ちむぐくる

みなさん、参議院選挙、お疲れ様でした。
インターネットのおかげで、社会の動きを本当に身近に感じるようになり
また多くの人々の想いに触れることが日常になりました。

今日はfacebookにも上げた文章ですが、とても強く思うことなので
こちらにも記しておきます。
少し書き足しました。

沖縄が何をしてきたのか、私なりに見たことを書きます。

オール沖縄は、集団自決はなかったことにしよう、という教科書問題が持ち上がったとき、
これはいくら何でもいけない、と、県民が結束して立ち上がったとき作られた連帯です。

そして辺野古基地問題で再び連帯しました。

沖縄は変わったのか、そうではないと私は思います。

沖縄では戦争が終わっていません。
本当は、日本では戦争は終わっていません。

ただ多くの市民が忘れている中、沖縄県民はみんなが覚えている。
忘れてはいけない、と知っているのだと思います。

その違いです。

戦争が終わっていないからこそ、再燃させないように、
みんなが見張っています。

このことは20代30代でも、「当たり前ですよね」と言います。

こういったことは多分、ここで本気で暮らしてみないと絶対にわからない。

私の言うことが大げさだと思われるかもしれないけれど、
まったくそんなことはないです。

おじいもおばあも、日常から国会中継見ていて、いつでも政治の話ができます。
夫が尋ねたことに、答えられないおばあはいない。

いつも、考えているからです。心をそこから離さないからです。
そうでないと、油断すると、あれは必ずまた起こると知っているからです。

孫たちのことを思って、
いざという時家から逃げるルートを考え確保しているおじいの話も聞きました。
この話を内地の方に話したとき、
気の毒に、というニュアンスのリアクションをされたことがあり、
そっか、ここで温度が違ってるんだと一瞬自分の中で線を引き直しました。

過去の痛みから過剰反応している気の毒なおじいの話ではないんです。
それはいつでも起こり得るから、台風に備えるように備えている。
孫を生き残らせるための切実な知恵です。
私はここで暮らしていてそう感じました。

三宅洋平さんの演説にもあったけれど、
攻撃されるのであれば、米軍基地が真っ先でしょう。
軍隊が民間人を守ることなどないということを、沖縄の人は普通に知っています。
災害じゃないんです。戦争ですから。

沖縄にはそういう人々の、家族を守りたい、のみならず、
もう二度と、騙されてはいけない、騙されてはいけない、という
気迫と覚悟があります。

沖縄では洗脳によって、つまり騙されたことによって、集団自決が起こりました。
手りゅう弾が足りない家庭では、
きょうだいや親子が刺し合ったり首を絞め合ったりして、
一番大切な人の魂を汚さず守るために、命を手にかけました。

他の命を優先するために、防空壕で自分の赤ちゃんの命を奪ったり、
外へ捨てたりしなくてはなりませんでした。

みなさん、そんなこと今、できますか?
そんな選択を迫られたお母さんはその後生き延びたとして、
それから幸せに生きていくことなんてできるんでしょうか。

だから最も強く戦争の痛みや恐ろしさに直面した方々は、
声を大にして反戦なんて叫べないのです。
正義なんて叫べないんですよ。
平和は正義のためじゃない。
ただ、人間が普通の人間の心を持ち続けるために、
絶対に守らなければならないものなんです。

だから、私たちは最も辛かったその人たちの分も、
言葉にし、伝える必要があると思う。
そのためには理解し、知らなくてはならない。

人権が私たちから奪われるというのは、
そういうことに傷つくことすら悲しむことすら
許されなくなるということなんです。

人間が国の持ち物になり、国家が持ち物を好きに使うということなんです。

これからあと、多分あっという間に、
私たちは国の持ち物にされる方向へ向かうでしょう。
嫌だ、おかしいと言った人が罰せられる世の中があっという間に来ます。
伝えましょう。今ならまだ言える。

戦後初めての選挙での沖縄の投票率、ご存知ですか?
83.64%です。女性はそのとき初めて参政権を得ます。
日本では、沖縄のほうが早かったそうです。
私のおばあちゃんの人生の途中から男女平等になった。
私たちは民主主義のひよっこなんです。

それ以来、沖縄の人はずっと、見守っています。
平和のため、二度と騙されないため、洗脳されないため、です。

だからこそ、その家族の歴史を踏みにじる、
教科書問題で県民は結束したんだと思います。
それを否定されることは、家族をいなかったことにし、
またその死を無意味にすることになります。

選挙の結果が沖縄と本土でこんなにも温度が違うのは、
沖縄がこうして洗脳されなかったためだと、私は理解しています。

洗脳されている、と言われていい気持がする人はいないでしょう。
でも沖縄の風にさらされていると、見えるのです。くっきりと。

聡明な友人、知人が
与えられた教育や情報に洗脳されているのを見るのは辛い。
騙されないで!と叫びたくなる。

私は沖縄へ来て、生まれて初めて政治的マジョリティーを体験しています。
こんな日が来るとは思わなかった。
沖縄の目線で歴史を見てみてください。
同情や罪悪感を振り捨て、真実を教わるつもりで。
なにかヒントがあるかもしれません。

