癒されるべきものはなにか

あなたがいったん自己の癒しに取り組み始めると、世界は逆転を始めます。癒しというのは修復ではなく、魂の前進です。

多くの方が、癒しはトラウマや失恋やストレス、家族問題、人間関係の不和、病気、人生が思うようにいかない、などに対して必要だと感じていることと思います。しかし本当に癒されるべきなのは、あなたの内にある『刷り込み』された誤った価値観です。

過去の体験による刷り込みは私たちに『学び』をもたらします。その学びが潜在意識に刷り込まれていきます。私たちがもっとも多くを学ぶのが0才から3歳と言われています。ですから私たちはほとんど吟味しないまま多くを身に着け、そのまま大人になっても吟味されない価値観をもとに世界を推し測るのです。

大人になってもそれを修正する機会はもちろん与えられます。しかし元々持っている価値観がすべての基準になっていますので、それを自分で修正するのはとても難しいのです。さらに潜在意識には、過去世から持ち越してきた価値観も刷り込まれていて、やはりそれが『普通』になっています。ですからそれらを問題として捉えるのは難しいことです。

一番わかりやすい修正の機会は、ものごとが破局したり文字通り地面が崩れ落ちるような、世界観そのものをくつがえすような体験をした時です。大失恋とか、破産とか、大事故とか、大病とか。ですがその時には多くの方が状況への対処に追われてしまうので、まさか必要なのは癒しだなんて、ほとんどの人は気づかないのではないでしょうか。

直観や直覚の優れた、霊的な徳(良いカルマ)を持つわずかな人が、「もしかしたら問題もそれを解く鍵も、私のなかにあるのかもしれない。必要なのは内面のエネルギー(意識)を見直すことかもしれない。」と、導きをキャッチして、探求するところへと辿り着かれるということなんだなーと昨今の私は思います。

かくして私も導きをキャッチできたことを今では自分に感謝しております。いえ、ほとんどそれは目をつむったまま手に触れた何かを掴んだ感覚に近いものでしたが。それでもあの時のあの状況からしたら上出来だったと心底思えます。

いったん癒しへの取り組みが始まっても、明確な方向性や全体像が見えたわけではありません。すべてが手探りでした。手探りだったからこそ、手に触れたものを必死でしっかり掴んだのだと思います。もしもっと何かが見えていたとすれば、手を抜くか、興味を失うことだってあり得たと思うのです。

多くの皆さんが私に寄せてくださるたくさんのご質問に私はお答えし続けてきました。いつもお答えできるのは、そんな風に私自身が通り抜けて来た道であるからに他なりません。最初から明るい道しるべなどまったくありませんでした。だからこそ私は、ひとつのしるしも見失うまいと目を凝らし全力で試したのです。試すと書きましたのはまさに、良きことと感じられるというしるしをみつけ、行うこと、自分に施すことだけが本当に重要だからなのです。

癒しに取り組む道のさなかに、多くの皆さんがお感じになるように私も「なぜ自分だけがこんなことに人生を費やさなくてはならないのだろう。みんなが自分の人生を謳歌しているというのに。」というような気持ちを感じました。

その答えが冒頭に書きましたように、「癒しは修復ではなく魂の前進である」なのです。正確には、修復されるべきものはあります。それが『誤った価値観』です。

つまり癒しに疑念を持つ間、私は癒される必要があったのです。癒されてくると『私たちにはただ前進という変化があるだけ』だという真実が理解できるようになります。

癒されないうちは、私たちの世界には前進や後退や停滞があり、被害者と加害者がいて、勝者と敗者が存在し、成功者と敗北者と、支配者と被支配者がいます。癒しが進むとそれらは単なる現象や状況や側面だということが理解できるようになり、それらは外側にいるのではなく、内側にあるのだとわかるのです。そして人生はそれらの状況を体験しながら常に気づき、前進するために存在しているのだと悟るのです。

繰り返しますが、あなたが修復される必要はありません。あなたが損なわれることはないのですから。あなたが誤って身に着けている価値観だけが修復されるよう、内なる神とあなたの心の白日の光のもとにあなた自身を差し出すことが必要です。

あなたが被害者や加害者であるという、勝者や敗者であるという、眼前を覆う闇をはらう決意をすることです。しかし闇が完全にはらわれるまで何かを待つ必要はありません。あなたがあなたらしくあるというその人生を毎日踏みしめて歩けばいいのです。その行い(体験)こそがあなたを芯から強くし、美しく花咲かせるパワーになるからです。

