またまた今日も

いい日だった。実はラッキーなことが一転ぽしゃりそうになって、また今日起死回生^^
その間もあまり心配にはならず、その過程を信頼していられたのでこれまた良かった~。
嬉しいのでチャイでも飲みたいよ。お茶にします。
チャイはこの時間さすがに重いので凍頂ウーロン茶を入れてみました。
ナチュローで買ったんだけど、結構おいしかったです。
今のでフィニッシュ。
さて、今日はこのブログのトップページを入魂で書いてみました。
いかがでしょうか。ああいった内容は結構私の本気です。
私はごく近しい人たちと日常ああいった話をして過ごしてたりします。
まぁ言葉は違いますけど。
ところで万一、私のおとといの日記のラストに書いたことを気になさってる方がいるかもしれないのでそのことにふれたいと思います。
わかっちゃいるけどやめられない、という話。
思うようになるかならないかの話です。
つまり、わかっちゃいるけど=表面意識で、やめられない=潜在意識
結果的にはやめられないので潜在意識の勝ち!ということです。
私が言う、思うようになる、とはこの潜在意識の思うようになるということなんです。
私が13年くらい前に出会った本で『マインド・トレーニング』ってのがあって(これ、原題はLiving in the Light光の中で生きるです。こっちの方が断然いいんだけど)
これを読んでこの辺の意識の仕組みがばぁーっとわかり、わかっただけじゃなく、全部やってみました。書いてあるとおり。
やってみてほんとに良かった。やってなかったら今の私はないです。絶対に。
今の私とは、チャイとか飲んではぁ~幸せなんて言える私のことです。
当時は幸せなんて日常で感じたことなかったんですから。
唯一幸せだったのは舞台の上だけです。
舞台の上なら日常のおそろしいことをすべて忘れて輝かしい自分でいられるし、
次に何が起こるかわかってるから、いきなり誰かにひどいことを言われて傷つけられることもなかったから。
敏感で感受性が強い上に、あまりにいろんなことがありすぎて本当に人生にまいっていました。
いつもギリギリでしたね。
これは、本当に自分の意識の教育のやり直しみたいなものでした。
私は育った家庭環境がおそろし~かたので、潜在意識に恐怖&不安が詰まってた上、
私自身はとても頭がよくプライドも高く、いい子だったのでものすご~くがんばって無理やりチョウジリを合わせてなんとか生きてる感じでした。
でも、だからこそ、中身は二つに引き裂かれ、いつも二つの違った思いが戦っている状態でした。
こうなっちゃう自分とこうなっちゃいけないと思う自分。
実際こうだけど、こうじゃやな自分。
こうしたい自分とああするべきな自分。
ないですか?こういう感じ。
今でこそ簡単に分析できるけど、当時は何がなんだかわからないし、
自分は本当はものすごくいけない人間だからいつもこんなに葛藤して苦しまなくちゃいけないんじゃないかと
ひとり恐れおののいていたものです。
それにしても安藤美姫ちゃんの衣装ったら・・・
とても凝ってるけど重いし似合ってない。
髪型もおばさんみたいだし・・
せっかく音楽を変えたのに(マイファニーバレンタインでしかもあんなアレンジ、絶対似合わないのに・・)
私は彼女の心の中にもこういった種類の葛藤があるんじゃないかと感じてるんだけど。
こうしたいのにこうならないってのをすごく地で行ってるような気がする。
亡くなったお父さんのことを言われて号泣しちゃったのを見てやっぱり、と再確認してしまいまいた。プライバシーの侵害かな、ごめんなさい。
お父さんが亡くなったのも悲しいだろうけど、お父さんが死んじゃったことできっと、
お母さんがとても悲しんで辛かったのを彼女は自分のせいのように感じて辛かったんじゃないかな。
お母さんを喜ばせてあげたくて一生懸命がんばって、金メダル取りたいんだけど、
そう思えば思うほどなかなか思うようにならなかったんじゃないかな。
もっとできるはずなのに。
これは私がたくさんの方々の心が作り出す問題と向き合ってきた経験による想像ですが。
こういうケースはとても多いのです。
潜在意識は子供のうちに形成されてしまうので、そんなことないんだと気づく前にインプットされてしまうのです。
さて、荒川さんよかったですね。優雅さとか表現力はあまり感じないですが、競技としてはよいんだろうな。容姿でカバーしてますけど。
ではまた!

