おつかいのひと

今日お友達に渡す化粧品の紙袋を提げて(結構重かった。
ボトル10本と情報誌とはがきなどが入っていて)急ぎ足で雨の中歩いてた。
急いでいて全然気づかなかったんだけど突然どすん!!
と紙袋のそこが抜けて中身をぬれた道路にぶちまけてしまった。
化粧品の中身は無事だったけど・・一瞬、えーっ!!・・・もう・・としょんぼり傘を地べたに置いてしゃがんで中身を拾っていた。
紙袋は雨水のせいで見事に底が抜けていた。
どうしよう・・・手に抱えて歩くしかない。傘もあるのに・・
一瞬途方に暮れてたら背後から「あの~すみません」と女性の声。
あら、邪魔だったのかしら。でも今はかんべんしてよ、なんて思いながら振り向いたら・・・
「よかったらこの紙袋、使いませんか?何か入れようと思って持ってたんですけど、使わなくて・・」
『え?』見ると手になんか持ってて一緒にたたんだ紙袋を持った若い女の子でした。
だけどなんか変じゃないですか?せりふが。
カラの紙袋をたまたま持っている人なんてそんなにいないでしょ?
でもすごく助かるので「ありがとう!!」と立ち上がった。
彼女は紙袋の口をあけて持っててくれ「入るかな」と言った。
私は甘えさせてもらい中身を差し出す。
サイズはぴったり。ジャストサイズ。
お礼を言ってお別れした。そこは普段からそんなに人通りのない道だ。
たまたま紙袋を持ってる人が通りかかるなんておかしいな・・
狐につままれたみたいってこういう感じかななんて思いながらふと、
『なんの袋だったんだろう』と気になって見た。
カラフルだけどなんの袋かわからない。でもそこにはポップな文字ででっかく
『LOVE』
そして小さく
『relax & enjoy』と書いてあった。
えーっ 天使のお遣いかよ~ 今のが~?
こんな小さなことでも助けてくれるんだな~天使って。
見た目は完璧に人間だったけどね^^
ぴーす

また風邪?

