豊かさは、愛することから

理想や意志を持つ人ほど、自分のコントロールができるようにならない限り葛藤が大きいものだと思います。思慮ある多くの人が自分を簡単に愛せないのはそこにあるような気がします。

トラウマがあるとかないとか、インナーチャイルドの状態に関わらず。(インナーチャイルドは自分史のすべてですから、見直しをするまでの自分の多くはそこから成り立っているのはもちろんのことですが。)

理想と意志に感情とからだがついてこないイライラ、これは放っておけば一生つきまとう人間のジレンマでしょう。放っておいたなら、その人にどんなに崇高な思いがあっても、心の中が平安に満たされることはないでしょう。むしろ自己のなかの分裂は時とともに深まっていくことと思います。

崇高な意思とうらはらに心の中ではいつも不平不満が渦巻いている。いつも他者かもしくは自分を攻撃している。もしくは諦めや我慢とともに固まり閉ざされている。

この状態をチャクラで見ると、スピリチュアルに目覚めている方には往々にしてあることですが、下3つのチャクラが閉じているとか弱い、というふうに出ていることが多いです。「地に足がついていないんです」などと自覚なさっている方も多いけれど、言葉のイメージのように単にふわふわしているということだけではなく、

例えば自分の在り方を常に周りとの兼ね合いで測ってしまうというようなことや、どこにいても求められる以上にがんばってしまう、さらに求められないと居心地が悪い、つまり役割がはっきりしないと楽に居ることができない、人のことは許せるけど自分にはもっともっともっと多くを求めてしまうとか、だけど周囲からの理解は欲しい、賛美とは言わずとも少なからず認めてもらいたい、或いは許可がほしい・・・など様々な意識として現れます。まさに葛藤です。

これは30代のころの考察ですが、年を取って寛容になっていく人と偏狭になっていく人がいることに気づきました。更に掘り下げれば寛容に見えて諦めが強く閉ざしている人もいるかもしれません。本当の意味での寛容は、赦せることでしか生まれないのでしょう。

霊的成長、などというと仰々しいですが、私は単純にどっちに向かうかの二択だな、とその頃思いました。私は思春期から体調も精神状態も不調で不安定だったため、20代後半から自分を立て直し始めましたが、「次の山場は更年期だ。そこは自分の取り扱いマスターになって苦しまずに乗り切るぞ」と心に誓ったものです。そして自分との付き合いに対して本当に様々な実験を施してきました。

人間の肉体的な健康や寿命はおそらくホルモンに牛耳られていると私は今では勝手に確信しております。例えば女性ホルモンが一生の間に分泌される量って、ティースプーン1杯だと昔何かで読んで驚愕しました。総量でそれだけのものが、心身にどれだけの影響を持つか、というより女性のからだの一生をコントロールするのです。すごいと思いました。

この微細な采配は、心の在り方、自分の扱い方、つまり自分への心のエネルギーの向け方でまったく違うものになると、私は仮設を立て検証し、ほとんど納得に至っております。

また、自分が自分の思うようにならない、という体験は、子供の頃の些細にみえる兆候(例えば、宿題を後回しにしてしまう、毎日こつこつ予習復習ができない、忘れ物をしてしまう、テストでケアレスミスを必ずする、マラソン大会などが非常にプレッシャーである、ノートを最後まで使いきれない、-途中で飽きてしまって-)から始まり、思春期の体重のコントロール不能からはあっという間に不眠、便秘、摂食障害、鬱へとつながりました。

これらは自分への不信感、無価値観、自分自身との関係の溝の最初の兆候だったように思います。この後大人になるとこれらが仕事や自己表現、ひいては経済面、人間関係、恋愛、家族関係など生活と人生そのものへと大きく波紋を広げるようになりました。

これらは成長の過程で誰もが超えるハードルです。人によっては躓きもなく何気なく乗り越えていけるテーマかもしれません。ですが私の場合、どれもが気になり神経質さが増し、傷つきがひどくなり、愛を見失い、人生そのものへの絶望へとつながりました。