思うようになる♪

なにやら前回の日記を見直すと、次回の予告なんてことを書いちゃってて、でもあれ、これ日記なんだけど、日記書きにくいじゃないか~なんて思ってしまいました。
でもまぁ日記なので書きたいように書きます。
ちょっとづつね。
私は結構リアリストで疑い深くて苦労人なんですが、しょっちゅうくじけながらも諦めないし、自分には(或いはすべての人々には)世界を変えうるような大きなエネルギーが秘められていて、すべてはその方向に向かって動いていると信じている(いや、むしろ動かしている!と信じている)ような、究極の楽天家なんです。傷だらけのね!
最初からそうじゃん、だって結構ハッピーだし、そうなるんじゃん、って根拠なく信じられる方がたくさんいればきっと世の中すんなりとそうなるだろうからそれに越した事はないんですが、人間は潜在的にネガティブな思考と言うものを持ってるし、長い生物の歴史を振り返ってみても今現在の現実を見てもそうならざるを得ない要素ばかりなんです。
ですがそんなところにばかりフォーカスしてても世の中あまりよくなんないし、人間だっていつまでも同じことばかり繰り返してたって宇宙の法則に反するわけだから、ここはいっちょがんばって進化してみようって時期に来てるんじゃないかと私は思う。そう思うと俄然やる気が出てくるんですよね。変革の戦士インディゴちゃんそのものの気質ですな。
こんだけいろいろと思うようにならない現実を突きつけられながらも(いや突きつけられたからこそ)いや、なんとか思うようになる道があるはずだ、と探求してこられたし、自分と同じような疑問や苦しみの中にいる人々とシェアし光となれる自分でいようと努力してこられたと思っています。
私はあえて努力という言葉を使います。忍耐もものすごく必要でした。
よくスピリチュアル系の本に出て来るのは、努力なしに、とか楽々と、とか自分に許可するだけでよいとかいう言葉です。
確かにそれも真実のひとつだし、それによって飛躍的進化を遂げたこともあります。でも最近思うのは、本当の自分を隠すための我慢や努力はいらないよ、本当にやりたいことをして生きるなりたい自分になることに回り道はいらない、ただそれを自分に許可し、今ここで選択するだけだよってことで、努力や忍耐は、その道の中でおしよ、もったいない。ってことなんだと思うのです。
確かに『いつか、なりたい自分のために、今はがまんしとこ』と思ってる人はちょっと昔すごくたくさんというかほとんどの人がそう思ってたと思うから(老後まで我慢、とかね)ウェイクアップ・コールは必要だったよね。
最初から、本当の自分として生きなさい、すごく大変だけど、なんて言われたらチャレンジする人いなくなっちゃうものねぇ・・。
でも確かにそれは、いつまでも始まらない人生を生きる苦痛に耐えるような悲惨さはありません。映画の主人公のように、イエス・キリストのように、その苦難は時に人々の共感を呼び、勇気を与え、光をもたらすものです。
ピース