冬中で多分風邪気味じゃない日のほうが少ないと思うんだけど、ちょっと悪化です。
う~いろいろ考えすぎました。あったま痛くて・・・・
なんか皆さんにご心配おかけしてます。
でもなんとなく、これはいい傾向だと思ってます。
『ブレイク』するって言うけど、ブレイクするにはブレイクスルーしないとだめなんですよね。
逆かな?ブレイクスルーにはブレイクが必要?・・・どっちもありかな。
私はずーっと長いこと絶対ブレイクするんだ!っと、あだ討ちみたく心に誓ってましたけど、ここ最近はまぁそうじゃなくても悪くない人生もあるかなぁなんて思い始めてました。
ここまで来たらこれが運命なのだろう、とかね。
でも運命に身を任せながら必要な努力ができたら勝ちです。と、私は最近思う。
運命に納得が行かずに抵抗することに力を注いでいると、本当ににっちもさっちも行きません。
今ある現実を受け入れた上でこっからどこに向かって力を注ぐか、それさえわかれば人生は楽チンです。
『人生を変える4つの質問』という本があります。
ここで行われるワークは本当にあっけなく人生を変えてしまいます。
からだが不自由で(足がないんだっけな)余命いくばくもない老女が寝たきりの状態で筆者に訴えます。
私は足がなくて癌で本当に不幸なのだと。
すると著者はこう応えます。「そうね、あなたには足がないわね。それに癌にかかっているのね。それで?だからどうしたというの?」
その老女はどんな反応をすると思いますか?
二人は顔を見合わせて大笑いし合ったというのです。
彼女は言います。現実ほど優しいものはありません。現実こそが真実です。
現実を置いてどこかへ行かなければと思うとあなたは苦しみます。
でも現実を受け入れ、そしてあなたが本当に何を望むかがはっきりとわかればそこには苦しみはありません、と。
私たちの苦しみはほとんどが勝手な想像により起こっていないことを現実だと勘違いして生み出されているということを彼女のワークは完璧に立証しています。
私たちの想像力は時に人を小さき神のように豊かにすると同時に苦しみの中へも陥れます。
言い換えれば想像力をコントロールすることで私たちは天国へも地獄へも行けるということなんです。
この本は私がとても信頼しているカウンセラーの生支州(イシス)さんが紹介してくれました。
ご興味のある方はだまされたと思って読んでみてください。
私は『これはちょっとどうにもならないかも!』というピンチを何度もこの本のワークで乗り越えました。
人はこれはもうだめだ!と思う壁を乗り越えることで進化します。
それは心にある限界の壁です。
その壁は乗り越えることも、もう少し向こうへ押し広げることも出来ます。必ず。
なぜならその壁を作っているのは自分自身だからです。
だから自分でそれを動かしたり作り変えることは出来ます。必ず。
でもその壁を見て見ぬふりをして無視すれば必ず形を変えてあなたの前に立ちふさがります。
なぜならそれはあなたが行きたいところへ行くために創られた道しるべでもあるからです。
全部一人でやる必要は全然ありません。
ただ自分が壁を越える、と決めたらあとは盛大に助けを求めればいいのです。
狭い壁の中だけで暮らそうとすれば済むこともあるかもしれないけど、
そこに長くいればいるほど生きることは苦しくつまらないでしょう。
それは老い、病、死に追いつかれるのを待つことだからです。
その日が来るまで前に前に向かって生きていれば恐らく死すら納得して受け入れられるのではないでしょうか。
う~ん、これが死か。あっぱれ。みたいに。
今日は体調のことだけ書いて寝ようと思っていたのに書いてるうちに調子よくなってきちゃった。
あぁ本当に実感しますけど、困ったときにだめな理由をいくら考えたって何一ついいことないですね。
お勧めしますが、困ったときはものすごく凄腕のセラピストか弁護士か神さまか何かを想像し相手に向かって質問してください。
そんで今度は相手になりきって答えるのです。
セラピーではハイヤーセルフと呼んでいますが、自分の中にはすべてを知っている高い次元の自己意識というのがあると考えられています。
ハイヤーセルフをいきなり想像するのは難しいので、神さまでもいいし、誰か無条件に尊敬できる知人でも偉人でもいいです。
その人を思い浮かべてじっと相手を見詰めて真剣に質問してください。
すると相手が答えてくれます。
ばかばかしいと思うかもしれないけどばかだね~と思いながらでも相手は答えてくれますよ、意外に。
チャネリングとかいうといっちゃってると思われるかもしれませんが、これもチャネルのひとつです。
私はもちろん今回の事件にも文章を書くときもチャネルを利用しています。
みなさんありがとう、また!