毎日、毎瞬、精いっぱいのあなたらしく咲いてください。その今の連続が人生であり、その今が次の今にパワーを呼び込むのです。


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アセンション、そしてその具現化

いつもAZU WORLDを読んでくださるみなさん、本当にありがとうございます。face bookやTwitter、mixiなどではつぶやいたり情報を上げたりしてきたのですが、今日はここに書きたいと思います。

私は特に自分の今世の目的ってなんだろう?と考えていません。人間の魂の目的というのがひとつしかないということがわかったからです。人間にはこの世でその体験をどのように進めていくかというざっとの計画があるだけです。

けれど今まで歩んできた道を丁寧に振り返ってみて、こんなことしてたんだな、とか、この時はわからなかったけどこっちへ向かってきたんだ、とか、後にこのことをわかるには絶対この経験は外せなかったね、など、私が意識する以上に明確に、緻密に、すべては偶然(行き当たりばったり)ではなかったと納得せざるを得ないような、導きとしか言えないような地図を魂はやはり持っていることも知っています。

今やっていることを通してあるいはやっていないことを通して、私の魂は何を体験したがっているのか、何に強く惹きつけられるのかと改めてさらってみると、私は本当の平和、愛によって成り立っている世界を体験するべく進められてきているとわかります。

私は10余年前にヒプノセラピストという仕事を始めてから、いや、そうではなく30歳になって否応なく出かけていった世界で、インディゴチルドレンと呼ばれる新しい魂のことを知りました。知識で知ったのではなく、彼らが私めがけてどんどんやってくるという出会いを体験しました。

彼らは一様に優しく潔癖で傷つきやすく誇り高く素直で率直で創造的で、愛というエネルギーで動く、とてもわかりやすい人種のように私には認識されました。出会う彼らはたいてい傷ついていました。社会に、親に、自分であることに。けれどその皮の一枚奥には眩しいような光を放っていました。私は彼らといると非常に安心で、自由で、また、自分の価値を感じることもできました。私は彼らにとても愛されました。

セラピストを生業とするようになると、彼らがこれまで多く地球にやってきている魂とは異質の、とても波動の軽い、そして愛によって平和の世界を創るために来ている魂だということを知りました。彼らは一様に人間のエゴに悩んでいましたが、それを自分のエゴだと思い込み、自分になにか欠点があるに違いないと信じ込んでいました。もちろん彼らにもエゴがあります。でもそれはそんなに根深い重たい想念で構築されているものではありませんでした。ただ、世界を眺めていて自分の立ち位置がよく掴めずに、自分の価値を見いだせずにいたような感じです。彼らはただ、自分が何者なのかを思い出したかったのです。

セラピストを始めた当時、彼らは社会人になりたての頃でした。私に会って話すと、彼らはとても元気になってくれました。彼らは個人的な欲求を満たすための欲望があまり強くないため、自分には古い時代の人のようなバイタリティーや根性がないと感じていましたが、彼らの魂が息を吹き返すような、自分の欲求を思い出せるような種を私は持っていました。それが、世界の平和です。

私は自分自身も彼らの仲間かもしれないと、もちろん考えました。ですが彼らの特徴と私では若干違う面もあります。次第に私は「彼らが地上で存分にちからを出してミッションを行えるような準備をするために来た」と思うようになりました。だからといって自分が犠牲になったりそれらしい役割を演じることは全く必要ありませんでしたが。私がすべきことは「彼らが見習えるように、出来る限り自分のままで生きて、存分に自由にそしてありのままで幸せに生きることができることをやってみせてあげることだけ」でした。しかしこのミッションはおわかりのように、そう簡単ではありません。ただ私の人生を振り返れば、私が意図しようが望もうが努力しようが、成ることと成らないことがあり、このミッションに即したときだけそれは機能し、スムーズで抵抗なく進み、幸せに満たされるということがだんだんとわかってきました。

私は次第に、世界が愛中心に回っているという世界を生きているうちに、目の黒いうちに見たいと願うようになりました。そしてそのことを追求すればするほどに、人間は自己意識(潜在意識)の中にある痛みを癒し、恐れを克服していく必要があるとわかるようになりました。そうしなければ人間は真実を観ることができません。それがどのレベル(次元)であっても、恐れにとらわれ痛みを抱えていては真実に触れることができないのです。それは分厚い防護服越しに愛撫するような感じです。いやでしょ。(笑)

