いのちのバトンのアンカーとして

私たち夫婦には子どもがいません。
それは一見、一個人のささやかな出来事のようですが、あるときふと思いました。
人間が人間になったときから或いはそれ以前からここまでずっと、親から子、親から子と、一度もいのちが途切れることなく続いてここまで来たんだな。
私がこの系列のアンカーなんだな、と。

時々このイメージをしてみます。
子供がいる方だって同じように、ここまでずーっと命が受け継がれているわけで、それって本当になんだかすごいなーと思います。

だからまあ言ってみれば、今地球に生きているみーんな生き延びて子を産んできたある意味すごい人達の子孫なのではないでしょうか。そのつながりを頭でおっかけてみると、これはかなり奇跡的なことに思えてくるのです。

さて、記念すべきそのアンカーとしては、なにか意識すべきことってあるのかな、などと少し突っ込んで自分に問いかけてみました。
で、返ってきた答えは、充分楽しむこと。すべてに感謝すること。

充分楽しむってことは例えば私にとっては、いのちの仕組みとか人が生きるということに対してちょっとでも納得いくように生きる、という感じでしょうか。

すべてに感謝できるように生きるというのは結構大変なことです。
自分に起こることや自分が選ぶことに納得がいっていないとなかなかそうは感じられないからです。

ところで、ミームってご存知ですか?

ずっと以前、銀座でホステスをしていたとき(していたんです)、お客さんでサラリーマンだけど科学者のような方がいらして、多分研究職か技術職という感じでしたが(いや、もっと偉い、長が付いたような)、私が一曲入魂でカラオケを歌って、芝居とか歌とかをやっているような身の上をお話していたらその方が感心してくださり、「ミームって知ってますか」とおっしゃったんです。

当時はググるという術を知らなくてなんとなく理解したような感じでしたが、改めてググってみるとこんな感じ。

ミーム(meme)とは、人類の文化を進化させる遺伝子以外の遺伝情報であり、例えば習慣や技能、物語といった人から人へコピーされる様々な情報を意味する科学用語である。

人類の文化における「進化」とは、例えば古代と現代では衣食住が異なるように、社会学的な意味で文化が大きく変化することである。こうした文化的進化は、脳内に受け継がれる情報が進化した結果である(脳そのものの生物学的進化ではない)。社会的に共有される情報は会話、人々の振る舞い、本、儀式、教育、マスメディア等によって脳から脳へとコピーされていくが、そのプロセスを分析するため、それらの情報をミームとして定義し、分析することにこの概念・科学用語の意義がある(ただしミームとは何かという定義は論者によって幅がある)。ミームを研究する学問はミーム学(Memetics)と呼ばれる。

ミームは遺伝子との類推から生まれた概念である。それはミームが「進化」する仕組みを、遺伝子が進化する仕組みとの類推で考察できるということである。つまり遺伝子が生物を形成する情報であるように、ミームは文化を形成する情報である。遺伝子は子孫へコピーされる生物学的情報であるが、ミームは人から人へコピーされる文化的情報である。遺伝子が「進化」するように、ミームも「進化」しており、それによって文化が形成され、変化していく。

さらに遺伝子の進化とミームの進化は無関係ではなく、相互に影響しあう。

それでその方は、「だから結婚して子どもを授からなくてもあなた方のような人は失望する必要はない。遺伝子よりもミームなんですよ」と、なぜだかそんなお話をされたんです。

当時は「いやいや私はあきらめてないぞ」と思っていましたが、それでもミームの存在はとても魅力があります。
肉体よりも意識、という真実の裏付けをしてくれているようですし、子どもがいなくても、自分が深く学んだことや体現したことは情報として引き継がれ生かされるわけですから。

自分を懸命に知ることや丁寧に向き合って生きることは、決して自分やその周辺だけの出来事ではないのです。
私たちが個のしあわせを生きることは、自分のためだけではないのです。
そうやって自分のための大事な一歩を踏み、歩むことが、世界のための、次の誰かのための一歩になります。すてきでしょ。

スピリチュアルの教えでもそうですが、科学でも、私たちは誰かを変える必要も誰かに全部わかってもらう必要もないのです。

自分が知ること、自分が体験し実感すること、自分の生き方を確立することこそに価値があります。自分の価値を自身が生きることができれば、それが即ち他者の手掛かりになり共有財産になるということなのです。
そして日々ミームによってその財産が分配されるわけです。
私は俄然やる気がでますね。