新しいマネージャーさんとの面談

がありました。
なんか結構忙しい毎日です。
私はどんな仕事でもベストを尽くしたいと思ってるし、仕事って天から与えられる奉仕だと思ってる。
女優という仕事をするにあたっては、やたらといろいろな葛藤をしてきたけど
そういうことを通して学べたことは多かったし自分を知るにも役に立った。
何より私の人生の初期を大きく支えてくれたものだ。
演劇と出会って、あらゆることをその中に学んで、ある意味演劇は私の聖域でもある。
私は女優としての自分を結構買ってるし、私の身近で私の活躍を見てきた人たちもそうだ。
結構スケールが違う。
でもスケールがでかすぎでいつも全体像が見えない。
たまによく知らない人から、キャラが中途半端だとか言われるけど私はキャラとかを意識して生きたことがない。
生き方にもパターンがないし、パターンを壊せることが私の強みだ。
それでいて普段は結構円満だというところも気に入ってる。(本物はそうそう誇示しないのだ)
でもあんまり世間ではそういうのって評価されないんだな。
今日はマネージャーから、思い切り下品になれるか?と聞かれた。
私が今までブレイクしなかったのは、にじみ出る気品と知性が邪魔してると。
久本さんとか青木さやかになれますか?(女優じゃないじゃんね)
そのままで行くなら60歳まで待ってくださいと。(究極の選択かよ!!)
・・・・そういう役をやれるかならYESだし、そういうキャラをやれるかというならNOだと思う。(でもその前に誰が私にそんなもの求めるんだろう?誰もいないと思うな)
だって私下品じゃないし下品嫌いだし(いや、大嫌い)品格とか知性って女優として必須だと思うし人間としても自分的に最重要事項だしそういうのって生き方の問題だし、
これはもう持って生まれてきたものだと思う。
違う人種を演じることはできるけどなれと言われてもムリだ。
第一私は自分を好きでいられるかどうかが生きる上で結構大切だ。
自分を嫌いになるようなことするなんて死と同じだと思う。
潔く死んだ方がいい。私は生きるために(より良く生きるために!)女優を選択している。
でも私は(スケールがでかいので)やれといわれたらできないとは言えない
てか、できると思っちゃう。あんたがそう思うならできますよ、みたいな。
その場ではあぁそうですか、まぁできるんじゃないですかね、とか言っちゃうのだ。
帰ってきて反省した。
妹にも「そんなブレイク、ドブに捨てます。」と言われた。
いい加減もう大人なんだから、やりたいこととやりたくないことくらいはその場で即答できるようになっとかなきゃいけないなと。
でもね、言い訳じゃないけど、役者たるもの、出来ないと言ったら負けなのよ、これまで生きてきて私、出来ないと思うことだらけだったの。
私は根がとにかくお姫さまなので、いけませぬ、そのようなことは・・ってことだらけなの、世の中。
今だってそう。よく私がこんなことやってるなぁと毎日思うし、大学で芝居やってた頃の私を知る人たちもびっくりだと思うわ。
でも出来ないじゃ済まなかったし、出来ないと思うことをやってのけてきたから今の私があるのよね・・。
でもまぁ、本当に反省してます。
ちょっと、困ってます。