さて、若きインディゴちゃんたちが押し寄せて会いに来てくれる中で私は思いました。彼らが社会の中枢の世代になるころには世界は変わっている、と。でもそれには、彼らが自分を癒し、癒し方を覚え、そして自分が何者なのかを思い出さなくてはならない。人間力を身につけ生きていけるだけの訓練も積まなくてはならない、と。私はおとなになってからだいたい10年以上地に潜伏しました。その間に「人間力をつけるんだ、超能力じゃなくて、才能でもなくて、人間力を鍛えなくては」と思い続けました。自分に足りないのはそこなんだとわかったからです。そうやってインディゴちゃんが育つのを待ち、あるいは助け合いました。

私の内面の世界が信じられないほどクリアになってくると、これまでのいろいろなパーツのあらゆる混乱が解けて見えました。そして、私の魂が何のためにこんなにも苦しい中を生き延びて(本当にただ生き延びることだけに集中して生き延びた時期もあります)来たか、どこへ向かっているのか全く見えない闇を彷徨いながらも向かっていたところがどこだったのか、わかりました。

その目標とも言える超越的な世界をこの世的に具体的に表してみるのなら、それは世界から戦争が消滅した世界のその後、です。すべてのいのちが平等に、神を宿す肉体として尊ばれる世界です。自由で、それぞれが自主的に愛を表現することで共生し循環する世界です。

多くの人が、世の中が変わらないのは政治が変わらないからだと言いましたが、私は政治が変わるのは最後だよ、とよく言いました。この宇宙の原則は「意識が先」です。その変化が政治に表れた時にはすでに世界(意識)の大多数は変わっている、と観ることができるからです。だから、自分の意識を変えるんだよ、変えるというのは、既存の、当然と思われている不条理に気づき解体するんだよ、手放すんだよ、自由になることなんだよ、ということです。そしてそういう自分のあるがままを生きてそれが示されれば、世界は変わるんだよ。そうしたらそれに合ったシステムが必要になるでしょ、その時に政治の概念が変わり、本当に必要なものに置き換えられるでしょう、と、思っていたのです。

そして、その時が、今来たのです。

待っているうちは長かった。次第に待つことも忘れ、自分のできることすべきことに没頭して、ただ今に感謝するようになっていたら、それが来ました。

その時が来たということが、今回参議院選挙に、三宅洋平という人が立候補したのを見た時わかりました。

私の近しい友人たちが「魂が震えた」と言っているのを聞いて私はある映像を見ました。彼らの感性がそう言うのってどんなんだろうと思った、純粋な興味でした。そして見ているうちに自分も震えていました。それらの映像は別枠でいくつかアップしています。どうか、見てください。見て感じてみてください。私の言葉を理解し好んでくださる皆さんであればきっと何か感じていただけるのではと思います。

人は痛みがあると真実を観られないと言いました。ですが、どんな痛みや恐れがあっても、魂は愛に惹きつけられます。どんなに観ないように感じないようにふさいでいても、僅かな隙間から愛の波動をキャッチしてそちらへ惹きつけられるのが魂です。だから魂は愛に震えるのです。

政治に愛をもたらし、愛によって世界を変えるんだ、と公言し、世界から戦争がなくなる方法をみんなで見つけてそれをやろう、その代表として俺を国政に送り出してくれ、と言っているスピリチュアルで勇敢な、知性と創造性にあふれた、そして人間力の訓練を積んだ魂がとうとう政界の扉を開こうとしています。

彼を見た時、私は「私もとうとうここまで来た」と自分にありがとうをしました。彼は私の意識の世界から現れた鏡だからです。どうかみなさんも鏡を見てください。そして、世界に光をもたらしたご自身の努力をねぎらい、そしてそこから次の一歩を踏み出してください。

アセンションしたみなさん、できなかったと思っているみなさん、そんなものはなかったと思っているみなさん

アセンション以来、次元の上昇をとても身近に感じているこの頃です。がっかりしたり気が抜けたり戸惑っている方も多いかもしれません。私たちはアセンションというイベントに関係なく、拡大し続ける意識です。この拡大、進歩、進化と呼ばれるような現象は、私たちの3次元という視野から覗き込み「予測」するものとはほとんどの場合ずれています。

