こんな感じでいつも考察と創造をします


1日1クリックの応援いつもありがとうございます!感謝しています。

季節外れな話ですが、沖縄で、沖縄の台風を体験したらこれまでの台風観はまったく変わってしまいました。生まれも育ちも東京都。一度だけ、一度きりしか行ったことのない屋久島で、滞在期間の半分以上台風に見舞われたことありました。主人と一緒に初めての旅行だったのかな、主人のお友達夫婦が移住した先に泊めていただき、そこでの体験が人生で最も激しい台風でした。

築100年の古民家に住まわれていて、雨戸閉めきって、電気が止まり、3日目に水道が止まって床下浸水が始まって、もうどうしたらいいのかわからない・・・というところで過ぎ去ってくれました。確か風速が35メートルだったかな。主人と友人だんなさんはその中歩いて海まで行ったんです。なにも知らずに。そういうことして命を落とすってよくある話しですからとても怖かった。唯一その帰りを待つのが一番怖かった記憶です。

戻った二人は顔色が若干変わっていました。本当に身の危険を実感した。もうしない、と言っていました。それで済んで、そしてそういう学習ができて本当に良かったと思いました。

そして沖縄。風速70メートル、ということが起こります。最初の恐怖体験は豊崎のマンションでした。埋立地で背の高い建物だったので、普段から風が強かった。台風が近づいてまず停電は当たり前。まったくぬかっていたのだけど、水道も同時に止まりました。そうだった。もちろん電話も。そして、船のように家がずっと揺れます。通気口から風が音を立てて出入りします。竹の笛がずっと鳴っているみたいな音です。夏に締め切るので、蒸し風呂です。窓のサッシから水が浸水しますから、塞いだタオルを絞ったり取り替えたり、重病人の看病のようです。車での買い出しも出遅れました。車は風でひっくり返されるものです。➖知り合いの奥さんは本当にひっくり返されて浸水して出られず、電話も止まり、直感で探しに出たご主人に救出されたそうです。➖ 我が家の駐車場では追突事故が起こっていました。無人の車でです。うちのはサンバイザーの部分が剥がれただけでしたが、整列していた車が一方に寄ってグチャグチャになっているのはぞっとします。窓ガラスが割れるのでは、というのが一番ヒヤヒヤしました。同じ建物ではなかったですが、後から「うちの建物では割れました」という実話も伺いました。

台風が去ると、今度は家周りに水を撒かなくてなりません。塩害でサビやら酷い劣化につながるのです。とにかく風が当たるところはみんな。それから、外にあるものは家に入れたり(鉢植えなどもみんな)縛ったり、今は家の窓の外にネットを張ったりしますので、準備も復旧作業も1日仕事になります。沖縄の人はここがものすごく手早いのです。私もものすごくがんばらなくてはなりません。

車も洗車渋滞が起こります。植物も枯れます。これがとてもショッキングでした。風で街路樹が倒され折れてしまう様も悲しかったですが、海岸では風に吹かれた砂が樹の皮をずるっと剥いてしまうのです。それから台風が去った後、徐々に木々が枯れていきます。山がどんどん赤茶けていきます。これが塩害でした。新しい東屋の柱や壁もものすごい劣化です。こういうのは目の当たりにしないと想像がつきません。それから、沖縄南部は農業が盛んで、その恩恵にいつも感謝していますが、その農産物の被害がものすごいのです。数十億円という単位での損害が出ます。これはとてもショッキングです。この、こういうことがショッキングであるという感覚も、東京で暮らしている時には体験したことがありませんでした。

東京は日本の中心、情報の中心でありながらあらゆることはとても遠いところで起こっているという感覚に取り巻かれる気がします。食べているものを作っている人の顔が見えない。すべては【どっかで誰かがうまくやってんだろ】➖昔そういうCMありました➖というふうになるのです。

沖縄にいると、すべてのつながりが身近に見えてきます。1つ何かが起こるとその連鎖は観察していれば身近に実感できます。例えば選挙とか、基地とか、野菜とか、農薬とか、景気とか、魚とか、海とか、空とか、PM2,5とか、戦闘機とか、見回して目についたことを観察しているとあらゆるつながりが感じられます。