どうかみなさん、どんなことがあっても、
諦めず、大切なものを失わず
悔いのない選択を見極めていきましょう。

個が失われる時代が再びくるとは思いもよりませんでしたが
もう一度、私たちが生きている間にそれを取り戻し、
ブラッシュアップして次世代に手渡してあげたいものです。

終戦祈念~沖縄慰霊の日によせて

「ソフィーの選択」って映画、映画だと思っても吐きそうに辛い。
もし自分に起こったら、どうなるのかまったく想像がつかない。
そんな未来が来ることは絶対に防ぎたいと思う。
人権と尊厳のない世界。
それはつい、最近まで存在していた。

戦争またやろう、やればいい、やったほうがいい、
なんて思っている人は一握りだろうし
ほとんどの人は、んなわけなんじゃん、って言いながら
騙されて巻き込まれていくんだろう。

どっちにしても、それは憑き物にやられているんだと思う。
みんなが瞑想すればそんな愚かさは消滅する。

憑き物は、人間の想念だ。

利己心、虚栄心、傲慢は誰もが心に持っていて
憑き物はそういう波動が好きだ。

私たちは自分のそういった波動と闘わなくてはならない。
そういう意味で、生きることは楽ではない。

自分の中の邪気を見て見ぬふりする楽は、本当は地獄だ。
楽ではなく、それは本当はずるだ。

ずるは自分の周りに地獄を創る。
でも逃げていると、地獄に追われ、それを自分が創っているとは気づかない。
誰かが創った、外側にある、と、本当にそう思えてしまう。

そして周囲を攻撃する。
攻撃している人こそが、自衛を必要とする。

中国が北朝鮮がイスラム国が攻めてくるぞ、抑止力だ、自衛だ、
自分を護って何が悪い、やられる前にやれ、それが生き物の本性だ、
というふうに。

でも本当はそういう人はちゃんと闘っていない。
闘っていない不甲斐なさやうっぷんを晴らしたいのだ。

平和を本気で目指す人は少なくとも、自己の欺瞞と闘っている。
私たちが平和を獲得するには
自己と向き合わなければ始まらない。

瞑想している人、霊性に目覚めている人は
そろって、戦争は間違っているという。
そして平和こそが人間が目指す波動だという。

平和を志す人にはそれが当たり前すぎて、
それ以外の目的の意味がわからない。
だからかえって自信を無くしてしまう。

戦争を支持する人のほうがあたかもおとなであるかのように、
社会の真実を知っているかのように、思わされてしまう。

しかし、知れば知るほど戦争の仕組みは愚かだ。
誰もが持つ人間の利己心、虚栄心、傲慢を
権力者が利用して利権を得ているだけのことだ。

あわれにも巻き込まれた一般人は
そこに儚い意義を見いだそうとして
戦争に価値をみつけようとするか、
もしくは自分の愚かさを黙殺しようとする。
しかし傷は、学びなしに消えはしない。

私の祖父も沖縄戦で亡くなり、
母は心の傷を無意識にパートナーと私たち子供に引き渡した。

そうやって潜在的な怒りと虚無はカルマとして引き継がれる。
私たちの子孫の誰かがそのカルマの支払いをする。
そしてまた新たなカルマが作られる。

踏みとどまり断ち切る勇気のある者だけが
世界を変える。

その種を、蒔こうと思う。

______以下引用______
沖縄慰霊の日:「泣く子だめ」…戦場で別れた弟、妹よ
毎日新聞 2014年06月23日 13時25分(最終更新 06月23日 14時22分)

 ◇浦添市の喜屋武さん、かすかな望み消えない69年間

 沖縄戦で命を奪われた家族や友人らに鎮魂の祈りをささげる「慰霊の日」。戦没者の名前が刻まれた沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)の「平和の礎(いしじ)」には、23日早朝から遺族たちが訪れ、犠牲者の冥福を祈った。凄惨(せいさん)を極めた地上戦による傷は、戦後69年たった今も癒えない。【佐藤敬一】

 沖縄県浦添市の喜屋武(きゃん)幸清(こうせい)さん(75)は、「鉄の暴風」下で生き別れたきょうだいを捜そうとしている。家族の間でさえタブーにしてきたあの時のこと。「ひょっとしたら弟と妹は誰かに拾われて助かったかもしれない」。69年間、かすかな望みが消えることはなかった。

 沖縄戦の当時、6歳。父は移民先のマリアナ諸島テニアンに残り、祖父母とおなかに妹を宿していた母、弟2人と引き揚げ、那覇で暮らしていた。

 戦火に追われ南へと逃げた。途中、祖父母は死亡。母良子さんが水や食料を探す間、壕(ごう)で0歳の妹洋子(ようこ)さんを負い、4歳の幸紀(こうき)さん、2〜3歳だった幸雄(ゆきお)さんの弟2人をあやして母の帰りを待った。

 6月、たどりついた摩文仁の海岸で4人を連れた良子さんがガマ(壕)に入ろうとした時、避難民と一緒に潜んでいた日本兵が銃を突きつけて言った。「泣く子は入れない」

 良子さんは「究極の決断」を迫られた。「上の2人は泣きませんので助けてください」。喜屋武さんと幸紀さんを壕に入れ、幸雄さんと洋子さんを連れて出て行った。

 良子さんはしばらくして一人で戻り、再び出て行ってはまた一人で戻ってきた。置き去りにされて泣きながら追いかけてきた幸雄さんを、良子さんが言い聞かせるために出たのだった。

 終戦後、父幸一さんとともに親子の暮らしが戻ったが、弟と妹のことを誰も口にはしなかった。良子さんは敗戦から9年後、心臓病で亡くなった。38歳だった。「母は長男の自分だけでも何としても生かそうと考えたのだと思うが、ずっと自分を責めていたのでしょう。病気も戦争の苦しみが原因と思う」