どうしたらいいんだろうなにがしたいんだろう、と口になさる方が多くいらっしゃいます。
私たちは3次元社会の中で常に「なにかをしなければならない」と教わってきました。
スピリチュアルとして出回っている教えのほとんどは、なにかをしなさいと教えているかもしれません。
ワクワクすることをしなさい。今この瞬間に実現しなさい。など。
それを3D社会の規範に当てはめて考えてしまうと、自分はまるで自己実現予備軍にいるように感じませんか。

スピリチュアルとは、私たちの存在そのものについて教えています。
それを知ることなしに人生を生きようとすると、私たちは一生なにかを探し回っては手に入れ、失うことを繰り返して終わってしまいます。
スピリチュアルを学ぶということは、そんなことはしなくていいと気づくことです。
どの瞬間もそのように気づき目覚め続けることで私たちはそういった獲得と喪失のゲームというストーリーから解放され、あるがままという悠久の意識を生きることができるようになります。今この瞬間に実現すべきこと、あるいは実現可能なこと、というのはことことだけです。

そのとき、私たちは愛といったいであることができます。

私たちはもちろん生きるためにいろいろなことをしなければなりません。それはあくまで浮世の義務であって、生きる目的ではありません。仕事も自己実現と一般に呼ばれているものもそうです。でもその欲求から離れるのは難しいことです。私たちには常にかきたてられる欲求があり、その欲求こそがエネルギーであり、自らの生命力であると認識されています。その認識は本能つまり肉体意識に付随するものです。

ですが、スピリチュアルの教えでは、人間という存在はそれではない、と言います。もちろんです。そうであれば私たちは本能のままに生きればいいですし、欲求のより旺盛な人が他者を踏み台にして社会を構築していけばいいのです。

これを読むと今までの既存の社会はそうだと感じられませんか。そうです。3D社会は本能が旺盛な人が成功するようにできていました。それで、そうでないなにかを感じ求めている人は「生きにくさ」を感じさせられてきました。

愛を愛する人たちは、自己を攻撃し自己を罰し苦しむところから解放されていかなくてはなりません。自分を愛することを始めなくてはなりません。自己実現が社会でうまくいっているから自分を愛するのではなくただ、自分の内側に立ち戻って自分の内側の光の当たっていないところに光を当てるだけでいいのです。それが自分と向き合うことであり、自分を愛することであり、今、この瞬間に実現すべきことです。そこからすべては始まります。世界を変えるすべてが。

アセンション前日に思う。これまでのまとめ。

今回の選挙結果には少なからずショックを受けました。政治についてこんなに真剣に願ったことはないほど、今回の結果が重要だと考えていたからです。311震災によって原発の事故が引き起こされてからこのかた、私は実際に起こっていることを見つける努力をしてきました。私にとってはスピリチュアルと社会は同じです。世界は内なる世界の投影です。

まず、原発事故が起こったときから世界はくっきりと二つに分かれていきました。これは情報をどのように受けとり意識にどう反映されるかによって、形作られました。もちろん元々あった傾向がより鮮明になったということです。原発事故を受けて、私が信頼できた情報とは放射能は人体に非常に危険で、これに迅速に誠実に対処すべきであり、このような事故は責任を追及し再発を防ぐよう取り組むべきものというとても当たり前に見えるものでした。これまでそのような社会で生きてきましたし、もちろん欺瞞や間違いは多くありますが、通常事故などに対して日本ではこのように取り組む努力を全体としてきたと思います。

当然このような意見を持ちそのように進もうとする人は周囲に大勢いました。同じ間違いを起こさないよう、今回のミスを認識して改善について考え、また今起こっていることに誠実に対処しようと努力するグループです。ところが、世の中全体を見回してみるとどうもそのようには動きませんでした。対極にあるのは放射能は危険じゃない、原発を止めてはならない、という意見です。そこで対立が起こりました。私にとって、放射能が危険ではない、原発を今までどおり動かそうという意見を理解するのには、今起こっていることとは別の事情を理解する必要がありました。それは簡単に言えば過去からのしがらみです。利権、お金儲け、権力争い、もちろん生活がかかっている人もたくさんいます。過去にそれらの恩恵にあずかっていたために、今本当の気持ちを言えない、ゆえに動けない人もたくさんいます。また過去からずっと存在していたおそれによって喚起され生きるというやり方の中にずっといた人はその傾向をますます強めることになりました。