そこから回復する際、インナーチャイルドの状態が、すべての人生に非常に重大に関わっていることもわかりました。

世界を愛すること、他者を慈しむこと、自分を愛することは同じです。どこから始めてもいいのかもしれません。しかし、どれか一つだけ、あるいはどれかができないでいる間は、本当はどれもできていないのと同じなのだろうと私は思います。どれかが気になったときには全体を見直してみることが、人生を豊かに生きる一番の近道と言えるでしょう。

欠けていることへの気づきは、より全体性へと統合されるチャンスを与えられていること。それが魂の導きであり、自身の真実の道なのだと感じています。豊かさへの道は、得ることではなく、不全性をみつけ、思い込みを手放すことによって必ず開けます。どんなときでも。

超人のすがた

「私たちの真の強さは自己の明け渡しからくる」
これは敬愛するスリ・ダヤ・マタさんの言葉。

そう聞くと、誰にでも何にでも従順に言いなりなイメージを持つ方もいるかもしれませんが、
もちろんそうではありません。
明け渡す相手は神しかありません。

「夜も昼も、何をしていても、心の背後で常に神のことを考えているようになるまで、あなたの心のすべて、思いのすべて、魂のすべてで、神を深く愛してください。」

究極、瞑想を何のためにするかと言えば、
そうなるため、なのだと思っています。
自己を明け渡して、内側を神で満たしておく。
そして、それを、生きる。ただそれだけ。

瞑想の習慣のない方からみるとおそらく気持ち悪い話ですよね?
私はもちろんそう志して日夜励んでいますが、
でも暮らしはいたって普通の感覚です。

例えば些細なことが心にひっかかって落ち着かなくなること、
沖縄で教えていただいた言い方だと「さーさーする」ことなんて、
いくらでもあります。

さて、そのさーさーを追っかけて分析をしたところで、それはほとんど解決しません。
なぜだろう、どうしたらいいんだろう、なにがいけないんだろう、
あれかな、これだろうか、いやそんなはずはない。

これをやっているうちにだいたい行き着くのは
「ああもう、こんな自分でいやだな」「自分ってやっぱりだめなんだな」
「ああ世の中ってめんどくさい」などという境地です。

ヨガナンダ先生はこうおっしゃいます。
「自分の考えを見張っていなさい。どんなに多くの時間を、無駄な考えや、愚かな考え、否定的な考えに費やしているかを理解しなさい。そしてどのくらいの時間、自分が神のことを思っているのか見守りなさい。」

さーさーする自分について真剣に考えていたとしても、
それは自分と向き合うということとは違う、と
気づいている人はどれくらいいるでしょうか。
自分のことや他人のことを一生懸命思っていたとしても、
思っている自分が神から離れてしまっている、ということこそが、
気づくべきことだということなんですね。

またそこでいろんなわながあります。
じゃあ悩まないで明るくふるまっていることがいいことなんだ、
ポジティブに考えればいいんだ、という方向に向かうこともあります。

いえいえ、それもやはり、意識は外に向かっていることになります。
内面は放っておいて、外側への対処に向かっているんです。

神は内面にしかいません。この世においては。ある次元においてはすべてにいらっしゃいますが。
ですから私たちが神を思うときは内面に向かい合うしかありません。
神を体験するのも実感するのも、私たちの内側を通してしかできません。

自己と向き合う、というのは究極神と向き合うことに他なりません。
自己の本質が神だからです。

はっ、そうだった、と、さーさーから離れて神に戻ってきただけで、
さーさーは幻想となって去ります。

平安に戻れば、その原因やきっかけはもう存在しません。存在する意味がありません。
それより、戻ってきた喜びと感謝があります。
その中からさっきまでの自分を観察し、学ぶこともできます。
平安に戻ってきてこそ、初めて学びができます。

こんな、天国と幻想の間を、お皿を洗ったり床を拭いたりしながら
行ったり来たりしております。
夫と神について話し合う時、セッションの時、自己ヒーリングと瞑想の時が、
一番神を実感できる時間です。
幸いなことに、ここに時間を費やせる生活をしていることが何よりしあわせに思います。
それを選ぶことを選べた自分になれたことが、喜びです。