 弟、妹の顔を今では思い出せないが、思いは巡る。「母は泣きながら追いかけてきた弟に、何と言い聞かせたのでしょう。考えただけで胸が張り裂けそうになる」

 今年、遺骨収集ボランティア団体「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さん(60)に「万が一だが、弟と妹をDNA型鑑定で捜せるかもしれない」と教えられた。「戦場で肉親と生き別れた人は多い。その人たちのためにも声を上げよう」。具志堅さんとともに、希望する家族と戦争孤児のDNA型照合を国に求めることにした。

 喜屋武さんは言う。「当時の話を母に聞いておけば良かったという後悔と、聞けば更に母を苦しめたという思いが今も交錯します。こんな複雑な思いを抱いている人が沖縄にはたくさんいるのです」

 安倍晋三首相は、他国を守るための戦争を可能にする集団的自衛権の行使容認に動く。「沖縄戦であれだけの犠牲を被ったのに、政府は『これからも日本のために我慢しろ』と言っているように聞こえる。戦争に加担して真っ先に狙われるのは基地のある沖縄です。一体何なのでしょう」

弟と妹と生き別れた摩文仁の海岸を見つめ、「ここに来ると当時を思い出して辛い」と語る喜屋武さん=沖縄県糸満市の平和祈念公園で2014年6月21日午前11時9分、佐藤敬一撮影
____引用ここまで____

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UFO?

昨日、犬のお散歩の時、すごいものを見てしまった。

具志堅のビーチで、西の雲から太陽光線が上向きに放射していて
それだけでもすごいなーと思って見ていた。

一瞬目を離してから再度見たら
その放射状の光の上に、どーん、と
でっかい円盤型の雲が乗っかるように浮いていて

その円盤型の雲に七色の模様が入っていた。
水に油が浮いたような模様で、蛍光色が乗っている。

虹が雲に映るのは時々見るけれど
あんな模様は初めて。
彩雲

そしてその円盤型の雲、空飛ぶ円盤そのもの(笑)
私、UFOってあまり実感して見たことがないんですが
あれは・・・乗り物でしょ!

動く黒い点とかではなく
あれーもしかしてあの動き・・・とかではなく

誰が見てもおかしいでしょ、ってレベルの雲、ですけど
物質としてのではなくてエーテルが雲に波動を伝えて
ああなってるとしか思えない。

ビーチの端っこに珍しくカップルがいて
気づいて、って呼びかけたけど
見てもらえなかった。

昨日に限ってケータイも持ってなくて写メなし。残念。

おとといから夏です。

みなさん、こんにちは。
いつもAZU WORLDをご訪問くださりありがとうございます。

沖縄、おとといから夏となっています。
昨日のお休みは今シーズン初の、ビーチランチ&コーヒー&散歩&ヨガ&瞑想+わんこ
を、楽しん来ました。

いつもながら、ランチは夫が作ってくれます。
卵とツナとオレンジクリームチーズの三種のサンドイッチ。

準備ぜーんぶ整えてくれて、私はご招待状態(笑)
昨日はコーヒーだけお手伝いしました。が、

夫だと2種類の豆で淹れてくれるところ、
おおざっぱな私は一種類どーん。しかも、
量も足りな目。だんなさんごめん。

夏になると俄然沖縄の空と海の色は輝きます。
きれいなものを見るって、それだけでエネルギーが変わりますね。
良いものに触れるって大事だなーと思いました。

少しでもお裾分けできたらと思い、今日は写真アップしますね。

いつもお散歩する知念のビーチ。誰もいません。
いつもお散歩する知念のビーチ。誰もいません。
空、すごくなってきました。
空、すごくなってきました。
満潮時は海底です。どんどん進む。と、
満潮時は海底です。どんどん進む。と、
振り返るとこんな。パラソルほとんど見えません。
振り返るとこんな。パラソルほとんど見えません。
ついに最先端へ。離島並みにきれいです。
ついに最先端へ。離島並みにきれいです。
どこへきちゃったんだろう?
どこへきちゃったんだろう?
ガラ携のカメラの限界(笑)
ガラ携のカメラの限界(笑)
正面にある点はクマカ島です。
正面にある点はクマカ島です。
さんごのあかちゃんも育っています。がんばれ!と声がけ。
さんごのあかちゃんも育っています。がんばれ!と声がけ。
おかあさんも大冒険。
おかあさんも大冒険。
久高島でいただいたカジキとクレソン丼。これも夫が。あれ、私料理してないわ。
おうちに戻って晩ご飯は、久高島でいただいたカジキとクレソン丼。これも夫が。あれ、私料理してないわ。
だけど、シャンプーは私ががんばりました。きれいな間だけ、お部屋で一緒。
だけど、シャンプーは私ががんばりました。きれいな間だけ、お部屋で一緒。

御清聴?ありがとうございました^^

 

今月のおかあさん~本能と愛~

去る9月4日に、我が家のおかあさん(犬です)は避妊手術を受けました。

私も夫も、人生で手術の経験がなく、できればなるだけメスを入れない人生を歩めたらと望んでいました。ですからおかあさんにだって同じ思いです。

うちの子になって一か月を過ぎたあたりからおかあさんに生理がきました。犬の場合は生理が来ると発情前期となります。そして発情期に入ると、オス犬を引き付けるフェロモンを出します。

