インナーチャイルドの傷って

ちょっと今日は連投します。

インナーチャイルドに対する知識って今、
どれくらい知識広まっているんでしょう。

私のところにいらしてくださる方々も、
本やインターネットで一生懸命調べて、
満を持してきてくださる方が増えました。

また、子供の時に傷ついて
一生懸命自分と付き合ってきた人たちがおとなになって
お子さんを育てるようになってます。

そのとき皆さんは
こんなことはしたくない、
こんなことはしてはいけない、
というふうに
子供さんに与えるものをとても制限しているように見えます。

悪い言葉を与えたり傷つけることをしたくない。
怒りたくない。
そう思います。

私も、親の言葉に傷ついて
涙にくれながらよく
自分は絶対にこんな親にはならないぞ・・・と
心に誓ったものです。(笑)お母さんすみません。

しかしながら、私がインナーチャイルドの専門家として
絶対にお勧めしたいことは基本一つです。

それは、パートナシップをしっかり育てること。

子育ての苦労は無限かもしれませんが
もし子供さんの心を大切に育てたいと思われるなら
夫婦間の関係性、愛情をしっかり育てることに尽きます。

すでに離別されたりしているときなら

ご自身の心を愛で満たすことです。
幸せでいることです。
つまり、自分自身との関係と愛情を育てることです。
基本はいつも同じです。

例えば、夫がこんなことを子供に言ったりしている、やめさせたい、というとき
お母さんはつい、言いやすい子供さんのほうに、
お父さんの言うことは間違い、聞かないで、というメッセージを送ってしまいます。

そうすると、子供さんは混乱してしまいます。
お父さんとお母さんの亀裂を察知して
安心して両方から愛を受け取れなくなります。

同時に、両方を安心して愛せなくなります。

これが子供にとって、潜在的にとても辛いことになります。
例えば潜在意識の傷って、こういうことです。

DVなどの派手な出来事がイコール深い傷ではありません。
特に今の時代地球に来ているより繊細な魂たちにとって
充分に愛せないことがなにより無意識的な苦痛になり
心を分裂させてしまいます。

お父さんとお母さんは、価値観が違って当然ですが
その違いについてコミュニケーションを充分にとり納得しあっていれば

信頼というエネルギーが子供さんの潜在意識にメッセージとして伝わります。

子供はテレパシーレベルで、安全と安心を感じ取り
成長することに専念できるのです。

子供がお母さんの育て方を気に入らなくても
子供が自分の道を選び、前向きに進んで行く元気や勇気が根底的にあれば
それでいいと私は思います。
その子は逆境からたくさん学べる子なんです。

でも時に、本当に心が折れてしまうことがあります。
絶望、というのがそれです。

昨今、うつ病という診断はとても一般的になりましたが
本当の鬱は、絶望という状態だと私は思います。

また、いつまで経っても本当の愛がみつからない。
自分を、人間を愛せない、
愛を実践できない、
愛することが始められない、
愛し続けることができない、
というのは重篤な欠乏状態だと私は思います。

そんな時には必ず心の内部の見直しが必要です。

シェアやいいね!ブログランキングへのクリックでこのブログをご支援くださりありがとうございます。

恋愛と神さま

「ようは神の探求なんですよね、人間の探求っていうのは」
「それでどうしてこんなことやっているのかっていうと、それはパートナーと出会うためだと思ってます」

20代男子とこんな会話しながら、ライタリアンレイキのアチューメントをしています。
とても気が合います。

世界中を巡礼しても、自分の中に見つけなければ何も知ったことにならないのが神ですし、その神はただ、愛という姿で私たちの中にあるものだと私は思います。

神を探求する、と、愛を探求する、は同じです。

命の前に、まず愛があります。

愛が命に宿ると人間になるのです。

愛はこれまで様々な命に宿ってはその肉体的活動を通して体験を積んできました。

その時点で最も波長の合う、次に愛を学ぶ条件的にふさわしいカップルのもとへ飛び火するようにして宿ります。

そしていったんこれまでのことはおいといて、この両親における愛という基準を、体験とともにどんどん自分にインストールしていきます。これがインナーチャイルドです。

心地のいい愛もあれば、一見愛なんか皆無だ、と感じられる愛もあるでしょう。いづれにしても、自分が発信源となって愛の拠点となる準備を続けます。

その準備の中で、自分が深いところ、魂で知っている愛と、この肉体に宿ってから体験した愛にギャップが出てきます。当然ですが、これが成長です。そこでそのギャップによってなにかに躓いたり、壁にぶつかったり、痛みや悲しみを知ったり、またなにかしらの不充分さを感じたとき、人は自分を見直す、ということを始めるのだと思います。

この体験の幅はそれぞれのカルマによって自然と決まってきます。ソフトで亀裂の少ない道を歩む人もいるでしょう。傍から見ると破たんのない人生に見えるかもしれませんが、本人の心の感触だけは外観からはわかりません。

さて、両親からもらったものや社会で用意された回答だけでどうにもならないものに直面したとき、私たちは形而上のものから真実を探す旅を始めるのかもしれません。

すべてに優る法則は愛です。
つまり、この領域を名付けて神と呼びます。

神には領域など本来はありませんが、私たちは、神を再体験することで成長するという特性を与えられた生き物です。すべては光ですが、あえて闇という幻想を設定します。そこから垣間見ることで光のすばらしさを再認識し、光を知る体験を重ねます。

体験を重ねることが、私たちのうちに光を深く刻みつけることになります。そうしてやがては幻想から目覚めるのでしょう。

愛(神)は壮大で一つの定義に収まることがありません。体験することによってしか知りえないものなのです。

人間として神を体験することの中でもっとも大きな仕事は「愛すること」です。

生まれながらに人はまずお母さんを愛するところから始めます。それはもちろん、幼い、未熟な愛です。相手に喜んでもらいたいとかこうしてほしい(例えば「認めてほしい」など)という、欲求と本能との抱き合わせになっています。

ゆえにその愛には限界があります。誰かを何かを愛してみてその限界に達したとき、私たちはもっと自由な可能性を探します。最高のお手本を探すのです。それが神の探求です。

心理療法とヒプノセラピー両部門でブログランキングに参加しています。
クリックで応援よろしくお願いいたします。いつもありがとうございます。