美しく咲く

昨日のおやすみは久しぶりに庭仕事が少しできました。
ブーゲンビリアと玄関脇のローズマリーを剪定し、裏庭の石垣のくぼみに昨年植えたキダチアロエを収穫しました。

こういう作業って、自分の心にどれくらいゆとりがあるか測れます。
スペースが足りていない時は意欲がないばかりではなく、ちらかっていても目に入らない、スルーされることが多いです。
自分のエリアを小さくして、自己を温存しているんでしょうね。

今年に入って、まだ間もないですが、普段手つかずの「あとちょっと」のところにおそうじ意欲が出てきています。
明らかに昨年とは違う。私だけのバイオリズムなのか、みなさんはいかがでしょう^^

ローズマリーはパンやお肉料理にもべらぼうに合うのですが、今回はお風呂場と寝室に活けました。
アロマとしては緩めるよりはシャキッとする効果が強いのですが、この香りのすばらしさには代えられません。
夫もとても喜ぶので我が家には合っています。

先代のマリーさんは、公園で一枝手折らせていただいたものを挿し木して、道にはみ出すほど育ったというのに、はみ出ちゃうな、どうしよう、と思っている間に一気に枯れてしまいました。調べるとマリーさんには突然天寿を全うされる傾向があるそうです。当代はメイクマンで小さな苗を購入して植えましたが、順調です。

キダチアロエはなんとなく、初挑戦ですが、お茶にしてみようかと思い立ち、スライスして干しました。お日様が今日は陰っていますが晴れたらい1日でできてしまいそうです。棘を取るイメージがあったのですがシュウ酸カルシウムが多いため、と後で知りました。取ったり取らなかったり、で、ついでに葉肉をちょっとつまみ食いしながら、いい加減な仕事です。

植物って、人に観てもらうと圧倒的に元気に、美しく育つと私は常々思っています。東京へ行くと、街路樹やお庭の木がものすごくきれいだな、と感じます。20代のころ善福寺川公園のそばに住んでいてなにより川沿いのおさんぽが好きでした。ここの公園は本当に美しく、その頃です、そう思い始めたのは。東京の公園はいつでも人がいて、求められている感じがするところが多く、その思いを受けて樹も応えるのでしょう。

沖縄では、ここすごいな、と感じるところにはだいたい拝所があります。神との交流の場なんですね。そういう場所の植物も人信仰に応えて荘厳となり神聖な場を創り護ってくれていると感じます。

人間の視線にも想いにも、それだけのちからがあるのだと思います。いいほうへ使いたいものですね。
そのためには何しろ、自分育てと内面のおそうじに尽きます。注いだ分、必ず良い花になります。

初心表明

みなさま 新年おめでとうございます。

昨年もたくさんの方とお会いすることができ、また勉強会という新しい切り口で交流させていただけて大切な一年となりました。
おひとりおひとりに感謝の気持ちです。本当にありがとうございました。

今年もまた、ひと時ひと時を愛おしく感じられるよう、精いっぱいに歩んでいきたいと思います。
関わってくださるすべての方、どうぞよろしくお願いいたします。

ブログを書き始めてなんと15年にもなろうとしています。
何の気負いもなく、ただ言葉を紡ぎたい、言葉で伝えたいという思いだけで始めたものですが、こうして今も書けることが嬉しいです。
最初は自己治癒的な意味合いで、書くことによって自分を保っていたという感じです。
今はここまで自分を地に養っていただけたご恩返しを宇宙にできるといいなという気持ちも大きいです。
もちろんメッセージによって私を知っていただき、道のご提案ができるのは喜びです。

書けること、というのは、受け取ってくれる人がいる、というのと同義です。
どんな仕事でもそうですが、行いということは受け手あって存在できることなのだと思います。
この世に影響がない行いは存在しないのだということをしみじみ思います。

大切に受け取り、そしてしるしたいものだと思います。

初心に返って、レイキについて少し書きたいと思います。繰り返しになるかもしれませんが、繰り返す必要を感じています。

私自身、レイキの伝授を受け入て以来、レイキを忘れた日はありません。仕事として世に出してからも、自分自身から切り離された商品のように感じたことはありません。よくクライアントさんから「レイキなしの生活なんてもう考えられない!」と、お言葉をいただきますが、まったくもって同感です。そんな仲間が増えることこそ喜びです。