勉強してみると、オスのわんこには発情期というのはないのだそうです。要はメスの発情に触発されてオスは発情するわけです。

おかあさんが発情期に入ると、驚くべきことにうちの周りにオスのわんこが四六時中徘徊するようになりました。朝おかあさんのところに行くと知らないおっさんやイケメンとばったり顔を合わせるなんてことが頻繁に起こり、夜中におかあさんの声がして窓から外を見ると、おかあさんとそっくりな後ろ姿がひょこひょこ歩いており、最初はおかあさんが脱走したかと思って外に飛び出したりしました。

以前のブログをお読みいただいた方にはお分かりのことですが、わが家の並び3軒はおかあさんとおかあさんの娘が二匹養われていて、それから坂を降りたところのご近所さんのところにもピカピカな血統の匂いがする女のわんちゃんがいます。そしてなんとなく、一斉にみんな発情期みたいなのです。

それでご近所わんちゃん世帯は今、でーじやっさーなのであります。わがおかあさんはすでに出産を経験しており、この子たち含めて具志堅の奇跡の里親連合に引き取られ一安心したと思いきや、翌月からはこの騒ぎです。

我が家では会議に会議を重ねた結果、おかあさんに手術を受けてもらうという苦渋の決断をしました。

前の晩からご飯を抜いて、手術後病院に一泊して帰ってきました。きゃんきゃんするかなとか、暴れたり嫌がったりするかなとか、いろいろとシミレーションしましたが、結果としておかあさんは起こったことは受け入れるタイプの犬でした。おそれをぐっと噛みしめて固まったままじっと耐える子なのです。夫に迎えに行ってもらうと、おかあさんは久方ぶりにしっぽを持ち上げたそうです。大好きなはずのご飯もまったく口にしなかったそうです。麻酔でふらふらになり、車に飛び乗れずにずっこけて、呆然としながら帰ってきました。

帰ってきたおかあさんは、10歳老けた、という感じでした。野犬だったときとも比べ物になりませんでした。私はそのやつれ方が、父が病気の時とダブって見えました。顔の筋力の落ち方や表情、動きなど微細なところが、向精神薬や麻酔によるものというふうに見えました。これはまったくの私の個人的な感触による感想で、おそらくほとんど理解されないのでは、と思うのですが。

翌日から定休日の二日間、私たちはべったりとおかあさんに付き添うことにしました。ガレージの車をどけておかあさんのエリアにしきものを敷いて、おかあさんと添い寝したりごはんやおやつを食べたりヒーリングをしたり、おかあさんが眠ってしまうと瞑想したり読書をしたりして過ごしました。

二日間のうちにおかあさんは精神的ショックからだんだんと目覚めてくるように見えました。

その後おかあさんは少し赤ちゃん返りをしたようにやんちゃになってよく吠えたりしました。それからようやく最近になって落ち着いてきた様子です。

さて、手術前はあれほどモテモテだったおかあさん周辺は静かになり、あれほどお気に入りだったイケメン君と道端で会ってもお互い知らんぷりしています。私と夫はその様子に唖然としました。

おかあさんとイケメンとの恋愛沙汰を見ていていろいろと思うところがありました。一度、夫が往診から戻ると二匹が交尾中ということがありました。するとおかあさんは元気よく夫にしっぽを振って駆け寄ろうとしました。イケメン君はびっくりしておかあさんに引きずられながらおたおたしていたようです。

夫はまずおかあさんのからだを心配して、(変な話なのですが、交尾中びっくりしたりすると大変なことになったりするらしいのです)冷静に二匹を落ち着かせ、いったん家に戻ってきてから、そのあと非常にショックを受けていました。なんだか、本能と愛情が識別できないおかあさんが哀れになってしまって、と言っていました。

夫の言っていることはよくわかりました。おかあさんは私たちにはもちろんですが、野犬時代にごはんをくれた人間さんたちにも非常に心を開いていて、誰のことも忘れないで再会するとしっかり愛情表現します。人間に対しては人間が愛情と感じるような態度で表現するのですが、犬同士のセックスには愛情はないのかもしれません。

私は本能と愛の境界線をはっきりと見た気がしました。人間の中にも同じような領域と境界線があります。人間がもう少しはっきりとこの領域と境界線を認識することができたら、どれだけ人間同士の誤解や憎しみを解くことができるだろうと、改めてつくづく思うのです。

さて、今日の話です。おかあさんにばんごはんをあげてしばし団らんしていると、暗闇から猛然と近づいてくる足音がしました。シロです。シロがまた首輪抜けして脱走してきました。脱走するとうちに飛んできて、それはすごい声であいたかったーあいたかったーを連呼します。かわいいです。首輪がないのでどうやっておうちに送っていこうかなと思いつつ、なんとなくお散歩のふりしておうちに誘導していくと、なんと、かのイケメンがやぶの中から顔を出しました。暗闇でよく見ると、シロのリードが後ろ足にしっかりとからまって動けなくなっています。そうです。イケメンは今ではシロちゃんとクマちゃんともできているのです。そういう節操も犬にはどうやらありません。

娘たちかわいさから、イケメン君をなんとなくいけ好かない野犬扱いしていましたが(おかあさんもシロもクマも野犬だったくせに。)その様子はとても痛々しく、何とか紐をほどいてあげようとしました。けれど紐は何重にも巻き付きねじれたあげく、かた結びになっていてうまくいきません。イケメンが暴れるので思わず「おすわり!」というと、イケメンはとっさに言うことを聞きます。やっぱりイケメンは飼い犬だったようです。