今日もよき日でした

今月、立春を境にエネルギーがシフトしたそうです。半年ほど続いた金星の逆行が終わり、具現化のエネルギーが流れ始めたそうです。やったね!
私の中のエネルギーの流れは星とばっちり同調してます。これまで何してたんだっけ?と思い出せないほど、このところいろんなことが動き始めました。
今月の最初に風邪が悪化したのも多分古い溜まっていたものが出ちゃった感じです。あぁよかった^^
今日はサンクで歌う日だったのですが、なんと4年ほど前に私がラディアンスというところでセラピストをしていた時にセッションを受けに来てくださった方が会いに来てくださいました。ネット上で私を見つけてくださったそうで、本当に感激です。
いろいろなディープな楽しいお話ができたのですがそこは内緒。
ですが、セッション以降人生に迷いもなく、取り組んでいらっしゃることがブレイクされたとのこと、本当に嬉しくなりました。
その時に「しかし、その年齢でその外見は・・・一回りは若いよ!そのV(今日は肩紐だけのドレスで胸元がVだった)が似合う39歳見たことない!詐欺だな、いや、これはもう特技だ!」と言われました^^
きゃははは・・そう、最近もしかして私の一番の特技はこれかもなんて思ったりしてます。特技:若見え。
でもそれは一朝一夕にできたわけではなく、長い人生の、なんというか試練を乗り越え一つ一つ己の内面と弱点を改善しつつ試行錯誤の末手に入れた結果の形なんですよ、冗談抜きで。
でも日常私がやってるのは何も極端なことではありません。本当に基本的なことばかり。食事の偏りに気を配り、疲れを残さない、睡眠はしっかり、歩く、階段を登る、声を出す、お風呂にゆっくりつかる、いろんなお茶を楽しむ、ストレッチとヨガとバレエのミックスみたいな独自のエクセサイズでからだをほぐす、ゆがみを強制する、お肌のお手入れはお気に入りの化粧品で、イメージしながらいい気分でやる、手からハンドパワーを出す、深呼吸する・・・でもこういった基本的な『やればできること』を邪魔するものが心のもやもやだったりします。
私が心のお掃除が大事と言う訳は、心はちょっとでも不安定だったり欲求不満(性的にだけじゃなく様々に)だったりすると、正常な欲求のアンテナを鈍らせるからです。
本来人間の欲求はバランスのとれたものなはずです。その時食べたいものが、からだに必要なもの、というように。ですから本来は自然に生きるのが一番の健康法なはずなんです。
ところがストレスフルな社会の中で、心豊かに健康にいられるのはとても至難の業なんですよね。実際私は高校生の頃からバランスを崩しまくっていました。その頃私は太ってしまい(とても不健康そうにね)顔はにきびが出始めて階段を昇ると息が切れ、心臓はドキドキし、便秘症で、テストのときは必ずおなかが痛くなり、成績はがた落ちし、制服はきつくてとにかく惨めでした。
心が縮こまり偏ると、欲求のアンテナは狂い始めます。食べちゃいけないものをやたら欲しがり、からだは動きたくなくなり、いろんなものが敵に見え、反抗し始めます。やりたいことじゃないほうへとからだが動いてしまうのです。これは本当につらいです。
でも今はからだはもちろん心についての情報もいろいろ進歩しています。
ですから、健康で美しくあることは手が届く夢です。
いろんなグッズやツールを前向き生活に取り入れ、楽しみながら健康になること、これに取り組める人はきれいになれます。
でももし、わかっちゃいるけどからだに悪いことがやめられない、とか、そうしたいのになぜかできない、悪い方へ考えてしまう、とかいうことで御悩みの方がいたら心の方のチェックをお勧めします。
次回はそのやり方をご紹介しますね。ヒプノセラピストAZUが登場します。お楽しみに。

【ジャーヘッド】シャーベットかと思って何回も見直した

別に笑いをとろうとしたわけじゃないんだけど、ほら、ショコラとか、チョコレートとかってタイトルの映画あるでしょ?
もちろん全然違ったわけで・・。
これは1989年から、あのアメリカ・イラク戦争までが舞台。湾岸戦争だ!そうだ。
89年は私にとっても忘れられない年だ。
アメリカ海兵隊の狙撃兵(だっけな、違ったらごめん)の話。話・・とか悠長なこと言ってる場合じゃないくらいリアルでディープで早くて、ほんと面白かったです。

http://www.jarhead.jp/top2.html
監督はアメリカンビューティーのサム・メンデス。アメリカンビューティ面白かったね。こういうシャープでスマートで繊細でパワフルな人の世界に触れるってほんと幸せ。生きててよかったなぁと思うんだ。
内容はどこにもハッピーはないけどね、私は芸術の凄みってこういうとこだと思うのよね。
とにかく一部のすきもない。涙もない、乾いた笑いはたまにある。でもその世界の一秒一秒は潜在意識にきりきりと食い込んできて、私は完璧に別の世界にトリップしている。
知ってる、この感じを、知ってる、と私は思う。
別の次元の私は別の世界でそれを確かに体験している。でもそれがどこなのかいつなのかはわからない。でも知ってる・・・
いい芝居とか映画は必ずそういう感覚を呼び起こさせる。潜在意識のみている夢のように。
あぁ、私はそんな世界を創る一味に加わりたいと心底思うのだ。
そういう一味になると私はどこまでも使えるボスの右腕になれるのに。
89年ごろ、私はそういう世界に生きてた。半分くらい、それ以上?この世にいなかったかもしれない。
私が愛してやまない演劇とはそういう夢の断片をかき集めてコラージュする工場だった。
30代に入って私は日常舞台化計画に入った。そういう人生そのものを現実に生きたかったからだ。
その狙いは結構順調かもしれない。結構な冒険ができてる。
でも、まだまだだなぁ。脳天が宇宙と直結するあの瞬間をまだまだ体験したりないなぁ。
何言ってるかわかんなくなってきたのでこの辺で。
よい週末を!

