や、南城市玉城と、大里のお味噌(JA婦人部のみなさんの手作り)など、もち米を使ったものもあり、優しい味で大好きです。

上記のような研究で、たまごのコレステロールにも同じような結果があります。たまごは確かにコレステロール値は高いのですが、相殺する力もあるそうです。そしてそもそも、コレステロールや血圧は、ある程度高いほうがいいという話もあり、なにが幸いかというのはなかなか簡単には決められないようです。

さらに味噌は放射能除去の効果もあると言われている食べ物です。私はハタチのころ「チェルノブイリではパンに味噌つけて食っただよ!」というセリフのある芝居をしたことがあります。今の日本では推奨されるべき食べ物でしょう。

それからごはんと味噌汁生活を始めてしばらくすると、お通じが劇的に改善されました。私の感触では、豆乳ヨーグルトがごはんと味噌汁と非常にマッチし、協調して働いてくれたような感があります。これは本当に嬉しい効果でした。

さて、再び夏がきました。ここで、冷え取りの明らかな効果と思える変化がありました。まず、主人のひどい寝汗が軽減されています。そして、これはふたりともそうなのですが、あまり暑さが堪えません。昨年の夏は、熱い味噌汁なんて想像するだけでぐったりする感じだったので、夏は冷や汁かな、なんていろいろ考えていたのですが、相変わらずあちこーこーの味噌汁をいただいています。もちろん調理もわりと元気にやっています。あったかいものを美味しくいただけます。今年は涼しいのかな、と、何度も感じました。実際はそうでもないみたいです。どうやら、頭に熱が昇ったりこもることが少なくて済んでいるようなのです。それで、涼しいとからだが感じています。当然、バテバテの感じや倦怠感も、無いとは言いませんが、昨年までとは比べ物にならないほど違っています。からだの中はしゃんとしている状態でいられています。

先日は浜比嘉島に行ってきたのですが、いつも真夏は大好きな散策もできず、ひたすら海の中にいたのが今年はけっこう歩きました。炎天下の中、散策を楽しむ気になれたのがそもそも大きく違っています。

さて、冷えについて実はもう一つ、取り組みをしています。それは靴下をはくことです。しかも重ね履きで。これはやはりお客さまの中に何人か取り組みをなさっている方がいらして教えていただいていました。長くなりましたので続きは次回書きたいと思います。

人は高次元に進化してどうなるのか。


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スピリチュアルを学んでいる人の多くが、自己の怒りを持て余しているように感じます。この怒りさえなければ私はもっといい人間になれるのに、と。

しかし真実は、怒りは必要なのです。少なくてもあなたの中に今あるそれは、あることが真実です。真実であるということはそれは必要なのです。恒久的に、ではなく、現在の状態として。

このことは度々書いていますが、まだあまりご自身のこととして捉えている方が少ない感触を受けます。しかしそれにしても、多すぎる。あまりにこのテーマが眼前にやってくるのは、私が何かを見落としているからに違いありません。

ということで、固定観念をなるだけ取り払って、瞑想し、もっと別の視点から、もう少し広く高い視点からこのことが私に教えてくれていることについて問いなおしてみました。

そこで出てきた新たなテーマというのが『コミュニケーション』です。

『コミュニケーション』はスピリチュアルのセラピーには必ず含まれているテーマです。チャクラで言えば喉のチャクラと関係していると言われています。

私自身のテーマとしては、この部分は多分、あまり不自由を感じたことのない分野だったためか、それどころではなかったからか、これまであまり気にかけたことがありませんでした。

しかし私自身を含め、全体的な意識の進化を鑑みてみると、今とこれからのテーマはまさにコミュニケーションだというふうに見えます。これはもちろん私のフィルターごしに見た場合のことです。これまでは私自身がそこにいなかったから目に入らなかったわけです。

たとえば多くの優しい人たちが、自分の怒りを何とかして自分のお腹の中に納め、それを消却しようと必死に見えます。良からぬことはなんでも自分のせいにし、そして人知れず処分しなくてはならない爆弾を抱えて苦しんでいます。その上、そんな自分を愛せない、自分には何かが足りないのだ、と悩んでいます。これは一体、真実なのでしょうか。