さて、今日の話しは、これがテーマではありません。私は台風について考えています。この台風を、私はどう捉えればいいのだろう、と。今しばらくお付き合いの程を。

ずっと以前に、村上春樹のエッセイで読んだフレーズを私はよく思い出すのです。ギリシャの島では、毎年台風で石垣が破壊されるが、それをまた同じように手作業で復旧する。何度でも、何度でも。日本では、壊されない何かを開発していく。でもギリシャのこういうやり方が日本には失われているのではないか、という論旨だったと思う。この意味はとてもよくわかる。沖縄の美しさの部分は圧倒的にこのようにしてしか残されないだろうと思う。

しかしそもそも台風はなぜ存在するのだろう。私はこの破壊力は人間界の戦争に似ていると感じる。この一瞬で奪われる命とエネルギーの多さに私は呆然としてしまう。台風のあとはしばらく生命力が奪われ若干虚脱してしまう。多くの敏感な人は気圧のせいだと思っているかもしれないあのなにか脅かされる感じは、エネルギーの次元ではやはり、暴力的な破壊力に細胞や意識レベルでダメージを感じているのではないか、と私は仮説してみる。というよりそう感知している。

意識界では地震について、極端なエネルギーの溜め込みや偏りをこまめに浄化、バランスすることで小さく頻発させ大地震を回避できると考えられている。台風も同じ原理ではないか。人間の感情についてはまったくこの通りだ。

台風が自然界に絶対必然のものであれば、私たちは起こるべくして起こることに対処することを学習するしかない。しかし、台風がそもそも過剰なエネルギーの沈滞や抑圧に対するバランス現象であるなら、エネルギーの次元で意識的に働きかけることで結果を変えることは、自然に付加をかけるようなエゴ的行為にならないはずだ。

同じ原理で、私は人間には戦争は不要となっていくと確信できる。多くの人が過去から推察して、また現在の自己意識の結果として、戦争は人間にとって避けられないものだと認識しているだろう。だから現時点で戦争は存在している。その存在が消えたことは有史以来ない。しかし本来の仕組みはそうはなっていない。

私たちはエネルギーによって存在し、そして変化を遂げる。私たちは進化する。創造する。意識によって。その意識の源を神と呼ぶなら神のみこころに沿って、私たちは出現し続ける存在である。

もし、ひとりひとりのすべてが武器を置くという選択を今する意識状態に至れば、武器は消滅してしまう。それは難しい、と思う人がいるならその人が意識を変える手助けをすればいい。私は、私自身の自己意識を浄化しバランスし続ける。そして内なる神を求め続ける。そして願わくばそれに出会い続ける。難しいと感じている自分が訓練によって、体験を重ねることで難しいことも難しくなくできるようになった時、初めて難しくなくそれを伝播することができる。自分に難しいことを人に強要することはできない。私にとって、愛であること、愛をもって伝えることが難しくない、易しく優しいことであるとき、それは難なく実現する。それは毎瞬の意識的選択と、愛のためにのみ存在する神の愛を求める意志によってなされる。

台風がまずは沖縄から消滅することを私は神に願ってみようかと考えている。そのために神から求められることはなんだろう。それを受け取ってみよう。人間が本当の平安と愛を自己のうちに実現する道の創造のひとつのしるしとして。

魂の目的を知る


1日1クリックの応援いつもありがとうございます!