またまた今日も

いい日だった。実はラッキーなことが一転ぽしゃりそうになって、また今日起死回生^^
その間もあまり心配にはならず、その過程を信頼していられたのでこれまた良かった~。
嬉しいのでチャイでも飲みたいよ。お茶にします。
チャイはこの時間さすがに重いので凍頂ウーロン茶を入れてみました。
ナチュローで買ったんだけど、結構おいしかったです。
今のでフィニッシュ。
さて、今日はこのブログのトップページを入魂で書いてみました。
いかがでしょうか。ああいった内容は結構私の本気です。
私はごく近しい人たちと日常ああいった話をして過ごしてたりします。
まぁ言葉は違いますけど。
ところで万一、私のおとといの日記のラストに書いたことを気になさってる方がいるかもしれないのでそのことにふれたいと思います。
わかっちゃいるけどやめられない、という話。
思うようになるかならないかの話です。
つまり、わかっちゃいるけど=表面意識で、やめられない=潜在意識
結果的にはやめられないので潜在意識の勝ち!ということです。
私が言う、思うようになる、とはこの潜在意識の思うようになるということなんです。
私が13年くらい前に出会った本で『マインド・トレーニング』ってのがあって(これ、原題はLiving in the Light光の中で生きるです。こっちの方が断然いいんだけど)
これを読んでこの辺の意識の仕組みがばぁーっとわかり、わかっただけじゃなく、全部やってみました。書いてあるとおり。
やってみてほんとに良かった。やってなかったら今の私はないです。絶対に。
今の私とは、チャイとか飲んではぁ~幸せなんて言える私のことです。
当時は幸せなんて日常で感じたことなかったんですから。
唯一幸せだったのは舞台の上だけです。
舞台の上なら日常のおそろしいことをすべて忘れて輝かしい自分でいられるし、
次に何が起こるかわかってるから、いきなり誰かにひどいことを言われて傷つけられることもなかったから。
敏感で感受性が強い上に、あまりにいろんなことがありすぎて本当に人生にまいっていました。
いつもギリギリでしたね。
これは、本当に自分の意識の教育のやり直しみたいなものでした。
私は育った家庭環境がおそろし~かたので、潜在意識に恐怖&不安が詰まってた上、
私自身はとても頭がよくプライドも高く、いい子だったのでものすご~くがんばって無理やりチョウジリを合わせてなんとか生きてる感じでした。
でも、だからこそ、中身は二つに引き裂かれ、いつも二つの違った思いが戦っている状態でした。
こうなっちゃう自分とこうなっちゃいけないと思う自分。
実際こうだけど、こうじゃやな自分。
こうしたい自分とああするべきな自分。
ないですか?こういう感じ。
今でこそ簡単に分析できるけど、当時は何がなんだかわからないし、
自分は本当はものすごくいけない人間だからいつもこんなに葛藤して苦しまなくちゃいけないんじゃないかと
ひとり恐れおののいていたものです。
それにしても安藤美姫ちゃんの衣装ったら・・・
とても凝ってるけど重いし似合ってない。
髪型もおばさんみたいだし・・
せっかく音楽を変えたのに(マイファニーバレンタインでしかもあんなアレンジ、絶対似合わないのに・・)
私は彼女の心の中にもこういった種類の葛藤があるんじゃないかと感じてるんだけど。
こうしたいのにこうならないってのをすごく地で行ってるような気がする。
亡くなったお父さんのことを言われて号泣しちゃったのを見てやっぱり、と再確認してしまいまいた。プライバシーの侵害かな、ごめんなさい。
お父さんが亡くなったのも悲しいだろうけど、お父さんが死んじゃったことできっと、
お母さんがとても悲しんで辛かったのを彼女は自分のせいのように感じて辛かったんじゃないかな。
お母さんを喜ばせてあげたくて一生懸命がんばって、金メダル取りたいんだけど、
そう思えば思うほどなかなか思うようにならなかったんじゃないかな。
もっとできるはずなのに。
これは私がたくさんの方々の心が作り出す問題と向き合ってきた経験による想像ですが。
こういうケースはとても多いのです。
潜在意識は子供のうちに形成されてしまうので、そんなことないんだと気づく前にインプットされてしまうのです。
さて、荒川さんよかったですね。優雅さとか表現力はあまり感じないですが、競技としてはよいんだろうな。容姿でカバーしてますけど。
ではまた!

思うようになる♪

なにやら前回の日記を見直すと、次回の予告なんてことを書いちゃってて、でもあれ、これ日記なんだけど、日記書きにくいじゃないか~なんて思ってしまいました。
でもまぁ日記なので書きたいように書きます。
ちょっとづつね。
私は結構リアリストで疑い深くて苦労人なんですが、しょっちゅうくじけながらも諦めないし、自分には(或いはすべての人々には)世界を変えうるような大きなエネルギーが秘められていて、すべてはその方向に向かって動いていると信じている(いや、むしろ動かしている!と信じている)ような、究極の楽天家なんです。傷だらけのね!
最初からそうじゃん、だって結構ハッピーだし、そうなるんじゃん、って根拠なく信じられる方がたくさんいればきっと世の中すんなりとそうなるだろうからそれに越した事はないんですが、人間は潜在的にネガティブな思考と言うものを持ってるし、長い生物の歴史を振り返ってみても今現在の現実を見てもそうならざるを得ない要素ばかりなんです。
ですがそんなところにばかりフォーカスしてても世の中あまりよくなんないし、人間だっていつまでも同じことばかり繰り返してたって宇宙の法則に反するわけだから、ここはいっちょがんばって進化してみようって時期に来てるんじゃないかと私は思う。そう思うと俄然やる気が出てくるんですよね。変革の戦士インディゴちゃんそのものの気質ですな。
こんだけいろいろと思うようにならない現実を突きつけられながらも(いや突きつけられたからこそ)いや、なんとか思うようになる道があるはずだ、と探求してこられたし、自分と同じような疑問や苦しみの中にいる人々とシェアし光となれる自分でいようと努力してこられたと思っています。
私はあえて努力という言葉を使います。忍耐もものすごく必要でした。
よくスピリチュアル系の本に出て来るのは、努力なしに、とか楽々と、とか自分に許可するだけでよいとかいう言葉です。
確かにそれも真実のひとつだし、それによって飛躍的進化を遂げたこともあります。でも最近思うのは、本当の自分を隠すための我慢や努力はいらないよ、本当にやりたいことをして生きるなりたい自分になることに回り道はいらない、ただそれを自分に許可し、今ここで選択するだけだよってことで、努力や忍耐は、その道の中でおしよ、もったいない。ってことなんだと思うのです。
確かに『いつか、なりたい自分のために、今はがまんしとこ』と思ってる人はちょっと昔すごくたくさんというかほとんどの人がそう思ってたと思うから(老後まで我慢、とかね)ウェイクアップ・コールは必要だったよね。
最初から、本当の自分として生きなさい、すごく大変だけど、なんて言われたらチャレンジする人いなくなっちゃうものねぇ・・。
でも確かにそれは、いつまでも始まらない人生を生きる苦痛に耐えるような悲惨さはありません。映画の主人公のように、イエス・キリストのように、その苦難は時に人々の共感を呼び、勇気を与え、光をもたらすものです。
ピース