夫の応援を呼びにいったん家に帰るとイケメンは大きな声で助けてと叫んでいます。やぶ蚊とハブを恐れながらも必死にイケメンを救出しました。暴れないようにおすわりさせ、頭を撫でてあげると、甘えてきます。なんと、これがまたかわいいのです。

しかし救出の最中も、もう少しというところでシロがじゃれてくるのでイケメンもついノッて暴れてしまいます。これが本能なわけですね。夫が「このバカ本能」と言いながら必死にイケメンの足の紐をほどいているのです。もうなんだか笑えてきます。まったく人間のてんやわんやをよそにカップルは本能を謳歌していました。

イケメンは外国のおうちでよく飼われているような、ひょろっとして耳が少しだけ折れている、毛が短くて手足の長い、そして目が大きいイケメンです。シロとおんなじような眉毛をしています。野犬とは思えないきれいな毛並みをしています。

ああ、どなたかこのイケメンを保護してくださる方いないかなー。かわいい子が増えると気がかりが増えます。

おかあさんコーヒー


おかあさんです


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真夏の沖縄を楽しんでいます。今年で6回目の夏を迎えることができました。

どうも最近では私は色白ではなくなったようです。うすうす思っていたのですが、先日近所のしょうえいさんに
「だんなさんはないちゃー(内地の人)に見えるけど、おくさんは、うちなーんちゅ(沖縄人)みたい。色もあんまり白くないしさー。内地の人は白いのにねー。」
と言われました。やっぱりそうか。来たばかりのころは
「やっぱりまっしろねー。」
と言われていたんだけどな。というか、東京でもずっと色白で通っていたんだけど。(笑)

それにしても最近はよく、おくさんはうちなーんちゅ?と言われるのです。これはけっこうすごいことだと思っています。沖縄の人は本当によく見分けるので、だんなさんが一番驚いています。信じられない、という感じで。なんというか、ちょっと嬉しいです。

先日は大学の同級生が遊びに来てくれて「ミオはさ、ちょっと沖縄の訛りがあるよ。その語尾の、さーとか、イントネーションが、こっちの人の言い方だよ。」なんて言われました。ちょーっとずつ、なじんでます。

今日は少し健康についてのお話。生活に取り入れてみて、合うものは続きます。昨年4月から、おうちで豆乳ヨーグルトを作っていることは何度か書きました。1年3ヶ月になりますが、旅行で家を空けた日以外、毎日食べています。そして当然ながらせっせと作っています。

これは親しいお客さまから教わりました。牛乳のヨーグルトと違うところは乳酸菌が植物性だということです。植物にはどうやらみんな乳酸菌がいるようなのですが、私はお米からいただきます。簡単に言うと、豆乳にお米を入れ、お砂糖(私は甜菜糖)と海塩を入れて発酵させます。植物乳酸菌は動物性よりもうんと強いそうで、おかげで豆乳でも簡単に作ることができます。

最初の数ヶ月は、特に体調に改善は見られませんでした。むしろちょっとおなかが張るような、ごろごろするような感じもありました。でもおいしかったのと(元々ヨーグルトや乳製品大好きなのですが、牛乳にはリスクが多いので控えておりました)おもしろかったので(発酵、本当に面白いんです)毎日食べました。

そして昨年夏のおわり頃に、冷えについて、心惹かれて少し勉強しました。だんなさんが特に年々冷えがひどくなっているように見えて、私は痩せにくくなっていたのもあります。だんなさんは冷えが高じて、夏は夜ものすごい寝汗をかいていました。だんなさんは中医学では陰虚という体質らしいのですが、熱が頭に昇ってしまい、足元が冷えています。

そもそも冷えというのは身体の下が上より冷えていることなので、二足歩行をする人間はほとんどの人が冷えていると言えるようです。でも冷えは、心や感情、感覚とも非常に関係があり、影響が強いのです。

私は以前は冷えもひどかったのですが、だんなさんとつきあうようになって鍼治療をいっぱいしてもらい随分いろいろな面で体質改善されていました。が、沖縄の長い過酷な夏の勢いにちょっと体調管理が甘くなっていたようです。夏はあったかいものをほとんど食べられなくなっていて、火を使う料理がとてもおっくうになっていました。料理だけでばててしまうような感じです。

そんなことがあり、昨年秋前ごろになって、とにかく冷えをとってやる、と決めました。

まず食事ですが、普通の和定食を定番にしました。ごはんと味噌汁と、火を通した野菜を中心にしました。これは、冷えとりラボというサイトを参考にしました。エドガー・ケイシーもアンチエイジングの鬼も、生野菜を中心にしなさいと言っているのですが、ここはあえてからだを温めることを主眼としました。酵素は発酵食で摂ると決めて。それからは毎日なにかのきんぴらだの煮物だのをいただきました。でも主役はあくまでごはんと味噌汁です。これは食べだすとあきらかに心身ともに良い感じを受けました。心が中庸にいやすくなります。

ごはんはもっとも中庸の食べ物だと言われているのですが、まさにそんな感じです。私は栄養素(成分)にはあまりこだわらずに、からだにどんなふうに働きかけをする食べ物なのか、ということを意識しました。