うちの子は・・

とうとうこの寒い冬を、一時も花を絶やすことなく乗り切ってしまいました。ずっとお外で。
なんていい子^^
もう次のつぼみが3方から膨らんでます。
ゼラニウムのゼラコさん。

Gyaoの【音楽】で

ラッキーなことにフジコ・へミングのドキュメンタリーと、何とかライブのクミコさんと上田正樹さんが見られた。
フジコ・へミングは、昨年彼女の自伝的ドラマを菅野美穂ちゃんが演じているのをちらりと見て(母を十朱幸代さんが演じていて激うまかった!)かなり共感してしまっていたところに私の事務所の社長からお誘いいただいて国際フォーラムで拝聴させていただきました。本当にすばらしかった。(一人スタンディングオベイションしてしまった。なんでみんな立ちたくならないの?)
それからすぐに本屋で彼女のエッセイ「天使への扉」を見つけて読んで、完璧に彼女は「仲間だ」とわかりました。何が?・・つまり、精神がとても似通っていてあまりにその心情を理解できたということです。
彼女の長く光の見えないトンネルと己の才能と言う宝ものとそれを背負った重み・・こんなことを書くとまた「おまえとフジコへミングを一緒にするな」とかいうどっかのオヤジの声が聞こえてきそうですが、もうそういう声には聞く耳を持ちません。そういうことを言う人は、自分の飲んでる飲み屋でフジコへミングがピアノを弾いていたってきっとそのすばらしさなんてわからないに決まってます。きっと「ピアノうまいけど、顔がぶすだな」とかデブだばばあだとくだらないことを言って自分のうさを晴らして終わりです。そういう人は真の自分の価値とか人生の豊かさとかに注意を払ったことがないのでしょう、たぶん。
私は自分のパーソナリティとか世辞には疎いですが、才能とかそういう神から授かったものに関してはよくわかるのです。強いて言い訳するなら私はそういう家庭に育ち、才能というものを目の当たりに暮らしてきたし、私の家族はみんなそういうことはわかります。
もっと言えば、才能とはすばらしいものだけどそれは天からの授かり物です。その人が偉いわけではありません。それを生かすも殺すも自分しだいです。それをエゴのために使えばそれは毒にすらなります。私はそれを腐らせない方法をひとつしか知りません。それは他に与え、奉仕のために使うことです。人は才能をあぶく銭のように使ってしまいがちです。するとそこには大きなしっぺ返しがやってきます。そうして多くの天才たちは何かに縋り溺れ、命を落としていったのです。ピカソのように、己の才能とうまく付き合い才能とともに偉大な人格に成長していった人は稀だと思います。なぜなら才能は人格が成長するより前にもうそこにあるからです。人間性の方は成長するのにとても時間がかかるのです。
フジコさんも長いこと自分に才能があることを知りながら、そういった言葉の暴力や世間の無理解に耐え忍んできたことが彼女の一言一言からにじみ出ています。
彼女の救いは本当に神のみこころを信じることと猫だけだったのではないでしょうか。
彼女の奏でる音には人生の大半をかけて交わしてきた神との濃密な約束に対する思いが込められています。諦めず、かといって誇示せず、知っていることだけを守ってきた彼女の真実だけがそこにあります。
シャンソン歌手のクミコさんを知ったのも確か昨年のことです。メディアに登場するようになって彼女自身まだそれほど経っていないはずです。
私が彼女を初めて見たのは彼女の持ち歌でなく懐メロ特番みたいなので彼女がフォークソングを歌っていた時でした。私はめったに他人の歌を「うまい」と思わないのですが(特に日本のテレビでは。子供の頃、上月晃さんが「メモリー」を歌っているのを聴いて「ほんとうまいなぁ」と思ったくらいで)わぁ・・この人歌がほんとにうまいなぁ、こんな人がテレビに出てるなんて。どこからこんなうまい人を連れてきたんだろう?と思ったのが出会いでした。
私はテレビをあまり信用していないので、無名のこんなうまい人を探し出せるはずがない。きっと昔から有名で実績のある人で私がたまたま知らないだけだろうと思ったのです。
でもそれから度々彼女をテレビで見かけるようになって、彼女の持ち歌を聴き、彼女の自伝的トークを聞いてなるほど~~~!と納得したのでした。そして、日本にもようやくこういう時代がやってきたのね~!綾戸さん、クミコさん、ありがとう!と思いました。
クミコさんの歌には本当に歌を体の中で練り上げてきた来た人にしか出せない奥行きがあります。こういう風に歌おうとか、人にこう見せたいとか聞かせたいとか、そういう欲みたいのがもう昇華されちゃってるんですよね。例えば今の彼女がステージに立って、今日はすごく元気がないとか、愛する人を失ったとか、癌で余命3ヶ月を宣告されました、とかいう時だったとして、ああもうどうなってもいいやと思う中で曲が流れ始め、彼女がとんでもないおかしな声で叫んだとしても、気の抜けた声で呻いたとしても、それは「いい歌」になってしまうだろうと私は思うんです。彼女自身は見た目もちょっといかした普通の女性です。歌もすごくナチュラルです。だけど私にはそういう、細胞一個一個切り離してもその中に歌がある、みたいな凄みを彼女から感じられるのです。
私が今毎日立っているステージは、今の彼女から見た長いトンネルの中と似ているかもしれない。彼女は今本当にやってきて、やめないでよかったあぁぁあぁぁ~と思っているだろうと思います。でもそのトンネルの中にも、いい時も悪い時もあっただろう。何かを掴んだ瞬間をたくさん体験したはずです。その体験の中で彼女の体の細胞はいっこいっこ開花し変容し進化していったのだと思います。
私がまもなく40歳になろうとして、私は歌一筋ではなかったけど、広い意味で表現者をどっぷり追及して生きてきて、今の自分に望むのはそういうことです。
細胞レベルまで変わってしまえばそのオーラはそう簡単には崩れない。
私はもともとオーラありきのタイプだったけど、そのオーラを肉体の細胞レベルに浸透させるにはやはり鍛錬以外にはないのです。
芸術におけるテクニックとはそういうことなのではないかと思います。小手先でこう見せるとかこうやって見せる、なんてのはテクニック以前のもの。ハートにあるものをハート任せに演じるのではなく、からだ全体がハートであるようになっている。その時表現者は真に自由に演じることができます。
どんな風に歌おうがそれすべてがその人であるかのように歌う。その声すべてがその人そのものであるように。
最近は酒場で歌っていても【わたし】に気づいてくれる人は結構たくさんいます。
きっと私の声が私そのものに近づいて来ているんだと私は思うのです。

