赤ちゃんの記憶に戻ることの意味


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インナーチャイルドワークを生業にしていると、特異な体験は多いのですが、たとえば、生まれたばかりの赤ちゃんの声を聞けるという特典があります。

赤ちゃんはおぎゃーと泣いて生まれますが、感覚器官はだいたいできあがっていますので、いろいろなことを感じて、そして記憶しています。

(たとえばこの世に生まれでたときの感想は「まぶしい」である人は多いです。)
その頃の体感から得た記憶は潜在意識にすっと吸収されて、一生涯、また生涯を超えて記憶されていくこともあります。

そして、潜在意識にアクセスすると当時の印象的な記憶が思い出されます。

当時は言葉を操れないので、記憶は言語化されずに、もやーっとした「かんじ」で記憶されています。その「もやー」がなんとなく不快であれば言葉に出来ない不快さの記憶はなにかのきっかけがあるごとに再浮上します。

感覚器官は五官全体で協力して働いていますので、たとえば「お母さんが見えなくて不安だ。お母さん来て抱っこして」という欲求があるときに、外は風がびゅーびゅー吹いてガタガタ音がして、部屋は薄暗くて空は暗雲立ち込めているのが見えるとすれば、不安で寂しく満たされない欲求と、風の音と暗雲の空はセットで記憶されます。

おとなになって、風がびゅーびゅー吹いている音を聞くと、または暗雲立ち込める空を見ると、なんとなく不安なのはわかりますが、それ以上に孤独感や、自分は満たされてない、そして満たされないのではないか、というような思いや、自分はちっぽけな存在でどうにもできないや、というような無力感や諦めまで感じたりすることもあります。

インナーチャイルドワークはトラウマを癒やすことで有名ですが、この世にあるすべての人は心にクセを持っています。そして「私はこういう性格だから、これが私だから、仕方ない」というふうに受け止めていることでしょう。しかしながら、それは感覚的な反応の仕方のクセに過ぎません。最初に刷り込まれたパターンを繰り返しているだけなのです。レコードが何度も同じ音を奏でるのと同じです。脳に刻まれた電気信号の経路を往復しているのです。

こういったもやーとした記憶を再認識して感じ直してあげると、もやーがくっきりした自己の体験としてしっかりと認識されます。そうなると人間の処理能力(自然治癒力のような)は機能し始めます。言語化されることで整理され、しまうところといらないところがはっきりとします。また感情化されることでそのエネルギーは完全燃焼されます。この作業は「気づき」があれば自然に行われる部分です。自然というのは、内なる神の仕業という意味です。これらが「浄化」です。

ワークは、トラウマだけでなく、もっとずっと広い意味で機能します。その人の性格と言われているような心のクセ、言動、コミュニケーション、家族関係、恋愛、パートナーシップ、子育て、介護・・・すべての関係性における反応のパターンを見直し、限界の壁を取り払うことを可能にします。

余談ですが、潜在意識に取り組むことが成功哲学などに応用されるのはこういった仕組みよるものです。ですが私は、この仕組みをただひとつの現世的な目的のために「鍛える」べきではないと感じています。それは不自然な、新たな歪みをもたらす可能性があります。潜在意識の更に中心には本質が座しています。それは神聖で崇高で優しい、真実です。私たちは意識を扱うとき、いつもこの本質をその背後に観ながら、謙虚にそっと躙り寄る態度で臨みたいものです。それは本物の無限なのです。

限界の壁を取るとどうなるのでしょう。

それが本来の姿に近い自分自身ということです。