こういう局面から学べることは確かにたくさんあります。まずは自分の心のクセ、習慣がそう思わせているということに気づくこと。それは幼少期に原型が作られ13歳以降はそれをなぞって投影している、もしくは過去世の生き様によって刷り込まれた原因から来る影響であるという仕組みを知り、それを変えたいのであれば潜在意識へのワークをすること。そのワークとは、瞑想という意識の深みへ自ら入り知覚するやり方であること。またその癒し手は自己意識の最も深い内なる真実の自己であるということ。

ある程度取り組みをすることで私たちは自分の取り扱い方がわかるし、それは自分を愛することであると同時に自分を役立てることに繋がるということ。

取り組みが始まると、古い内面のガラクタが一掃され、重苦しいベールが剥がれたように爽快になることもあります。だからといって人生における問題を避け続けられるわけではありません。

人生は片付けるべき問題ではなく、生きるべき神秘だという言葉があり、出会った時にはとても印象的でした。しかし時間を経てみて思うのは、人生には避けていい問題など無いということです。お釈迦さまもおっしゃる通り、人生には最低でも生老病死の四つの苦があるわけです。こんな苦にさらされることで私たちの魂は目覚めようとするのではないでしょうか。それらの苦をも上回る喜びを私たちは生きるなかでみつなくてはならない、と。

人生の目的というのはそういうものだと思います。よく寝食を忘れるほど好きなどと言いますが、それが外にある対象ではなく、それらのすばらしいものの全てを創ったもの、知っているもの、そしてそれに生かされているという真実こそが、私たちが本当にみつけるべきもの、愛するべきものだと今では私は思います。

そんななかで人生の問題と向き合うとき、私たちはただ荒れ野で風に晒される孤独な存在ではなく、圧倒的なその愛すべきものの愛の中に生かされる者です。

そういう者としてただ眼前のあるがままを生きるとき、自分のことばかりを気にしなくてもいいし、自分の中のちょっとした欠点に目くじらを立てなくてもよくなります。自分を赦すとはそういう眼差しを持つことのように思います。

話をコミュニケーションに戻しますと、そんな愛されている愛すべき自分が感じている怒りをちゃんと認め、それを誠実に相手に伝え、一緒に今起こっていることについて考えてもらうこと、そして一緒に解決策をみつけていくこと。どちらの落ち度も欠点も互いが赦すことができるとそういうやり方が成立します。もちろん互いへの敬意や思いやりや忍耐や、愛そのものを鍛える絶好の練習になります。

自分が完全な人や欠点のない人になることが目的ではなく、完全の中に生かされていることを感じながら生きることができるようになることが重要なのだと思うのです。高次元であるというのは後者に近いのではないでしょうか。

唯一のワーク。


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私はよく、仕組みを理解することの大切さを口にします。例えば意識の仕組みを知り理解することで、無用な疑いや迷いを大幅に避けることができると思います。自分で考えて答えをみつけることも人間にはとても大事ですが、同時に考えてもしようのないことについて考え続けて消耗したり、破壊的な思考や行動に支配されたりするのにいのちを費やすのはとてももったいないことだと思います。

人間の感覚や思考というのは環境や心の状態、体調など(自己のエネルギー状態)に大きく左右されます。ですから自分ではまっとうに理論的な考えの上に判断しているつもりでもある時には右、ある時には左にというふうに重心は傾き、その傾いたところを起点に世界を眺めています。または目を凝らして世界を見つめているつもりでも、その目にフィルターが貼り付いたりしています。目にピッタリとフィットしているほど違和感なく見ることができるので、その目自体が狂っているというふうにはなかなか気づきません。

そんな時、仕組みを知っていることで自分を客観視することがしやすくなります。全体の地図が頭に入っていると、自分が傾いているな、とか、目的地に向かう道から反れているな、とか、急ぎすぎかもしれない、などというふうに見ることができます。

しかしこれらの客観視というものを、瞑想なしに行うとどうなるでしょう。こういった行為がただのあら探しや自己批判に繋がる事になります。自分を定規で測ってはみ出す部分を罰したり嫌になったり。こういうことをしていると人間は今ある喜び、今ある創造力、生命力から遠ざかって不幸という迷妄の中に落ち込んでしまいます。

瞑想ありでの客観視では、客観視の視点がぐっと広くて高い、見晴らしの良いところになります。瞑想なしでは自分の今いる場所を特定しようとする時、どこが間違っているか、どこが他者と違っているか、かっこ悪いか、周りについて行けていないか、どう思われているか、どこが好きでどこが嫌いか、人に嫌われていないか・・・というふうに、3Dの次元で自分を把握しようとします。でも瞑想のなかで自己を捉えるとその基準となるポイントは全く違ってきます。