今年の目標達成のために

満月まであと二日。
今回の満月はしし座で起こるので、しし座生まれの私のさまざまな思いが現実化するタイミングだそうです。
月は午後から明るい空に大きく美しく上り始めました。
夕方月のエネルギーを浴びに平和の森公園に行ってきました。
こういう時は思いや願いにとても注意を払わなくてはなりません。
うっかりいらぬことまで願ってしまうとあとでたいへんだからね。
心を静かにして、魂が本当に望んでいることだけを月に伝えます。
空気は春のように優しく、久しぶりに体や頭の中身までが緩んだようでとてもいい時間でした。
きっと今日思ったとおりになるでしょう。
今年の始めに私は、今年は天使とお話できるようになるんだ、と口に出して言っていました。
その思いは強くなるばかりなので、大好きなRED ROSEの万美子さんお勧めの本を注文しました。
そうなんです。思いはかなうけど思っているだけではだめなんですよね。
あることを願うと、達成のために必要なステップがチャンスとか障害とかいった形でやってきます。私たちはそのステップに乗っからなければならない。そこで私たちのエゴはこう言います。
「私はこのやり方じゃないほうがいい。これは私の願いとは関係なさそう。もっと近道がいい。望んだものとは違いすぎる」
でも、大体においてそれは思いもよらない方法でやってくるもの。
まずはだまされたと思って、やってみるのが近道。
でも今回の私の場合はそんなに意外な方法じゃなかったけど。万美子さんのブログで見て、それからなんとなく心に引っかかってたらまた万美子さんのメルマガでお知らせが来たんです。
ただ疑い深い私は大体何度かは疑ってみるんですよね。本当に買う価値が今の私にとってあるのかなぁ、がっかりしたくないもんな・・って感じで。
そのあたりが人間っぽいんですよね。世の疑い深い人間の気持ちわかります。
でも結局メルマガが来た時点であっさりいきました。
もう一回躊躇すると直感が鈍りそうなので。
明日届くので楽しみです。結果はまたね。