今日もよき日でした

今月、立春を境にエネルギーがシフトしたそうです。半年ほど続いた金星の逆行が終わり、具現化のエネルギーが流れ始めたそうです。やったね!
私の中のエネルギーの流れは星とばっちり同調してます。これまで何してたんだっけ?と思い出せないほど、このところいろんなことが動き始めました。
今月の最初に風邪が悪化したのも多分古い溜まっていたものが出ちゃった感じです。あぁよかった^^
今日はサンクで歌う日だったのですが、なんと4年ほど前に私がラディアンスというところでセラピストをしていた時にセッションを受けに来てくださった方が会いに来てくださいました。ネット上で私を見つけてくださったそうで、本当に感激です。
いろいろなディープな楽しいお話ができたのですがそこは内緒。
ですが、セッション以降人生に迷いもなく、取り組んでいらっしゃることがブレイクされたとのこと、本当に嬉しくなりました。
その時に「しかし、その年齢でその外見は・・・一回りは若いよ!そのV(今日は肩紐だけのドレスで胸元がVだった)が似合う39歳見たことない!詐欺だな、いや、これはもう特技だ!」と言われました^^
きゃははは・・そう、最近もしかして私の一番の特技はこれかもなんて思ったりしてます。特技:若見え。
でもそれは一朝一夕にできたわけではなく、長い人生の、なんというか試練を乗り越え一つ一つ己の内面と弱点を改善しつつ試行錯誤の末手に入れた結果の形なんですよ、冗談抜きで。
でも日常私がやってるのは何も極端なことではありません。本当に基本的なことばかり。食事の偏りに気を配り、疲れを残さない、睡眠はしっかり、歩く、階段を登る、声を出す、お風呂にゆっくりつかる、いろんなお茶を楽しむ、ストレッチとヨガとバレエのミックスみたいな独自のエクセサイズでからだをほぐす、ゆがみを強制する、お肌のお手入れはお気に入りの化粧品で、イメージしながらいい気分でやる、手からハンドパワーを出す、深呼吸する・・・でもこういった基本的な『やればできること』を邪魔するものが心のもやもやだったりします。
私が心のお掃除が大事と言う訳は、心はちょっとでも不安定だったり欲求不満(性的にだけじゃなく様々に)だったりすると、正常な欲求のアンテナを鈍らせるからです。
本来人間の欲求はバランスのとれたものなはずです。その時食べたいものが、からだに必要なもの、というように。ですから本来は自然に生きるのが一番の健康法なはずなんです。
ところがストレスフルな社会の中で、心豊かに健康にいられるのはとても至難の業なんですよね。実際私は高校生の頃からバランスを崩しまくっていました。その頃私は太ってしまい(とても不健康そうにね)顔はにきびが出始めて階段を昇ると息が切れ、心臓はドキドキし、便秘症で、テストのときは必ずおなかが痛くなり、成績はがた落ちし、制服はきつくてとにかく惨めでした。
心が縮こまり偏ると、欲求のアンテナは狂い始めます。食べちゃいけないものをやたら欲しがり、からだは動きたくなくなり、いろんなものが敵に見え、反抗し始めます。やりたいことじゃないほうへとからだが動いてしまうのです。これは本当につらいです。
でも今はからだはもちろん心についての情報もいろいろ進歩しています。
ですから、健康で美しくあることは手が届く夢です。
いろんなグッズやツールを前向き生活に取り入れ、楽しみながら健康になること、これに取り組める人はきれいになれます。
でももし、わかっちゃいるけどからだに悪いことがやめられない、とか、そうしたいのになぜかできない、悪い方へ考えてしまう、とかいうことで御悩みの方がいたら心の方のチェックをお勧めします。
次回はそのやり方をご紹介しますね。ヒプノセラピストAZUが登場します。お楽しみに。