遠隔アチューメントの場合、ご質問をあまりされない方もいらして、その場合こちらからご指示することはないのですが、だいぶ後になってからきっかけがありお話するにつけ、ああもう少し補足できたらな、と思うことも多々あります。また、公式のマニュアル以外に、独自のマニュアルもぜひ作ってくださいというご要望もいただきました。取り組んでいきたいと考えています。

レイキにはおおもとのオリジナルのマニュアルがあります。基本的にはそれさえ熟読し理解すればレイキを大いに活用できます。レイキと名のつくものに限らず、ヒーリング哲学の楚は臼井レイキにあると思います。臼井レイキの精神に沿って深く洞察された著書は「癒しの現代霊気法」に尽きると私は感じています。アチューメント前に読まれてもあまりピンとこないかもしれませんが、使い始めてから読んでみると、あらゆる疑問に答えてくれるのではと思います。クライアントさんがくださる数々の質問に向きあっての実感です。

それ以外にレイキの本でお勧めはありますか、とご質問いただきますが、正直書店にびっくりするほど並ぶレイキやヒーリング関係の本にあまり関心するためしはありません。これに効く、こんなふうに使う、というのは本質ではなくて取ってつけたものが多い気がします。原理と質がわかると使い方は自ずとわかってきます。それには、意識やエネルギー、また心の働きや瞑想についての学びがむしろ役に立ちます。

つまるところレイキを理解するということは、この宇宙の原理や生命、意識のエネルギーのシステム、自然界の理というものに踏み込まざるを得ないからです。しかしながら電気の仕組みを即座に明快に説明できるという人は少数でしょうが、多数の人に利用はできます。この世のおおかたのシステムとはそんなものです。

レイキは、動かすちから、または動きそのものというちからで、そのなかでもより微細な振動数を持つもの、というのでしょうか。でもその前に、私たちやこの宇宙に存在しているもののすべてが実は振動であり振動数を持つものだと認識しないと、この説明は不十分です。レイキはそもそも止まって固まっているものを動かすわけではなく、そもそも揺れて震えているものに干渉し、変化を促します。共振を誘い、引き寄せて引き上げます。

この世の存在には生物と無生物がある、と小学校で習いました。なるほど、とその時深く感心したのを覚えています。しかしその双方が実は振動し活動するものによって構成されています。まったくもって命とそうでないものの区別は不思議です。本当はすべてが命なのでしょう。

では一体、あらゆるもの、万物を構成するものの振動とはどこから来るのでしょう。そして命とそうでないもの、有機と無機をどう振り分けているのでしょう。その根源を有らしめているちからを、私は神、と呼びます。別の呼び名がふさわしければそれでいいのですが。

ですから、私は、レイキは神から来るちからだと説明します。すべてのものがそうあるように。

「レイキはそもそも誰にでも備わっている力である」と言われるのはそういった意味での真実だと理解します。すべての人が本来愛である、というのと同義です。

しかしこの肉体をもってこの世を生きる浮世にあって、レイキがあるとなしとでは世界が変わります。人生に愛があるかないか、神がいるかいないか、くらいの違いがあります。

レイキが使えるというのはどんな生活でしょうか。

マニュアルによれば、他者への治療的なイメージがあります。治療までは無理でも、手軽な健康法、民間手当療法というイメージが最初の間口かもしれません。一番よく聞くのが「こどもが病気のときなんかに使っています」という声です。専門機関以外に自分でもできる対処法があるというのは素晴らしいことだと思います。

しかしレイキのパワーはここまでお読みいただければご想像に難くないことでしょうが、それにとどまりません。

私は、レイキの基本は自己ヒーリングであると心得ています。マニュアルにも当然その方法は列挙されていますが、それこそが極意だという記述はありません。これは自分の体得したことですが、この点真実だと確信しています。

レイキは、わたしという生命を活性化します。意識を浄化し、不純物を癒し、不和を調和させ、存在を磨き成長させてくれるものです。この点がレイキエネルギーの根っこの働きです。