お掃除はきれいの基本

あれは何に利く!式のオプションをくっつけていくのって私あんまり得意じゃない。無くして行くのが好きです。
いの一番に大事なのは心のお掃除です。これなくして美はありえません!って私は思ってる。
年をとって、余分なものはどんどん捨てて行こうと思っていたら体脂肪と体重が少しずつ少しずつ減っています。おもしろいものですね。
顔のお肉もずいぶんなくなったなぁ。私いつも思うんだけど、女性は顔のたるみをすごく気にするでしょ。確かに下がるけど、マッサージとかで一生懸命上に上げようとするのってどうなんですかね。私は顔の筋肉を鍛えるのが一番だと思う。だけど家の中で一生懸命顔の筋トレするのもたまにはいいけどしょっちゅうはやだなと思う。私は笑顔が一番利くと思います。
私はこんな風にイメージします。年を重ねるごとに、心は壁を取り払い寛容になる。するといやなことや耐えられないことは減ってくる。許せるようになる。感謝の心が湧く。すると他人とかかわる時、もちろん一人のときも穏やかな笑顔になる。笑顔で過ごす時間が増えていくわけですね。すると年齢とともにお肉は下がるけど筋肉は美しくなっていくわけです。
それから私は、その筋肉が支えられないほどのお肉は下に落ちてしまえと思います。質のいいオイルでやさしーくマッサージする時、いらないものを首のリンパに持っていってしまいます。つまり私のマッサージは上から下です!だってそうでしょ?いらないものをいつまでも抱えておこうとするから支えきれずに下がってしまうんだもの。逆らわない方がきれいだと私は思うんですよね。体も同じです。
確かにむちむちしてた頃より胸も小さくなったけど、大きくても下がるもの。桃井かおりさんが賢いおっぱいって本出したけど、私のおっぱいも賢くて好き。昔よく研ナオコさんが胸がちょー大きく開いたドレス着ていて胸がぺったんこですごくきれいだった。芝居やってた時から私なんか胸とか邪魔でね、ものすごくトレーニング激しくやると汗異常にかいて一ヵ月半稽古するとおっぱいなくなってたね、本番の頃。で、衣装はノーブラで大丈夫だった。そういう、なんていうの?ちょっと人間じゃなくて妖精みたいなのが好きなんだね・・・。ま、この辺は好みなんですけど、自己肯定も心の美容にはとてもいいと思います。
あとお肌はね~私、36歳からきれいになり始めたからね~。これは本当に教えてくれた友達に感謝するしかないです。とてもいいオイルと植物の精油とエキスと、寒天でできた化粧品があるんですが、それを使い始めてからです、子供の時以来の本当の自分の肌が戻ってきた感じです。
にきび、にきび跡、ざらざら、きめ、しみ、たるみのすべてに改善が見られます。多分ここ最近知り合った方は生まれつきずっと肌がきれいな人なんだろうと思っているんじゃないかな。首から下は確かにきれいなので、今は顔が首から下に近づいていってる感じです。でもこの化粧品と出会ってなかったらどうなってたんだろうと思っちゃいますね。化粧品なんて全然信じてなかったんだけど、これは本物でした。植物ってほんと私たちの体にいいんですよね。食べても肌につけても。もちろん質のいい植物!
あぁやっと眠くなってきました。本当は夜更かしは美容最大の敵!でもね、まぁいいんです。だって自由な時間じゃないですか。(なんでも自己肯定)
ではまた!