私は何を隠そう、人間は意識が進化し、カルマが浄化されれば外界の影響を受けなくなると考えており、やがては食べ物に頼ることなく、宇宙(意識)からエネルギーを得て生命を育めるという説を信頼しております。実際に食べなくても生きている人は地上にけっこういらっしゃるようです。いつだかずっと以前に、笑っていいとも、で、タモリさんもそう言ってました。ゲストにサンプラザ中野さんが出てらして、最近あまり食べないのだけどとても調子がいい、と語っていたのを受けての発言でした。タモリさんはご存知だったようです。私はまだまだ食べものに生かされておりますが。

ちょうどこの時期、味噌汁は塩分が多いから控えているという声をよく耳にしました。そしてその矢先、味噌汁の塩分は悪さをしないという研究結果が出ているのを見ました。

***以下コピー貼っておきます***(livedoorニュースからの記事です)

高血圧や生活習慣病などで、気にかかる塩分。これから気温が下がるにつれ、温かい味噌汁が美味しい季節だが「塩分を控えたい」という気持ちから、味噌汁を飲むのを我慢してしまう人もいるのではないだろうか。

 10月26日に行なわれた日本高血圧学会で、そんな思い込みを覆す発表がされた。共立女子大学教授・医学博士の上原誉志夫先生が「味噌汁は食塩摂取量の独立した決定要因ではないと明らかになりました」と報告。具体的には、以下の3つのポイントが挙げられるという。

【1】味噌汁を飲んでも血圧には影響がみられなかった
 味噌汁の摂取頻度別で、低頻度群:5日間当たり0~2回、中頻度群:5日間当たり3~5回、高頻度群:5日間当たり6~15回の人を比較した際に、血圧への影響は確認されなかった。

【2】減塩のために味噌汁を減らすことにあまり意味はない
 味噌汁の食塩摂取量への寄与率は約2%で、味噌汁は食塩摂取量の独立した決定要因ではなかった。

【3】1日1杯の味噌汁のある食生活が血管年齢を改善する可能性がある
 1日1杯程度の味噌汁のある食生活が、血管年齢の指標CAVI値(動脈の硬さを表す値)を低下させ、血管年齢を10歳程度改善する傾向が確認された。

 味噌の歴史や栄養について詳しい「みそ健康づくり委員会」のサイトで、その効能について見てみると、最新の研究成果による発見以外にも、多くのビタミンやミネラルを含む調味料であることがわかる。前出の研究発表を行なった、上原先生に味噌の栄養などについて、話を聞いた。

「味噌の材料は、良質の植物性タンパク質を多く含む大豆。発酵によって多くの栄養成分が作られ、その約30%がアミノ酸であるだけでなく、必須アミノ酸8種類を全て含む珍しい食材のひとつです。がんの抑制や血圧の低下、抗動脈硬化、骨を丈夫にする助けになるなど、さまざまな機能に影響を与える栄養があるんです」(上原先生)

“栄養は嬉しいけど、塩分は……”と思う人の中には、過剰に味噌汁の塩分が多いと勘違いしているケースも多い。「みそ健康づくり委員会」が行なった調査で、「味噌汁1杯あたりに塩分量は何g含まれていると思うか?」という質問に正解したのは、17.1%。実は味噌汁1杯の塩分量は約1gなのだが、33.4%が「2g」、30.1%が「3g」、8.8%が「4g」、実際の量の5倍になる「5g」と回答した人も10.7%いた。

「摂取塩分量は実質的に少なく、それを相殺して、かつ身体に良い栄養が摂りやすいのが味噌汁です。全国的に味噌汁の具として使われているワカメなどの海藻類は、アルギン酸が摂取塩分を相殺して、血圧を下げる効果があります。またヨード(ヨウ素)には、代謝を高める機能も。良い出汁が出て美味しい貝類は、亜鉛やセレンといった微量元素が摂取でき、栄養面のほかに味覚の改善にも効果がある具材ですね。春や夏のアサリ・しじみに加え、今の季節は牡蠣もお薦めです。

 また季節食材では、免疫力を上げて感染症を防ぐ栄養を含む、きのこ類。野菜を多く摂ることで抵抗力が高まりますから、野菜をいっぱい食べられる具だくさんの豚汁も、不足しがちな栄養を豊富に摂れる点で、特に良いでしょう。

 味噌汁を健康に役立てる食べ方としては、毎日同じ具ではなく、海藻や貝類・野菜といった具材を日替わりで入れて、多くの栄養を手軽にバランス良く摂れるようにするのが、賢い活用法です」(上原先生)

***コピー終わり***

からだに良い物を探して世界からお取り寄せする生き方より、私は味噌でまかなえる分は味噌に任せます。なにより、味噌汁をこんなにも美味しい、と感じられる自分になれたことも嬉しく思います。(子供のころは苦手でした)

それと、沖縄では手作りのお味噌がけっこう手に入り、これが本当に好きな味なのです。うるま市の海中道路にある道の駅で買った、玄米の味噌や、南城市玉城と、大里のお味噌(JA婦人部のみなさんの手作り)など、もち米を使ったものもあり、優しい味で大好きです。

上記のような研究で、たまごのコレステロールにも同じような結果があります。たまごは確かにコレステロール値は高いのですが、相殺する力もあるそうです。そしてそもそも、コレステロールや血圧は、ある程度高いほうがいいという話もあり、なにが幸いかというのはなかなか簡単には決められないようです。

さらに味噌は放射能除去の効果もあると言われている食べ物です。私はハタチのころ「チェルノブイリではパンに味噌つけて食っただよ!」というセリフのある芝居をしたことがあります。今の日本では推奨されるべき食べ物でしょう。