この流れの上に今回の選挙がありました。すでに現在ではこれまでにないほどの前進の成果によって、脱原発という認識は広まっていました。テレビや大手新聞の報道が捻じ曲げられ隠蔽されている、要は政府によって情報操作されているという認識は、少し前には本当にごく少数の陰謀論者などと呼ばれる人だけのものでしたが、今では自ら進んで知ろうとするすべての人がほぼ必ず見つけることのできるものとなりました。隠されたゆがみを見つけるのがうれしいのは人間にとって自然なことです。毒を出せは健康になり、美しいものに触れれば豊かになるのが人間です。それで、前者のグループは、今どの程度この新しい視野と展望が浸透しているのかということがこの選挙に反映されるものだと期待しました。また今回は、脱原発などの根底にあるとても重要な基礎の部分の是非を問われる選挙でもありました。私個人としてはこの部分が最も重要でした。それが憲法を変えることついての部分です。

私が脱原発を考えるとき、何度も申し上げてきましたが、脱戦争が根幹にあります。70年戦争していない、憲法によって平和が宣言されている日本で脱戦争を訴えるのはおかしなことに見えたかもしれませんが、私の中では脱戦争がなければ脱原発はありえませんでした。つまり原発は戦争の道具だから、なのです。原発を死守する側には、戦争の道具を失ってはいけないという意図があるからです。水面下では刻々と戦争の準備が進められまた、日本以外のあちこちで起こっている戦争に、日本は(アメリカを通して)戦争に加担してしてきていました。それが今回、合法化されるかどうかという重要な局面だったということです。この流れは今回の選挙と首相の宣言を持ってもはや明るみに出たとも言えます。

多くの人は日本は戦争をしないんだから、というところに甘えてきたと思います。遠い国の戦争、紛争のニュースを見ても、かわいそう、信じられないわ、現代にこんなことがあるなんて、日本に生まれてよかった、と思うのはとても共感力のある部類の人の反応ではなかったでしょうか。でも、憲法が変われば私たちはこれらの遠い場所の戦争と直接繋がります。震災で多くの人の命を救った自衛隊の人々が、今度は国の命令で人の命を奪うのです。民間人や子供の命も奪ってしまうことが起こりえます。

原発が戦争の道具だという見方は一年前にはとんでも論的にみられていたかもしれません。でももう、今は違います。日本は軍隊を持つ、徴兵も視野に入れているということが国家の首相の口からテレビでも宣言されてしまいました。どれくらいの人がそのことをリアルにイメージしてきたでしょうか。また人権を尊重するという項目が憲法から除かれれば「子供たちの命を守りたい」「みんな大事な平等な命」という主張も、とんでも論の部類に入るようになるかもしれません。「何言っているんだ、命は国家のものだよ、国家にささげるものを自分のものみたいに言って」というのが軍事国家です。私たちはおじいちゃんの世代に戻ろうとしています。

今回の選挙でこういったことが民意である証拠となってしまいました。安倍さんは「憲法改正が民意なら、もっと簡単に民意が反映されるようにまず法律を変える」と言いました。だから懸念してきた人たちは本当にショックだったと思います。私もショックでした。今脱原発に尽力している人、お母さん方、原発を廃止しただけでは子供さんの命を守れなくなるかもしれません。脱原発を願うなら、今起こっていることを知って、隠されていることを知って、私たち自身の手でもう一度平和憲法を再獲得しなければならないでしょう。

今回の選挙は不正選挙だということがあちこちで言われています。私は猪瀬さん当確のニュースと、次の自民党ダントツの経過を見た瞬間にそう思いました。それから思い込みと希望的観測から導きだした考えではないかと自分の内面を検証した上で、この可能性は否めないし全体として見張るべきと判断しました。確証なんていいんです。確証というなら、実際に日本の憲法が変わり、軍隊を持ち、戦争をしている世界の国々と同列になって家族や友人が死んだとききっとわかるでしょう。それよりも前に別の選択をするためには、私たちは察知して、対応していかなくてはなりません。選挙の現場にいた人が感じた異変(証言はあります)、ちらちらとしっぽを見せるぼろ(ニュースに挙がっています)。こういうぼろを見逃さずにおかしいことをおかしいとちゃんと認識し、大切な人々に伝えていけば、事件はありのままをやがて見せてくれます。