【ジャーヘッド】シャーベットかと思って何回も見直した

別に笑いをとろうとしたわけじゃないんだけど、ほら、ショコラとか、チョコレートとかってタイトルの映画あるでしょ?
もちろん全然違ったわけで・・。
これは1989年から、あのアメリカ・イラク戦争までが舞台。湾岸戦争だ!そうだ。
89年は私にとっても忘れられない年だ。
アメリカ海兵隊の狙撃兵(だっけな、違ったらごめん)の話。話・・とか悠長なこと言ってる場合じゃないくらいリアルでディープで早くて、ほんと面白かったです。

http://www.jarhead.jp/top2.html
監督はアメリカンビューティーのサム・メンデス。アメリカンビューティ面白かったね。こういうシャープでスマートで繊細でパワフルな人の世界に触れるってほんと幸せ。生きててよかったなぁと思うんだ。
内容はどこにもハッピーはないけどね、私は芸術の凄みってこういうとこだと思うのよね。
とにかく一部のすきもない。涙もない、乾いた笑いはたまにある。でもその世界の一秒一秒は潜在意識にきりきりと食い込んできて、私は完璧に別の世界にトリップしている。
知ってる、この感じを、知ってる、と私は思う。
別の次元の私は別の世界でそれを確かに体験している。でもそれがどこなのかいつなのかはわからない。でも知ってる・・・
いい芝居とか映画は必ずそういう感覚を呼び起こさせる。潜在意識のみている夢のように。
あぁ、私はそんな世界を創る一味に加わりたいと心底思うのだ。
そういう一味になると私はどこまでも使えるボスの右腕になれるのに。
89年ごろ、私はそういう世界に生きてた。半分くらい、それ以上?この世にいなかったかもしれない。
私が愛してやまない演劇とはそういう夢の断片をかき集めてコラージュする工場だった。
30代に入って私は日常舞台化計画に入った。そういう人生そのものを現実に生きたかったからだ。
その狙いは結構順調かもしれない。結構な冒険ができてる。
でも、まだまだだなぁ。脳天が宇宙と直結するあの瞬間をまだまだ体験したりないなぁ。
何言ってるかわかんなくなってきたのでこの辺で。
よい週末を!

うちの子は・・

とうとうこの寒い冬を、一時も花を絶やすことなく乗り切ってしまいました。ずっとお外で。
なんていい子^^
もう次のつぼみが3方から膨らんでます。
ゼラニウムのゼラコさん。