みなさんこんにちは。AZU WORLDへお越しくださりありがとうございます。

沖縄に住んで7年目に入りました。そして、ここ知念具志堅に来てまもなく2年になります。ついでに、結婚からはまもなくまる8年となります。結婚生活のほとんどは沖縄で過ごしていることに驚きます。たった二人でやってきて、社交性も発揮せず、こつこつと自分たちのワークに取り組んできたな、と思います。にもかかわらず、私たちの仕事を通して、直接関わってくださった多くの方への感謝は言葉になりません。私たちの中身のほどんどはそれでできている、というくらいです。

ネットで一所懸命探して、吟味し、私たちを選び、来てくださったり、私で言えば、遠隔という顔の見えないセッションでも私をご信頼くださった方がたには、敬意と誠意と、そして私たちがコツコツと前進することでおかえししたい気持ちです。

私の行っているワークは、昨今知名度は上がってきたとは言え、まだまだ一般的にその内容や実用性、必要性は浸透しているとは言えません。自分にはそれらを誤解なく少しずつ伝えていくという使命があるかと思っています。セッションやメールなどで、レイキの用途についてお話しますと「そんなふうに使っていいんですね」というお声が返って来ます。ブログに書こうか、と考えていて、ふと、これは資料にまとめておこう、とひらめきました。実際こんなふうに使おう、という参考資料です。レイキというエネルギーの本質を解説しつつ、ご説明します。

私のセッションをお受けいただく方にはこれからお渡ししようと思いますが、過去にお受けいただいたみなさんにも、ご希望があればお渡しさせていただこうと思います。出来上がりましたらまたこちらとホームページにも掲載いたしますが、もしご希望があればメールをください。出来上がり次第、ワードのファイルでお送りでします。

インナーチャイルドについても、本当にたくさんのことをお伝えしたいと思っています。正直、自分が知ったことを伝えなくてはと思うと、あまりの膨大さに降参したくなるくらいなのです。自分がこの人生で、ワークを通して気づき、知ってきたことの膨大さ、それはまだ書物やこの世界の学問としてあまり現されてはいません。

インナーチャイルドとはなんでしょう。私の中に住んでいる子どものこと、とイメージされることが多い気がします。実際は、私の今世で作られた自己意識のすべてと言っていいです。ここの領域は潜在意識と言われ、肉体感覚、つまり五感を通して感知し刷り込まれた記憶のことです。この領域はお母さんのお腹の中からすでに記憶が始まり、3歳までに概ねの部分が記録され、13歳くらいになると蓋がされ、それ以降はあまり変わらない、よほどショッキングなこととか、心にどんと響くようなことがない限り、というふうに言われています。

➖セッションの冒頭で、このご説明をしただけで、感涙される方々をたくさん見てきました。その涙は、自分の苦しみのわけがこれで見つかるんだ、という安堵のお気持ちが奥にある気がします。➖

ですから、退行催眠をすると、お母さんのお腹の中の記憶も思い出せるということが起こります。実際、赤ちゃんの耳は胎内6ヶ月くらいで出来上がるそうです。それくらいからは耳で聞こえたことを感覚的に(言葉の意味ではなく、耳触りの感触で)覚えています。しかもお母さんの心臓音、もしかしたら血流音、そして声などはとても密接に近くに聞こえています。それに比べるとお父さんの声は遠くにあり、お父さんの声にお母さんはいつも反応しているはずです。ですから、お父さんに対するお母さんの心情などは声色や口調に表れているはずです。お父さんと対話してお母さんが泣いたり、怒ったり、感情を害することが繰り返されることは、お母さんの心音や血流音や声で赤ちゃんに伝わるでしょう。もしかしたらお母さんから与えられる栄養分の流れが増えたり阻害されるということから影響を受けることもあるかもしれません。それを不穏さ、不快さ、または不安という感覚で赤ちゃんが捉えることは想像に難くありません。

ここまでは生物学的に見て自然のことですが、スピリチュアル的な捉え方をすれば、赤ちゃんはそれ以上の感覚でお母さんを捉えている可能性があります。赤ちゃんはお父さんとお母さんの魂を選んで生まれてくる、などと言われますが、もっとざっくり言えば波長を感知して合うところに宿るという感じです。