さらに私が一番大事だと思うのは今回起こった結果すらも、真実への流れから決して外れていないということです。

私たちが今立っている局面とは過去にこれまで分離してきた二つの世界が統合へ向かっているという真実です。分離が統合するには、その分離が明らかにならなくてはなりません。もう分離したまま別々でいるなんて限界、というところまで来て、個々の意識の中でもういやだ、こんなことおかしい、私たちは理解しあい、愛し合いひとつになりたいだけなのに、という気づきがあって、世界は統合します。それが極端に引っ張られれば、反動として痛みがあります。痛みが少なくて済むには、私たちがこまめに気づくことなのです。そしてこまめに修正していくことなのです。地震が大地震にならないようにするには小さい地震によってプレートのずれをこまめに修正されるといいのと同じです。ですからこまめに気づいて自らを修正しているみなさんは決してがっかりする必要はありません。そのようにして世界のゆがみを癒しているからです。ですが、それは決してほっとけばなるようになるんだということとは違います。私たちは起こったことからどんどん気づいて反応し、軌道をいつも修正する、つまり癒す必要があります。(癒しについては前回の記事をご参照ください。)

スピリチュアルの教えの中に、アセンションについて降ろされた高次元の情報がたくさんあります。この情報はある次元では真実なのですが、自分自身がどんどん癒されて意識のフィルターをクリアにしておかないと、生きた概念として受け取ることができません。つまり活かせないし誤解するということです。地球がアセンションを選び地上のみんなが上昇する。その際世界は古い概念にしがみつく勢力と進んで上昇に身を委ねるグループに別れ世界は二つに分かれるという情報は耳にされたことがあると思います。それで、上昇する人たちは宇宙船で引き上げられたり瞬間移動をして世界を平行移動する、みたいなことをささやかれています。私は今日になってわかりましたが、これがもうすでに起こっていることです。世界は二つに分かれていたのです。日本は世界の雛形と言われていますが、これが日本で、世界中の人にとってもわかりやすい形で起こりました。それで、地球はもちろん前進し上昇していきますが私たちはどうすればいいでしょうか。受け入れるということは前回も書きましたが進んで感じきろう、つまり体験しようという姿勢のときに可能になります。感じきるのは痛みかもしれない。少なくとも意識の浄化に私と一緒に取り組んでくださった皆さんは、浄化の痛み、膿出しのときのいやなフィーリングを体験したり乗り越えたりしてきたはずです。でもそれを進んで受け入れ感じきってみると、そこには毒を出し切ったあとの清清しい愛、統合の世界があるのです。

アセンションで上昇を選ぶ人たちが引き上げられ別々の地球に分かれるというのは私は最善の策とは思えません。それは肉体の死をもって別のところでやり直すこととしか思えません。それは古い概念が物理次元で大きな破壊をしたときに、おそれなく別の次元に魂が進むためのガイダンスだと私は理解しています。まず何よりもそれでは統合にならないのです。地球がやむをえず再分離しましたということになります。とかげの尻尾切り的発想です。ここにはやはりキリスト教のノアの箱舟的な発想があるように見えます。私たちはどんなに悪条件だったとしても、統合、愛の次元に進まなくてはならないという魂のゲームに参加しています。そして一見悪条件に見えるものから愛を見つけ出すときに奇跡を体験するのです。

私たちは何であれ、体験し実感するためにこの次元に肉体を持ってやってきています。そのあらゆる体験の中から真実というエッセンスをいつも間違いなく見つけられるようになったらこのゲームは終わりです。真実というのは神であり光であり愛です。

アセンションにあたり、私たちはこれまで冒してきたひどい間違いから学ぶという姿勢から、気づきと赦しと手放すという神の愛による創造のやり方を選ぶ姿勢に移行します。このやり方によって人間はとうとう、長いこと言われてきた「私たちは神の子であり小さな神である」という領域に足を踏み入れることになるでしょう。アセンションには分離による解決などという3次元的な発想から目覚める入り口だったのだと、その日を前にして私は実感しています。地上で今を共有するすべての神の子たちと、共に目覚める目標以外にここにいる意味はありません。最後の1人までが幸せに目覚めるまで、私たちの旅は続きます。