Gyaoの【音楽】で

ラッキーなことにフジコ・へミングのドキュメンタリーと、何とかライブのクミコさんと上田正樹さんが見られた。
フジコ・へミングは、昨年彼女の自伝的ドラマを菅野美穂ちゃんが演じているのをちらりと見て(母を十朱幸代さんが演じていて激うまかった!)かなり共感してしまっていたところに私の事務所の社長からお誘いいただいて国際フォーラムで拝聴させていただきました。本当にすばらしかった。(一人スタンディングオベイションしてしまった。なんでみんな立ちたくならないの?)
それからすぐに本屋で彼女のエッセイ「天使への扉」を見つけて読んで、完璧に彼女は「仲間だ」とわかりました。何が?・・つまり、精神がとても似通っていてあまりにその心情を理解できたということです。
彼女の長く光の見えないトンネルと己の才能と言う宝ものとそれを背負った重み・・こんなことを書くとまた「おまえとフジコへミングを一緒にするな」とかいうどっかのオヤジの声が聞こえてきそうですが、もうそういう声には聞く耳を持ちません。そういうことを言う人は、自分の飲んでる飲み屋でフジコへミングがピアノを弾いていたってきっとそのすばらしさなんてわからないに決まってます。きっと「ピアノうまいけど、顔がぶすだな」とかデブだばばあだとくだらないことを言って自分のうさを晴らして終わりです。そういう人は真の自分の価値とか人生の豊かさとかに注意を払ったことがないのでしょう、たぶん。
私は自分のパーソナリティとか世辞には疎いですが、才能とかそういう神から授かったものに関してはよくわかるのです。強いて言い訳するなら私はそういう家庭に育ち、才能というものを目の当たりに暮らしてきたし、私の家族はみんなそういうことはわかります。
もっと言えば、才能とはすばらしいものだけどそれは天からの授かり物です。その人が偉いわけではありません。それを生かすも殺すも自分しだいです。それをエゴのために使えばそれは毒にすらなります。私はそれを腐らせない方法をひとつしか知りません。それは他に与え、奉仕のために使うことです。人は才能をあぶく銭のように使ってしまいがちです。するとそこには大きなしっぺ返しがやってきます。そうして多くの天才たちは何かに縋り溺れ、命を落としていったのです。ピカソのように、己の才能とうまく付き合い才能とともに偉大な人格に成長していった人は稀だと思います。なぜなら才能は人格が成長するより前にもうそこにあるからです。人間性の方は成長するのにとても時間がかかるのです。
フジコさんも長いこと自分に才能があることを知りながら、そういった言葉の暴力や世間の無理解に耐え忍んできたことが彼女の一言一言からにじみ出ています。
彼女の救いは本当に神のみこころを信じることと猫だけだったのではないでしょうか。
彼女の奏でる音には人生の大半をかけて交わしてきた神との濃密な約束に対する思いが込められています。諦めず、かといって誇示せず、知っていることだけを守ってきた彼女の真実だけがそこにあります。
シャンソン歌手のクミコさんを知ったのも確か昨年のことです。メディアに登場するようになって彼女自身まだそれほど経っていないはずです。
私が彼女を初めて見たのは彼女の持ち歌でなく懐メロ特番みたいなので彼女がフォークソングを歌っていた時でした。私はめったに他人の歌を「うまい」と思わないのですが(特に日本のテレビでは。子供の頃、上月晃さんが「メモリー」を歌っているのを聴いて「ほんとうまいなぁ」と思ったくらいで)わぁ・・この人歌がほんとにうまいなぁ、こんな人がテレビに出てるなんて。どこからこんなうまい人を連れてきたんだろう?と思ったのが出会いでした。
私はテレビをあまり信用していないので、無名のこんなうまい人を探し出せるはずがない。きっと昔から有名で実績のある人で私がたまたま知らないだけだろうと思ったのです。
でもそれから度々彼女をテレビで見かけるようになって、彼女の持ち歌を聴き、彼女の自伝的トークを聞いてなるほど~~~!と納得したのでした。そして、日本にもようやくこういう時代がやってきたのね~!綾戸さん、クミコさん、ありがとう!と思いました。
クミコさんの歌には本当に歌を体の中で練り上げてきた来た人にしか出せない奥行きがあります。こういう風に歌おうとか、人にこう見せたいとか聞かせたいとか、そういう欲みたいのがもう昇華されちゃってるんですよね。例えば今の彼女がステージに立って、今日はすごく元気がないとか、愛する人を失ったとか、癌で余命3ヶ月を宣告されました、とかいう時だったとして、ああもうどうなってもいいやと思う中で曲が流れ始め、彼女がとんでもないおかしな声で叫んだとしても、気の抜けた声で呻いたとしても、それは「いい歌」になってしまうだろうと私は思うんです。彼女自身は見た目もちょっといかした普通の女性です。歌もすごくナチュラルです。だけど私にはそういう、細胞一個一個切り離してもその中に歌がある、みたいな凄みを彼女から感じられるのです。
私が今毎日立っているステージは、今の彼女から見た長いトンネルの中と似ているかもしれない。彼女は今本当にやってきて、やめないでよかったあぁぁあぁぁ~と思っているだろうと思います。でもそのトンネルの中にも、いい時も悪い時もあっただろう。何かを掴んだ瞬間をたくさん体験したはずです。その体験の中で彼女の体の細胞はいっこいっこ開花し変容し進化していったのだと思います。
私がまもなく40歳になろうとして、私は歌一筋ではなかったけど、広い意味で表現者をどっぷり追及して生きてきて、今の自分に望むのはそういうことです。
細胞レベルまで変わってしまえばそのオーラはそう簡単には崩れない。
私はもともとオーラありきのタイプだったけど、そのオーラを肉体の細胞レベルに浸透させるにはやはり鍛錬以外にはないのです。
芸術におけるテクニックとはそういうことなのではないかと思います。小手先でこう見せるとかこうやって見せる、なんてのはテクニック以前のもの。ハートにあるものをハート任せに演じるのではなく、からだ全体がハートであるようになっている。その時表現者は真に自由に演じることができます。
どんな風に歌おうがそれすべてがその人であるかのように歌う。その声すべてがその人そのものであるように。
最近は酒場で歌っていても【わたし】に気づいてくれる人は結構たくさんいます。
きっと私の声が私そのものに近づいて来ているんだと私は思うのです。