それからごはんと味噌汁生活を始めてしばらくすると、お通じが劇的に改善されました。私の感触では、豆乳ヨーグルトがごはんと味噌汁と非常にマッチし、協調して働いてくれたような感があります。これは本当に嬉しい効果でした。

さて、再び夏がきました。ここで、冷え取りの明らかな効果と思える変化がありました。まず、主人のひどい寝汗が軽減されています。そして、これはふたりともそうなのですが、あまり暑さが堪えません。昨年の夏は、熱い味噌汁なんて想像するだけでぐったりする感じだったので、夏は冷や汁かな、なんていろいろ考えていたのですが、相変わらずあちこーこーの味噌汁をいただいています。もちろん調理もわりと元気にやっています。あったかいものを美味しくいただけます。今年は涼しいのかな、と、何度も感じました。実際はそうでもないみたいです。どうやら、頭に熱が昇ったりこもることが少なくて済んでいるようなのです。それで、涼しいとからだが感じています。当然、バテバテの感じや倦怠感も、無いとは言いませんが、昨年までとは比べ物にならないほど違っています。からだの中はしゃんとしている状態でいられています。

先日は浜比嘉島に行ってきたのですが、いつも真夏は大好きな散策もできず、ひたすら海の中にいたのが今年はけっこう歩きました。炎天下の中、散策を楽しむ気になれたのがそもそも大きく違っています。

さて、冷えについて実はもう一つ、取り組みをしています。それは靴下をはくことです。しかも重ね履きで。これはやはりお客さまの中に何人か取り組みをなさっている方がいらして教えていただいていました。長くなりましたので続きは次回書きたいと思います。

慰霊とともに新たな指針を。


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先日6月23日は慰霊の日でした。沖縄戦の終戦記念日で、学校も休日となります。沖縄に住むまでは私もこの日がこんなに大切な日だということは知りませんでした。

毎年この日は用事と重なったり仕事をしていたりでしたが、今年は定休日と重なったため、平和祈念公園へ行き瞑想することができました。

Twitterのハッシュタグで慰霊の日を検索すると、たくさんのうちなーんちゅ(沖縄人)のつぶやきを見ることができます。若い世代、男女問わず、多くの人がこの日に平和について思いをはせ、平和を損ねるものに対してノーの意志を表わしていることがわかります。

私が生まれたのは戦後21年年目の夏です。子供の頃は、戦争は遠い昔のことだと漠然と思っていました。日々の暮らしの中で戦争の傷跡に触れることができたのは、父母と祖母から聞くものがたりの中でのことでした。

母と祖母は、終戦直後の混乱の中を満州から帰国してきました。30歳になったばかりの祖母は幼い子供3人をたった一人で満州から連れ帰り、またその戦争で夫を失いました。その祖父は沖縄戦で戦死し、この島に骨を埋めています。

日本はまた戦争の犠牲者を作りたいのでしょうか。

私は戦争を恐れます。戦争という暴力は恐れるに値するものです。戦争に恐れを感じないのは、それ以上の暴力的思考に感覚が麻痺し、想像力という人間と神をとつなぐアンテナを折っているからに違いありません。暴力に麻痺している人に必要なのは愛と癒しですから、私は日本を戦争へと導こうとするリーダーが癒やされることを願います。世界で戦争という手段によって利己的な欲求を満たそうとする人が癒やされることを祈ります。またその暴力に無意識に力を貸し、賛同している多くの人が眠りから覚め、暴力の魔力から解放されることを祈ります。

また私自身がこの恐れに絡め取られることなく、自分の意志で平和に向かって歩みを進めることができるように、祈ります。

私は今では戦争というものをとても身近に感じることができます。沖縄には戦争という人類の病をじょうずに包み隠し、目をくらまし、自分たちがどこへ向かっているのかをわからなくする隠れ蓑が少ないのです。そんな隠れ蓑が通用しないほど、戦争の傷は心と身体にしっかりと刻まれているのです。その傷の痛みを家族が引き継いてくれています。私たちはその痛みを、今のうちに自分のものとして、贈り物として、受け取らなくてはなりません。私は、そして夫は、そうしたくて沖縄に来たのだということが今ではよくわかります。

少し前まで、日本では戦争は過去の(負の)遺産だと思われてきたはずです。でもその時にも今も、地球では戦争が消滅した瞬間というのはありません。日本の平和は、休火山のようなものなのではないか、と私は考えていました。そしてその脅威を多くの人が忘れた時、再び噴火するのではないか、というふうに。

戦争を終わらせること、というのは、今地球に乗り合わせている人類にとって最重要で最も直近の目的なのではないか、と最近では思います。多くの人が気づかなくてはならないのは、戦争を終わらせることに本気を出さなくてはならない、という命題なのではないでしょうか。私は瞑想を通じてはっきりとそう受け取っています。

暴力の魔力から人間が目覚めるには、多くの人が自分を癒やさなくてはならないでしょう。癒し、満たし、そして力をたくわえなくてはなりません。愛という最高で最強のパワーを。

多くの人が自分の課題に取り組んでいます。自己への取り組みは尊く永遠です。しかし、自分の欠点を探しまわって虱潰しに問題にしてく必要なんて全くありません。私たちは今にいて、今を感じ、内なる理想の霊である神を自分に投影し、自分を全てに投影し、一つになることが個の目的だと気づき、そしてそれに対して自己を開いて足元からできることをしていけばいいだけです。人生はシンプルなのです。