思えば通ず☆

楽天ブログを始めてから、新しい出会いがありいろんな方からメッセージいただいて楽しく思っていたのですが、自分からももっと出会いを求めてみようかな、なんてふと思い、reinaさんとこからテーマ伝いにひょっと飛んでみたところ、すごくかわいい女の子の写真。タイトルはアンチエイジングは腸の健康から・・ん~私の腸大丈夫かしら?なんて思いながら、それにしても素人さんでこんなにかわいいなんてなぁなんて思いつつ年齢見てびっくり37歳(ま、それでも私より2歳若いんだけど)一児の母(ここは違うわ)カイロプラクティック開業・・へーなんか縁があるかも・・なんて思いカイロの方のサイトに飛んでみたら、なんとお友達だったのよね。
もともと女優友達の友達で、なんというか、私としては今の私につながる重要な場所に導いてもらったと言うか、以前いたプロダクションを紹介していただいたマネージャーさんを紹介していただいたり、初めて銀座を紹介してもらったのもこの方だったんですよね。
彼女は不思議な力ある、魂の仲間の一人だと思います。
だったらもっと早く気づけって感じなんですが、まさかこんなところ(ブログ上)で会うと思わないから全然気づかなかったです。
彼女にお世話になったのは女優とか仕事とかプライベートでも本当に路頭に迷った時期だった。彼女も精神的な意味でかなりの修羅場を乗り越えてきた人だと思います。私がこれは(私と比べても)ヘビーだなと思った人ってそんなにいないですが・・前世療法のクライアントさんでは何人かいたけど・・彼女は私が影響を受けた人の一人です。
出会いはやはり偶然じゃないね。
よく世間では、芸能界とセラピー(癒し、治療)なんて正反対じゃない、なんでそんなことやってるのと言われたりするけど、私の周りではそういう人がとても多いんです。でも芸能界=テレビとか競争とか汚いみたいなイメージを離れ、芸事、芸術とイメージしていただくと根本は「浄化」なんです。
芸術は魂の浄化、神の遊びなのです。人は魂から離れ、エゴの欲求ばかりに気をとられるとバランスを崩してしまいます。私たち人間は文明が始まると同時に文化(精神文化=芸術)とも親しんできました。そうやって心の浄化をはかり、自分の中心にいるバランスをとってきたのだと思います。
現代はいろいろな情報がばらばらに切り離されてしまっています。でも統合に向かう動きもどんどん加速している。それは、統合しなければ!と思う一人一人の人間が意識し、「バランスをとる」生き方を実践することに他なりません。
自分の中心に戻るとは魂の声を聴くことだと思います。そしてその様に生きることです。
ピース

完全無料パソコンテレビ

パソコン復活からあれこれ探索して見つけたGyao。テレビCMでやってたやつ。ほんとに簡単に無料で映画が見れちゃうのね。(そりゃそうだ)でもちょっと嬉しい。ラインナップは多くないけど、レンタルしてまで見ないかなって映画が見たら意外と良かった、なんてね。
ちょこちょこと見てたんだけど、「モリー先生の火曜日」って良かったです。ジャック・レモンの遺作です。
アメリカ映画の良心、と私は思った。
私はなんだかんだ言ってもアメリカ映画が好き。アメリカ映画に描かれる愛が好きです。
スピリチュアルな愛や真実について書かれている本はアメリカから来るものが多いです。映画にも共通するスピリットが流れていると思う。
そこに描かれている愛とは単に男女の愛だけでなく、家族、友情、人間愛、生きとし生けるものにあまねく流れる愛です。
モリー先生は「人は愛がないと死ぬ」と言います。
私は単純に心を打たれます。人生をまもなく終えようとしている老紳士が、人は愛がないと死ぬ、と中年になろうとしている元教え子にレッスンするのです。
私たちの身の回りで、年老いて病気になり死を迎えようとしている老人が若者に「人は愛がないと死ぬんだよ、人生はとまってくれない。愛を生きるんだ」なんて教えてくれたらどんなに素敵だろうと思います。
私たち人間はそういう先輩を必要としているのではないでしょうか?
「死に方がわかれば生き方がわかる」これも本当に真実だと思います。
昨日もある方とそんなお話をしました。私は前世療法をたくさんやらせていただきそのことを教わりました。前にも度々書きましたが、幸せな死の種類は二通りしかありませんでした。家族の愛に満たされて死ぬか神の愛に満たされて死ぬかどちらかです。或いはその両方、いずれにせよ大元はひとつだということです。
人間は忘れたふりのゲームが好きです。何を探しているのかさえ忘れます。
でも愛を生きることは退屈でも怖いことでもない。遠くまで探しに行く必要もない。ただ単にそこからスタートすればよいだけのことなのです。