ざっくりと言えば自分が軽くなります。瞑想のなかで自分を眺めると、自分はなにもちからを加えずとも立っていることができます。座っていることができます。すぐ隣に比較対象する何かがなくても、安心して自分を眺めていられます。比較対象するものさしに合わせたり、合わせようとしてちょっとひっぱったりちょっと背伸びしたり、そういう小細工もいりません。企画サイズと比較して自分はこういう人間です、と語る必要がありません。

多くの人が、自分はこういう人間と言うとき、好き嫌いや二極のものの一方(明るいと暗い、大雑把と几帳面、楽天的と悲観的など)や他者との比較によって表現しようとします。瞑想はそういった浮世の価値観を外し、神(霊的な理想)の世界にある自分を見せてくれます。誰かと自分の違いなどというものは比べても価値のないことであって、神と私との関係だけが重要だと感じるようになります。そして他者との関係はと言えば、神のもとにみな平等というふうに見えてきます。もしみな平等に見えないのだとすればそれは神の視点というものから自己があまりにかけ離れてしまっているからです。近づくためには瞑想です。

自分は今こういう理由でこういう状態なのだ、なるほど、というふうに理由をみつけようとする人はとても多いと思います。理由を知ろうとすることは、仕組みを理解したいことの現れなのだと思います。私もかつてはそういうことを調べまくりました。しかし、知って納得というのはその場ではすっきりするように思えるのですが、それを積み重ねてみても気がつくと幸せにはなっていない、ということが起こります。それが長いこと続くと、知っているのにできていない自分にばかり出会うことになり、結局は人生が重たく重たくなっていきます。進化と幸福の成就のためには原則があります。それは、自ら変わろうとするか、得ることではなく手放すことによって、です。

私たちの内には神の資質が眠っています。それは人間が身につけてきた覆いによって包み隠されています。私たちは一様に思い思いの服を来て、神の資質を覆っています。そしてもっと違う、もっと上等な服を探しまわっています。或いはもっと自分に合った自分だけのための服を。そしてなかなかその服を着ている自分自身というものに気づきません。

いったん服のなかみに気づいていしまうと、服を着ることに必死になる必要がなくなります。もちろん、引き続きそれを着てもいいですし、もっとシンプルなものに着替えても(それはなるべくなかみを遮らないためにという意味で)いいかと思います。慌てて裸にならなくてもいいし、裸でいなくてはならないわけではないとわかります。ただ、服のことが気になるときには即座にそのなかみのことを思い出すようにすべきでしょう。瞑想をたくさんするのはそういうわけです。

解毒。


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21世紀は平和な時代になるものだと思っていましたが、実際は毒出しの時代が続いています。形あるもの、生命あるものが成長と進化のプロセスと歩むにあたって必要不可欠な段階でもあります。

古い習慣がたとえどんなにみすぼらしいものだったとしても、それが崩壊し手放されていく過程では、立派な解体の儀礼が必要になります。

私たちは自身を改善しようとするとき、もっとすばらしいものを手に入れようとすること以上に、今を掌握し、整理し、そして古いものから学べるものを再吸収し、手放すに充分な準備をする必要があります。そうでなければ本当の意味で過去から自由になることはできません。

私たちは、今持っているもので充分に生きられることを知る必要があります。それは何よりも過去からの恩恵です。今持っているものによって生かされながら、役割を終えてしまった古い慣習に礼を尽くしてそれを葬ること。これは心のワークも家庭内の雑事も、国家規模の運営でも、世界間の外交というコミュニケーションにも言えることであるように思います。

今一度、多くの人が立ち止まり、自らの立ち位置を再確認してこんな作業でできるといいと思います。

そして本当は、手に入れるべきもっとすばらしいものは無いということに気づけるといいと思います。今あるものの中にだけ、それはみつけることができます。

強烈な香りや色や奇抜な形をしたものの奥に、それらはひっそりと隠れています。私たちがそれらの刺激にそれ以上求めなくなり、手放すという勇気ある一歩を踏みだしてみようと思うその瞬間、それはその存在を見せ始めます。

そしてそれはずっと在ったと同時に今にだけ出会うことのできる、無限の宝だということに気づけるのです。