「他者を変えるにはまず自分から」ですし、「より良いエネルギーのパイプとなること」のために日々できることもこれに尽きます。

ここでも立ち戻るべきは「私たちはエネルギー、つまり常に動き変化し続ける存在である」という観点です。何もしなくてもどんどん流れ、干渉しあい、変化していくのが自己なのであれば、そこに「より良く」という条件を付けたいのが人間という生き物なのではないでしょうか。人間が神の子たる所以でしょう。

もし自己がいったん確立され、例えば大人になって身長が伸びどまったところであらかた固定され、一定の必要不可欠な物質やスキルや評価を手に入れたところで安定してしまうような存在が人ならば、レイキは単なるオプション、飾り、または無用のものでしょう。

しかし自己意識(潜在意識と呼ばれる領域)にレイキヒーリングを施し続ければ、私たちは存在そのものの進化を促進することができます。無限に神に歩み寄ろうとする道を歩み出すことになります。

どういうことか具体的に言えば、自身に高い波動を流し続けることで、干渉を受け、引き上げられた結果、心の領域の不純物が除かれ、想いによる限界の枠組みが解体され(エゴの解体)防衛本能という狭くて低い波動の支配から自由になり、防衛反応である攻撃性(怒りと恐れ)の武器を脱ぎ捨てることを可能にし、愛という魂の本源の実在性への帰還に導く、というものです。

かみ砕くと、ありがたいエネルギーをいっつも流しているおかげで自分が穏やかになり、そのせいか周りも優しくなるので幸せだし、困ったときにもなぜか守られてる感じがしてうまくいく。おかげでからだも楽になり、余計な心配が減ったなー。この世はいいところだ。みんなそうなるといいねー、といったところでしょうか。結果、おかげでより高度なチャレンジに手が届くようになるわけです。

さて、そんなたいそうなものを今まで持ってるのに使ってなかった、どうしよう、と思われた方はぜひたった今から使い始めてみてください。レイキは一度伝授されれば恒久的にあなたの経路に刻まれます。以前使ってはいたけどどうも実感がない、というか方も、いったん再活性化が始まるとまた前とは違った変化を感じられるかもしれません。

どう初めてよいやら、という方はその旨ご連絡ください。遠方の方はお電話セッションでもレイキの勉強や活性について承ります。また遠隔・対面のヒーリングによって再活性化を促すことも可能です。学びを深めたい方にはレイキ・ワークアウトをご用意しています。他所でアチューメントを受けられた方にも対応していますのでご相談ください。

末筆ながら本年もおひとりおひとりにとって実り多き一年となりますようお祈り申し上げます。この記事にレイキを込めますのでお受け取りいただけたら幸いです。

AZU拝

筋書きのないドラマ

心のセラピーという仕事をかれこれ15年以上やっている。ヒーリング、カウンセリングと少し枠を広げて、これまで培ったものをなるべく全部使って、セッションできるよう工夫してきた。おかげさまで、たくさんの人と深く向き合うという人間として最高の機会をたくさんもらった。

こういうセラピーというと、心が病んでる人がやるものでしょ、とか、或いはスピリチュアルにかぶれてるジャンルの人がすることでしょ、と思われるかもしれないけれど、私は全くそう思っていない。

私がいつも呼びかけるのは、普通の、人間の、健全な心と体、そして間違いのない本当の幸せを求め、人間を、自分をもっとよくわかりたい、というすべての人に向かって、お手伝いさせてください、ということだ。

私が仕事に取り組むなかで学び続けているのはそういうこと。

そんな中で、感じたこと考えたこと、学んだことをここで文字にしている。

そのうえで、あえて政治のことも社会問題のことも書いている。普通の、人間の、心のことを探求し、心とからだをおそうじし、小さなことを丁寧に丁寧に生きているから、だんだんと広い世界のことが細かく目に入るようになった。

今回の参議院選挙は、私が生きてきて一番大事、と思っていることが完全否定されるかどうかという土壇場の選挙だった。結局、私たちはそれを失う方向へ大きく確実に一歩を踏み出したわけだ。

でも、そのなかにも、愛とか勇気とか叡智と言える輝きの片りんをたくさん見ることができた。魂が揺さぶられるような体験というのはありそうでそうそう転がってはいない。

まず私がすごいと思ったのは、野党共闘。これは歴史に残るだろうと思う。どんな歴史になるかはまだわからないけれど。
野党共闘を訴え実行に移した立役者の奥田愛基(おくだあき)さん24歳の心が洗われてしまうあまりに透明なスピーチ。

