私たちはみんな一緒に取り組んでいる。このテーマに。

アダルトチャイルドやインナーチャイルドの問題に苦しんだり、
内面に不自由を感じている人、
またはそこまでの原因に行き当たらずに納得のいく理由を探している人、
またはもっと漠然とした寂しさのなかにいる人、
さらに、人生とはこんなものなんだと考えその寂しさすら封印している人。

世界はそうした人で構成されている、と言ったら極論だと言われるでしょうか。

愛とパートナシップについて人間全体の学びがもう少し進まない限り、
今ある社会はこの問題を課題としていると私は感じています。

そしてその問題に直面して、向きあう意志を持つ人、解決しようと努力する人は、
社会や人類全体の課題に挑み探求する人なのだと、私は常々思っています。私自身も含めて。

私のセラピーにいらしてくださる方がごく自然に口にする言葉
「家庭に問題があって」「家庭に不和があって」というのは、
厳密にはほとんどの場合、
お父さんとお母さんの間の愛情関係のもつれに起因しているのが実際です。

また「ごく普通の家庭で育ちました」とおっしゃる内容をうかがうと、
お父さんとお母さんはほとんど子供の前で
コミュニケーションらしいことをしていなかった、
ということも多く見受けられます。
つまり、互いに役割に徹していて、
家庭という事業を遂行していたというようなことかもしれません。

人間を育てるのは学校や社会である以前に、
父と母という、
人間が肉体を持ってこの世に誕生したときにこの世界を構築している二本の柱であり、
この柱は子供にとって世界を支える神々です。

幼い人間はこの神々から関心を注いでもらうためにあらゆる努力をします。
そしてその努力が報われない体験をし、自己と言う存在に疑念を抱きます。

神々は自分の問題に精いっぱい努力をしていますし、
その努力こそがわが子のためだと信じて必死かもしれませんが
子供が神々に求めているのはただ、愛し愛されることなのです。
この世が平和で、
自分という存在がこの世と神々から歓迎されていると感じたいのです。

私たちは成長の過程で社会を知ることで、
今度は神々に疑念を抱き始めます。

どうやら神々は完全な存在ではなく、極めて未熟でもしかしたら凡庸か、
それ以上にいびつな愛しか持ち合わせていない存在かもしれない。
私たちそれぞれがそうであるように。

しかし私たちはそれに気づく以前に、
神々に対して非常に強い愛着も感じています。
彼らにとって自分が価値のある存在かどうか、
そのことによって自分の価値を図ることにあまりにも慣れてしまっています。

親から充分に関心や平和を受け取れなかった子供は、
その不安定さゆえに、
なおさらに親から承認されることで自己の価値を確認したいのです。

愛は与えるもの。
私たちが人として成長していくとは、
愛するということに成熟していくことに他なりません。

与える立場に立たされたときに、
自分にはその準備がなかった、ということに始めて直面するのが人間です。

自分がもらったものしか、まず与えることが不可能だという現実に気づき
自分もまた、未熟な神々の一員になったことに気づきます。

自分がこよなく好きになった人にすら、
本当のことを伝えるのが困難であることに気づきます。

わかってもらえない。
こんなふうに思われたくない。
こんないやな思いはしたくない。

そうして二人の間に溝や壁や派閥まで構築していきます。
その溝や壁や派閥の対立に子供は、「家庭の問題」「家庭の不和」を体験していきます。
これが親子に引き継がれるカルマです。

お母さんは子供のからだの世話に必死かもしれません。
しかし子供にはどうしても愛という柱と平和という砦が必要です。

それはお母さんが必死になって子供に教えたり与えたりするものではなく
共に子供を授かり育てようと決めたパートナーとの間に愛を育むことで
子供に差し出してあげることができます。

すべての人は愛に対して模索中です。
自己の欲望を捨て、与える愛に徹するというのは
自分の幸せを犠牲にすることではありません。

与えることが本当の幸せだと感じることのできるような自分になるまで
しっかりと自分自身を育てることで
私たち自身が幸せと平和の柱を地上に立てていくことです。

その柱が、子供たちを支え、次の発展への道しるべとなります。
幸せのほのかなあかりこそが、他者の足元を照らす、真実の光となります。

誰もがこの使命に目覚めたとき、
世界に戦争や競争というコミュニケーションは不要となり
豊かで創造性に満ち溢れた社会というものが具現化する時が来ると
私は感じています。

人間の一人一人のすべてに
その愛の花の種は備わっていて
その美しさを他者に評価されるためではなく
ただ愛のため、ただ与えられた命を精いっぱい咲かせるため、
育てられるのを待っています。

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人間のすばらしさ

癒しを必要とする人、人生の意味を考える人、使命や目的を求める人の多くが、この世を生きにくいとどこかで感じているのではないでしょうか。

そしてこの世が生きにくい原因の多くは「自分は理解されない」という感覚から来ていることが多いと感じています。

私自身、かつて本当にそう感じていました。
今はどうか、と言いますと「自分が理解されていないと感じるのは、自分が(自分を、或いは相手を、周囲を、世界を)理解していないからだ。だから、もっと自分が理解しようっと。さて、どこを見落としているんだろう~と思うようになりました。

これは鏡の法則であり、原則なのです。
原則に戻れば自分の心が窮屈になっているときは必ずこのように原因と改善策を見つけることができます。

それで、理解されないと思う分だけ、理解する努力と学びを積んだおかげで、今の私はどうなったかと言うと、人間についてたくさん発見をしました。そして、人間ってほーんとにすごーい、と心から感じるようになりました。

私はクライアントさんと心で向きあうお仕事をさせていただいていますが、どんな状態の方がいらしても私はお会いするのがやはり嬉しいです。少なくともセッションにいらしてくださる方というのは、私と興味や関心の対象がとても近いわけですし、苦しみや痛みも共通点がとても多いですから、本当にわかり合えるような深いつながりを感じることができます。魂の仲間なんだ、と感じることがとても容易です。

そしてそのような仲間同士というのは同じような気づきを素晴らしいと感じることができます。少なくとも私はそう感じます。

最近はカウンセラーやヒーラーになりたいという方にもたびたびお目にかかりますが、『人を助けたかった』という言葉をよくうかがいます。私も今の仕事をするようになる前は、無意識に助けたいと一所懸命だった時期があります。でもそれは本当は自分が助かりたかったのだと今ではわかります。それも、鏡の法則です。

このお仕事をするにあたって、助けたいと思ったことは思い返すとない気がします。幸せになってほしーい!とはもちろんとても願っています。

救いたい、助けたいという願望があるうちはそれが欲になってしまって、少しでもうまくいかないと自分を責めたり焦ったりと自分で自分を苦しめてしまいます。そんなことをしていると、こんな仕事って続かないものだと私は思います。でも、なにがどうあっても幸せでいる、ということができてくると、自然と人を同じ波長に導くことができるようになります。それがきっと本当の意味での救済になるのだと思うのです。

ただ、私が気づいていることを共有したいと願い、私が大いなるものに救われたように、必ずみなさんも救われると信じています。

おんなじ人間だし、私と近い波長を感じて選んでくださった方だから、きっと私の感じる「人間って、ほーんとにすごいんです!」ということにきっと何かを感じて受け取ってくださるに違いない、と私は思っています。そういう気づきをご一緒に探求できることが、なにより癒しと浄化、活性と調和に直結するのだと日々感じております。そんなふうにお手伝いできることに、何より私が幸せを感じさせていただいております。感謝します。

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