今年の目標達成のために

満月まであと二日。
今回の満月はしし座で起こるので、しし座生まれの私のさまざまな思いが現実化するタイミングだそうです。
月は午後から明るい空に大きく美しく上り始めました。
夕方月のエネルギーを浴びに平和の森公園に行ってきました。
こういう時は思いや願いにとても注意を払わなくてはなりません。
うっかりいらぬことまで願ってしまうとあとでたいへんだからね。
心を静かにして、魂が本当に望んでいることだけを月に伝えます。
空気は春のように優しく、久しぶりに体や頭の中身までが緩んだようでとてもいい時間でした。
きっと今日思ったとおりになるでしょう。
今年の始めに私は、今年は天使とお話できるようになるんだ、と口に出して言っていました。
その思いは強くなるばかりなので、大好きなRED ROSEの万美子さんお勧めの本を注文しました。
そうなんです。思いはかなうけど思っているだけではだめなんですよね。
あることを願うと、達成のために必要なステップがチャンスとか障害とかいった形でやってきます。私たちはそのステップに乗っからなければならない。そこで私たちのエゴはこう言います。
「私はこのやり方じゃないほうがいい。これは私の願いとは関係なさそう。もっと近道がいい。望んだものとは違いすぎる」
でも、大体においてそれは思いもよらない方法でやってくるもの。
まずはだまされたと思って、やってみるのが近道。
でも今回の私の場合はそんなに意外な方法じゃなかったけど。万美子さんのブログで見て、それからなんとなく心に引っかかってたらまた万美子さんのメルマガでお知らせが来たんです。
ただ疑い深い私は大体何度かは疑ってみるんですよね。本当に買う価値が今の私にとってあるのかなぁ、がっかりしたくないもんな・・って感じで。
そのあたりが人間っぽいんですよね。世の疑い深い人間の気持ちわかります。
でも結局メルマガが来た時点であっさりいきました。
もう一回躊躇すると直感が鈍りそうなので。
明日届くので楽しみです。結果はまたね。