私はある時、人間の赤ちゃんほど長い時間自分で動けない生き物は珍しいのでは、と気づきました。哺乳動物が生まれる映像など見ると、生まれたばかりの赤ちゃんがみるみるうちに立ち上がって、やがてお母さんと一緒に走りだすところを目にします。しかし人間の赤ちゃんは違います。2歳と言ってもよちよちしていて、全面的にお母さんの庇護を必要とします。潜在意識の形成期、赤ちゃんはそのほとんどをお母さんの愛情と庇護を求め受け取ることで成長します。私はそれを、人間という生き物が、生存と同時に愛を学ぶ生き物であることを示しているのでは、と思いました。愛を学ぶ必要がある生き物であるが故に、お母さんの愛情を一身に集めるため、肉体が自立するのに時間を要するようになっているのではないかと思ったのです。

その考えに至ったのは、退行催眠で思い出すトラウマの原因があまりに些細な出来事であるケースの多さによります。生後まもなくお布団に寝かされていて、お母さんに来て欲しかったけど来てくれなかった、とか、眠っていて目を覚ましたら誰もいなくてとてもこわかった、とかそういうことから人間は孤独や恐れの原型を自己意識に刻んでいきます。しかしこれらはあってはならないことでも、誰かのミスでもありません。人間が体験すべき自然な場面であり、それを通らずに人間の成長はあり得ません。

以前はトラウマというのはないほどいい、というふうに考えていました。また今勉強されている方もほとんどはそういう考えではないでしょうか。しかし、こういったことから人間が傷つきを体験し記憶し、それが後の心の反応を作っていくというのは、実際ネガティブなこととは言えません。ネガティブに捉えるか、前向きに捉えるか、という感じ方のほうがむしろ解放されるべきことであり、作ったきっかけはどうであれそれは言わば習慣、思い癖なのですから、それは気づきによって解放されればいいだけなのです。要は、理由を知ることより、自分が心のなかでなにをしているかに気づき、それを自ら手放すと決めること、その選択こそが重要です。そしてあとは仕組みに基づいてそれを実際に行うだけでいいのです。またその作業、ワークというのは、特定の人にだけ必要なものではなく、望むと望まざるとにかかわらず内面の成長、霊的進化を生きるすべての人にいずれ求められる自己を知る道につながると私は思います。

私はこう考えました。人間は、この世にやってくる時、波長の合うお父さんお母さんに宿った肉体に魂として宿ります。この波長はその人の意識のエネルギー体系によるもので、潜在意識にある過去世の記憶も大いに含み、関係します。(潜在意識は、過去世の体験からくる記憶と、今世の主に幼少期に形成される肉体意識の貯蔵庫です。)

そして赤ちゃんはまず、このお母さんが持っている愛に対する知識と愛情表現をコピーするように学びます。3歳までほぼつきっきりで教えてもらおうとします。頭でそう考えるのではなく、本能でそれを求めます。本能では、人間の赤ちゃんは他者に面倒をみてもらわなくては生きられないことを知っていて、必死に気を惹こうとします。時に笑顔で、時に泣き声で。そしてその本能の発令がうまく機能しないとき当然ながら恐れをいだきます。それが恐れの記憶の原型になります。

一方魂の目的では、赤ちゃんは両親、特に縁の強い(お腹から一心同体であることから)お母さんに対して非常に強い愛情と愛情欲求を持っています。同時にお母さんから、魂の学びの基礎となる愛について学んでいきます。13歳くらいまでの間にそれを完了し、それ以降は実践に入るわけです。恋をし、そして愛し合うことやもっと大きな愛について実践していきます。そこで初めて自分が学び、無意識的に受け入れ信じてきたものが試されることにもなります。それで、躓いた時、またお母さんと同じやり方では通用しないような人生の局面に出くわした時、初めて過去を振り返る必要が出てくるのです。

そこでしなくてはならないのは、単に自分を知ることだけです。私たちは自分自身をよく知ることを通してこの世を知り、神を知っていきます。過去にあるのは、そこへ自己を向かわせるための道標です。