それから創価学会の学会員、たけはらひろきさんからの訴え。震えます。歴史が変わった、と、感じました。

ちょっとばかっぽいけど、地球と人類の平和を魂の底から願い、人間の本当の価値をきっと知っているであろうと感じさせてくれる窪塚洋介さんのスピーチ。これは、ある程度社会問題を深く掘った人だとすごく伝わると思う。そうでない人にはわからない(笑)それでいい。

社会は、追いつめられているかもしれない。でも、ピンチはチャンスだから!
人間が試され、一人一人が一生懸命向き合って、考えて、進もうとしたとき、天から大きな助けがくる。
これはエネルギーの法則です。たくさんの人が体験して階段を一歩上がったらきっと、世界は変わる。

みなさん、自分の価値を、人ひとりの価値を、見失わないでください。
そのうちに潜在するパワーをみつけたとき、すべての人にもそれがあるのだときっと実感がわきます。
私もがんばります。

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究極の天職

自分とはどんな存在だろう、より自分らしい生き方とは、と考え始めるとき
職業について悩む人は多いかもしれない。

「好きなことができていない」ということで
自分はなにか不充分だと感じてしまう。

ワクワクすることをすれば成功する、お金がたくさん稼げるという思想は
スピリチュアルの定番となっている。

確かに、それは自分と向き合うとっかかりになるかもしれない。
人生でそういったチャンスが他になく、疑問も持ったことがない人にとって
それはそれでいい。

しかしとっかかりはあくまでとっかかり。
それは人生の目的でも魂の使命でもなんでもない。

かく言う私も、完全な豊かさを手に入れない限り、
自分は未完成、というような思いを
以前は少なからず持っていた。

完全な豊かさとは、
自分は必要なすべてを持っているということを知っていることだ。
そのことを知らない限り私たちは飢えたおなかを抱えたまま世界をさ迷う。

自分は不完全でいびつで未熟だ。
にきびが治ってほっとしたら今度はしわとシミに悩む。

そんな自分が自分らしく生きるとは、
という問いの答えを手に入れることなんて
本当にできるのだろうか。
すべては謎だった。

「そのままの自分を愛しなさい」
え?では向上心は?探求心は?

自分がこのままでいなくてはならないなんて、
全然しあわせじゃないじゃない。

神は私たちの心を通して、愛という光を私たちに灯す。
私たちはその光に行く手と足元を照らしてもらいながら
ただそれを生きる。

その生のなかで、私たちは変化する。
その愛のなかで、私たちは与え、受け取る。

その中で私たちはそれを実感し体験する。

ライトワーカー、という言葉を初めて知ったとき、
私はそれになりたいと心から思った。
20代の頃のこと。

つい最近になって、
「ライトワーカーって、
スピリチュアルな職業をしている人のことだと思っていました」
と言われました。

ライトワークは、光をもたらす仕事を、
生きることを通してすることです。
行いの中に愛を注ぐことです。
行いに愛を注ぐことが奉仕です。

奉仕は職業に関わりありません。
お金をいただくから奉仕できないわけでも
プロではないから奉仕できないわけでもありません。

職業の中の行いに、或いは職業以外の行いに
愛を注がないなら奉仕はできません。
しかしどんな行いにでも愛を注ぐことはできます。

どんな行きがかり上でも、その仕事に就くということは
縁があります。
適正がまったくないところに人は長くいられないものです。

その縁は誰が与えたのでしょう。
縁は天が与えます。別名、エネルギーの法則です。

天が与えた縁に、まずは奉仕で応えてみてはどうでしょう。

そこで喜びが感じられるのであれば
あなたはライトワークしています。

それは、行うものの喜びなのです。

天は時に、光の申し子であるあなたを
最も暗い場所に派遣することがあります。

あなたがそこで、変わらず光を灯し
愛を注ぐことができれば
それこそがあなたを霊的に格段に成長させる体験となり
霊的に格段に成長したあなたはさらに偉大な奉仕をすることになるでしょう。

その行いこそが、天が与えた仕事、天職なのではないでしょうか。

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