私はここへきてあらゆるものに感謝しています。私はずっと以前から「政治が変わるのは最後」だと言ってきました。新しい概念が過半数の同意を得るというのはもうほぼ世界が変わった後のことです。でも今そうなろうとしています。そんな時代を見ることができるとは10年前には信じられなかったものです。それから私自身が個人の課題というものを概ねクリアして、社会や世界の膿出しという痛みに意識を向けられることができたことに感謝しています。10年前にはやはり想定できなかったことです。選挙の投票率が今回発表された通りだとしてもそれはありうることだと私は思います。それほどまだみんな幸せではないのです。幸せになるために投票する、というような建設的な考えができるのはとても幸せなことです。誰だって自分が不幸なときには社会を憎み世界を呪います。私は神だって恨んだくらいですから。だからできる人でやっていきましょう。社会の膿出しに参加するには自分の毒出しをある程度片付けなければできません。無理にしたら無理が来ます。ですから、自分を癒し、隣人を癒すことこそが、本当の近道なのです。家族間で原発のことを話し合えない人がたくさんいます。家族間ですらそうなのです。自分への愛、家族との愛、隣人との愛を体験してください。そうすればおのずと世界の平和のためにすべきことが見えてきます。

遠回りだと思っていたのにこんなに近道で早かった、と、癒された多くの方が私に伝えてくれます。その実感こそが世界を変えます。私は今日という日に心からの感謝を捧げます。

アセンションのサイクル

やさしいハーブティーが美味しいなと感じる今日この頃。

RUACH心のセラピストAZUです。

アセンション、みなさん楽しんでいますか?