そのシンプルさを受け入れることさえできたら、私たちは自分の存在の目的や使命もはっきりと感じることができます。多くの人がものごとを複雑に煩雑にし、多くを追い求める方向へ自分を駆り立てています。完璧を目指したりないものを手に入れようと努力することにちからを注いでいるように見えます。でも、本当の目的はシンプルですし、人生で為し得るもの為すべきことは本当に限られています。

きらびやかなタイトルに惑わされないでください。目の前にあるもの、いる人、与えられた関係に目を向け、現状に耳を澄まし、余分なものを手放し振り落とすことに集中することです。他者と比べないでください。隣の芝生はいつも青く見え、比べた瞬間にあなたは負けます。青く見える隣の芝生は、他者に見抜かれることを恐れて青くなっているだけです。いつでも人の恐れの中身は同じです。

進んで他者に弱みを見せることができたらあなたは勝者です。それは愛への一歩に繋がります。

その勝利はひとつなるものを隔てる迷妄の壁を突破し、恐れが駆り立てる攻防の争いからあなたを目覚めさせ、あなたを平和の柱として光り輝かせます。

私たちが恐れの闇を光でひとつひとつ照らしていく時、私たちは戦争を終わらせ、地上に愛を構築するというもっとも重大な任務を果たしていると言えます。

私は、全てのひとりひとりがその内に光を灯し、そのおおもとの光の源と繋がるビジョンを慰霊の日の瞑想の中で観ました。それを実現するのはまず自分、そして一番身近な人たちと分かち合うことからです。そうしながらも、最上の、魂が喜びで膨れ上がるような最上の目的をいつも胸に灯しておくこと。慰霊の日にしるすことができることに感謝します。

沖縄生活アルバム。


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沖縄はもしかしてこのまま梅雨にはいっちゃうのかな~という感じの空模様です。
写真はそうなる少し前の休日。みいばるビーチの食堂かりかで本格キーマカレーをいただきました。
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そしてこちらは垣の花をお散歩していてあまりの見事な咲きっぷりに心惹かれたブーゲンさん。
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このお散歩の目的はこちらのヒスイカズラ。あるお宅がお庭解放して見せてくださるのですが、昨年偶然発見して今年もおじゃました。
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すごくないですか?この色とかたちと。
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10年位咲かなかったとおっしゃっていました。もとは一本の木ですが果樹園のようになっています。
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さらに別の日。これは近所のお散歩コースです。
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好きな木。紋羽の木というのですが方言ではハマスーキ。この木で糸満の玉城さんが作ったのが最初の水中ゴーグル(みーかがん)だそうです。
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まるでプライベートビーチのようにひそやかな楽園。
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そしてどうしても流木を拾ってきてしまううちのヨガダンナ。奥さん大変だね~とご近所さんに笑われました。
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これは先日初めて作ったスコーン。クラッシュアーモンド入り。おいしかった。
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ので、味をしめてリピート。今度はレーズンとカシューナッツ入り。
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それから最近、みょうがの苗が買えることを知り
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根っこみたいなものをホームセンターで買って、プランターに。
今は写真よりだいぶ育ってます。
収穫は9月だそうですが、できるかな。
今日はこのへんで^^

沖縄暮らし。

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やちむん市に行ってきました。夜までやっているので平日行けました。
お茶碗ふたつとコーヒーカップとソーサーがうちの子になりました。

読谷村に行くといただくのが、もずくコロッケバーガー。なんと150円。寒かったのでスープセットにしたら250円。2人文で500円。スープは紅芋のポタージュ。どちらも野菜たっぷり。とっても美味しくて大好きです。近くにあったら通ってしまいそう。読谷ファーマーズマーケットにあります。

もう一つ、読谷村といえば、(わたし的には)

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今年オープンしたこのギャラリー。画家の中川せいいちろうさんのギャラリーです。せいいちろうくんは東京にいたころからのだんなさんの友人で、私たちの少し後に沖縄へ移住されて読谷村に在住してます。

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全然宣伝していないので道沿いで気になっていらっしゃる方も多いのでは。

トリイステーションのある通りで、サンエーの並びですぐ近くです。(すごいローカルな説明^^)

ギャラリーにはとっても優しくてひとなつっこいせいいちろうくんがいると思います。(写真はせいいちろうくんではなくうちの夫です。)コーヒー飲ませてください、って言うときっと飲ませてくれると思います。できたら絵も積極的に買ってください(笑)。うちの治療院に飾ってあるくがにのラクダはせいいちろう作です。

読谷村は移住する前から気になっていた場所。行くたびにいいな~と思います。(南城市は最高ですけど。)

私は南城市知念の具志堅という集落に住んでいます。五十数世帯の小さな部落ですが、先日南城市の陸上競技会で具志堅地区が男子の部で優勝。その祝勝会に出席しました。私は都下と言われる東京多摩地区の育ち。父母ともに郷里から上京してきた移民二世です。子どものころはそういう友達は大勢いて、それが普通という感覚で育ちました。

具志堅育ちの男性に話を聞くと、「同学年の友達の家は全部行ける。」「近所のおうちの冷蔵庫は普通に開けられる。」「友達のお父さんと、友達抜きで家飲みする。」などドラマみたいな(北の国からみたい。)お話が山ほど聞けて、おもしろくて仕方ありません。考えることもいくらでも出てきます。

沖縄は相変わらず刺激的ですてきです。たまにはこういうことも書きます。

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