子どもはどうであろうと自分の人生に則したテーマを生きなければなりません。お母さんから学ぶのはその最初のスタート地点だけであって、確かに自己意識の礎を占める重要な役割ではありますが、それを糧に乗り越え学ぶのはその人自身です。トラウマさえも含めて、それはその人が最初に与えられた人生を模索する手がかりに過ぎません。それが優しいものであれ、厳しいものであれ、それがこの世で自分を生きていくための地図に予め埋め込んでおいた付箋となります。

インナーチャイルドワークは、無くするべき傷を癒やす方法を超えて、自己をその無意識的習慣と思い込みという檻から解放するための自己探求のやり方です。

魂とスピリチュアル、この世の表面に見えているもののもっと奥の仕組みを探って行くと、私はそこに行き当たりました。現実の奥にはそうあるべくしてある、壮大な仕組みがあります。ワークの目的を、自己の傷の修復と見るか、更に壮大な魂の真の目的への道標とするか。私は前者から後者へと導かれました。多くの方がそう導かれることを祈っています。

平成27年、年頭のごあいさつにかえて。

安座真サンサンビーチ
安座真サンサンビーチ


昨年中は1日1クリックの応援、本当にありがとうございました。あらためまして、今年もよろしくお願いいたします。

みなさん、おかげさまで平成27年を無事迎えることができました。今年もどうぞよろしくお願いします。そして今週9日には、沖縄へ移り住んでから丸6年となり、7年目に入ります。10年ひと昔と言いますが、このところの時間の加速ぶりを考えるとすでにひと時代が過ぎた感があります。特に311以降は本土から移住された方が増え、スーパーに並ぶ品ひとつとっても大きく変わりました。こちらへ来たころ、チーズはプロセスチーズとピザ用ミックスチーズくらいしかありませんでしたし、紅茶は黄色い箱のあれくらいしかありませんでした。しかし最近ではオーガニックコーナー、有機コーナーが大きく棚を占めています。手に入る種類が圧倒的に増えました。

道を走る車は高級車が増えた気がしますし、古い壊れる寸前の車を見かけることは日に日に少なくなり、子どもたちの服装はおしゃれに今風になりました。

以前は南部でカラスを見かけることはありませんでした。カラスはやんばるにしかいないと思っていたのですが、昨年終盤から急にカラスが増えました。老人介護施設が増え、アパートが増えて、緑の山が削られて住処を追われたのだな、と観察していて思いました。ご近所のゴミの袋を破るのを見かけたのはひと月ほど前。そして同じ頃からあんなに賑やかにさえずっていたウグイスの声がぴたっと消えてしまいました。真夏以外はほとんど鳴き続けていたというのに。ヒヨドリのさえずりも静かになっています。BGMが大きく変わったのは寂しいものです。

時代はどんどん変わります。移住当初は、沖縄へは本土の流行は10年遅れて来る、なんて言われていましたが、今はどうでしょう。

便利さ、見た目の良さは文明の発展の一番わかりやすい姿ですが、かけがえのないものを守る聡明さを、人間は選択していく時代になっている気がします。

先だっての沖縄県知事選と衆議院選挙では、沖縄は革命とも言える結果を示しました。しかしその心は、本当の平和と豊かさへの問いかけでした。

見せかけに現れている現象にだまされない、鵜呑みにしない姿勢は私たちを内面に向かわせ本質へと導きます。本質とは人間の心と魂の満ち足りた在り方そのものです。それを得たとき人はすべてを得、すべてに勝利します。物質の豊かさをどこまでも追いかける姿勢というのは、生きるための道具に仕え、道具に魂を奪われることに他なりません。

体は心に支配され、心は魂に仕えています。平安であるとき、私たちは魂の超越的な力を自由に受け取ることができます。ますます多くの人が、この自由を得て、この超越的な自己とともに人生の真の豊かさを生きることができますように。私自身がその自己を満喫し、そしてその自由とともに精一杯働くことができますよう、祈りを込めて、念頭のごあいさつにかえさせていただきます。

より多くのみなさんとますますより深いふれあいができますよう、みなさんからのご連絡、ご依頼を楽しみにお待ちしております。今年もどうかよろしくお願いいたします。

感謝と祝福の光とともに
AZU