それにしても沖縄へ来てからこっちの内なる気づきと進化、

その体験ときたらすごいものです。

それがとても静かに当たり前に進行していくのです。

ですが振り返るとこれらの体験は以前の私目線から見れば

予測や想像をはるかに超えています。

時々、私というものがすでに小さな私からは測れない存在として「在る」ことに気づきます。

けれどもこの在りかたというのは、なろうとか、こうありたい、という

理性的なくくりでは到底到達できないような

時空を超えた場に存在しているようです。

私たちがずっと人生の中で捜し求めている場というのは

おおむねこれ(あれ)のことなんだろうと思います。

それは通常私たちがどこかへ到達しようとして立てる計画様式とは

まったく違っています。

3次元、4次元的な思考を裏切り続けるその「やり方」というのがあり、壮大な計画です。

このことを示そうとするときにどうしても私の言葉では

「こつこつ」とか「一歩一歩」が出てきます。

まったくもって逆説的なイメージなのですが。

いったいなにこつこつなのかというお話を少し。

人間誰もが「しあわせ」であるという状態を求めていますが、

それを達成するのに必須なのは愛です。

しあわせのかたちは人様々ですが、

しあわせが何でできているかというと愛というエネルギーです。

多くの人はしあわせのかたちは違うということを

愛以外から得たものであると誤解していますが

愛以外のあらゆる要素を総動員してもしあわせにはなりえません。

あらゆる要素というのは装置やストーリーや衣装や照明や音響です。

ですがそれらに息を吹きこむのは人間です。

人間の中でも、意識の部分です。

意識ひとつで明かりは明るくも暗くも暖かくも冷たくも、優しくも厳しくも見えます。

人間の意識の中心にある核のようなものは、

全宇宙の根源的な神と同質、同等のものであり、これが愛です。

私たちはこの内なる神聖さが私たちの意識のあらゆる場所に浸透し、

いきわたらせ反映されながら生きる状態を求めています。

しあわせに生きることです。

これが魂の意志です。

そのために様々な装置や衣装やストーリーや衣装や照明や音響を引き寄せて

自分自身を活かします。

これを具体的にやっているのは潜在意識です。

そのように引き寄せられたものを手がかりにしながら私たちは演じています。

ほとんど即興ですが、演じることに必要なメモリは潜在意識の中にあるので

それを引き出したりしながら目の前にあるものに反応して人生を彩っています。

実際に重要なのは演じられているストーリーや装置その他ではなく、

その奥にある魂の意志、意図のほうです。

つまり「内なる神聖さが私たちの意識のあらゆる場所に浸透し、

いきわたらせ反映れせながら生きる状態」

つまりは愛であるという状態です。

よく起こることなのですが、人生の意味を求め探すあまりに

目の前に起こったことのほうにフォーカスして

その意味を考えてしまっている人がいます。

「この出来事の意味はなに?」という問いかけです。

そうではなく、本当に掘り下げなくてはならないのは出来事ではなく自己意識です。

現象について考えることは内なる探求とはまったく別のことです。

出来事に夢中になって演じてることを忘れている自分に気づかなくてはなりません。

そして、この出来事について反応している自分がなににどう反応して

どうしたがっているんだろう、と気づくことです。

これは自我の本当の欲求(インナーチャイルドの気持ち)に気づくこと

また、自分がいつも、自分に対してどう感じているか、ということとも意味しています。

どう感じ、どう受け止め、どう評価しているのか、

そして心のどんなエネルギーをどう向けているか、ということです。

それはまだ心の浅い部分でのことですが、

その探求なしにその先の探求はありえません。

なぜならその時点ではその無意識的な心のエネルギーが

人生の創造をほぼ支配しているからです。

次になにをするかというと、

この潜在意識の浅い部分の欲求に対して愛情で応えることです。

つまり、インナーチャイルドが「まだ満たされてないんだけど、ここが」

と言っている部分に気づき、しっかりと愛情で満たすことです。

そうしてあげると、このステージの第一場が幕、ということになります。

シチュエーションがどうであれそこで愛のレッスンをし、

どのような球を投げられても愛で投げ返すことができるようになるよう、

自分で設定を選んでいます。

ですから設定の如何によって人間がしあわせになるわけではないのです。

設定が一見楽チンであろうが誰が見ても困難であろうが、複雑で混乱していようが

しあわせかどうかとは関係ありません。

もちろんこれは直線的な次元に例えたお話で

実際はこの進行はらせん状に上昇するために

体がその場に馴染むまで何度もレッスンが繰り返されます。

本番中なので、レッスンは同じことではなく

シチュエーションを変えては繰り返しドリルのように起こります。

設定に挑むことに夢中になり肝心なレッスンが進まないときなどに

魂がレッスンに取り組みやすいようにプッシュしたり、

ガイドが助け舟を出してくれたりして、

はっと真の我に還るよう導かれることがあります。

スピリットは3次元意識のあなたがラッキーだと感じることを

えさとして与えてくれるわけではありません。

そういうときに魂がプッシュしている状態が

3次元の自我にとってはとても厳しかったり苦しかったりすることがあります。

これは3次元的な解決がもはや通用しない、という状況です。

それは困難であると同時に再生の兆しです。

古いやり方を手放し、スピリットの世界に飛び込むという表現はこのことです。

この体験によって人は「手放す」こと、「委ねる」ことの真意を知ります。

さて、この手放しと委ねるは同義語のように捉えられがちですが、

その目的語はまったく別のものです。

手放すべきもの、というのは3次元、4次元的な思考、想念などです。

執着や利己的な欲求のみならず、

このレベルでの集合意識的な価値観なども含まれます。

これらの奥にあるものを結合させているのは「恐れ」という原動力です。

つまり私たちが持っている悪意だけではなく良心や正義さえも、

この恐れに基づき結合している想念であればそれらは

私たちが手放し自由になるべき対象と言うことになります。

私たちがどんなに賢く利口になったとしても

自己を掘り下げ探求し前進するというコミットなしには

この次元で生きその次元の波動によって生かされていることに違いはありません。

またそこから放たれ自由になっていかないと、

委ねることはとても困難に感じられます。

そして委ねるべき対象の見当がつかなければ

私たちは低次の世で自分を守ってくれているエゴのよろいを

本格的に手放すことは困難です。

ですが幸いなことに、

私たちはそれを語ることはできなくても感じることはできます。

その委ねるべきものとは愛です。

愛とは宇宙の源でありすべてであり完全である神のみこころです。

私たちは生まれながらに

それを感じることができるようにプログラミングされて

その点で完璧な状態で生まれてきました。

しかしそれ以外の様々なことを学ぶうちに、

そもそも何のためにそれ以外を学んだのか忘れてしまいます。

本能が急スピードで養われ活用されるうちに、

私たちを生かしているのは本能、つまり肉体意識だというふうに勘違いします。

人間のしあわせはこの肉体意識が手に入れるのだというふうに。

私たちはしあわせの姿をみつけたとき

それに必要なのは愛だったとわかります。

そしてそのときには、過去のレッスンのすべてに

感謝と畏敬の念を抱かずにはいられないでしょう。

その想像を絶する本当のからくりは、

こつこつと一歩一歩体験してみないと理解することはできません。

このプロセスが「アセンション」だと私は思っています。

私とひとつでありきょうだいであるみなさんが

すばらしいアセンションを体験なさいますように。