ちむぐくる

みなさん、参議院選挙、お疲れ様でした。
インターネットのおかげで、社会の動きを本当に身近に感じるようになり
また多くの人々の想いに触れることが日常になりました。

今日はfacebookにも上げた文章ですが、とても強く思うことなので
こちらにも記しておきます。
少し書き足しました。

沖縄が何をしてきたのか、私なりに見たことを書きます。

オール沖縄は、集団自決はなかったことにしよう、という教科書問題が持ち上がったとき、
これはいくら何でもいけない、と、県民が結束して立ち上がったとき作られた連帯です。

そして辺野古基地問題で再び連帯しました。

沖縄は変わったのか、そうではないと私は思います。

沖縄では戦争が終わっていません。
本当は、日本では戦争は終わっていません。

ただ多くの市民が忘れている中、沖縄県民はみんなが覚えている。
忘れてはいけない、と知っているのだと思います。

その違いです。

戦争が終わっていないからこそ、再燃させないように、
みんなが見張っています。

このことは20代30代でも、「当たり前ですよね」と言います。

こういったことは多分、ここで本気で暮らしてみないと絶対にわからない。

私の言うことが大げさだと思われるかもしれないけれど、
まったくそんなことはないです。

おじいもおばあも、日常から国会中継見ていて、いつでも政治の話ができます。
夫が尋ねたことに、答えられないおばあはいない。

いつも、考えているからです。心をそこから離さないからです。
そうでないと、油断すると、あれは必ずまた起こると知っているからです。

孫たちのことを思って、
いざという時家から逃げるルートを考え確保しているおじいの話も聞きました。
この話を内地の方に話したとき、
気の毒に、というニュアンスのリアクションをされたことがあり、
そっか、ここで温度が違ってるんだと一瞬自分の中で線を引き直しました。

過去の痛みから過剰反応している気の毒なおじいの話ではないんです。
それはいつでも起こり得るから、台風に備えるように備えている。
孫を生き残らせるための切実な知恵です。
私はここで暮らしていてそう感じました。

三宅洋平さんの演説にもあったけれど、
攻撃されるのであれば、米軍基地が真っ先でしょう。
軍隊が民間人を守ることなどないということを、沖縄の人は普通に知っています。
災害じゃないんです。戦争ですから。

沖縄にはそういう人々の、家族を守りたい、のみならず、
もう二度と、騙されてはいけない、騙されてはいけない、という
気迫と覚悟があります。

沖縄では洗脳によって、つまり騙されたことによって、集団自決が起こりました。
手りゅう弾が足りない家庭では、
きょうだいや親子が刺し合ったり首を絞め合ったりして、
一番大切な人の魂を汚さず守るために、命を手にかけました。

他の命を優先するために、防空壕で自分の赤ちゃんの命を奪ったり、
外へ捨てたりしなくてはなりませんでした。

みなさん、そんなこと今、できますか?
そんな選択を迫られたお母さんはその後生き延びたとして、
それから幸せに生きていくことなんてできるんでしょうか。

だから最も強く戦争の痛みや恐ろしさに直面した方々は、
声を大にして反戦なんて叫べないのです。
正義なんて叫べないんですよ。
平和は正義のためじゃない。
ただ、人間が普通の人間の心を持ち続けるために、
絶対に守らなければならないものなんです。

だから、私たちは最も辛かったその人たちの分も、
言葉にし、伝える必要があると思う。
そのためには理解し、知らなくてはならない。

人権が私たちから奪われるというのは、
そういうことに傷つくことすら悲しむことすら
許されなくなるということなんです。

人間が国の持ち物になり、国家が持ち物を好きに使うということなんです。

これからあと、多分あっという間に、
私たちは国の持ち物にされる方向へ向かうでしょう。
嫌だ、おかしいと言った人が罰せられる世の中があっという間に来ます。
伝えましょう。今ならまだ言える。

戦後初めての選挙での沖縄の投票率、ご存知ですか?
83.64%です。女性はそのとき初めて参政権を得ます。
日本では、沖縄のほうが早かったそうです。
私のおばあちゃんの人生の途中から男女平等になった。
私たちは民主主義のひよっこなんです。

それ以来、沖縄の人はずっと、見守っています。
平和のため、二度と騙されないため、洗脳されないため、です。

だからこそ、その家族の歴史を踏みにじる、
教科書問題で県民は結束したんだと思います。
それを否定されることは、家族をいなかったことにし、
またその死を無意味にすることになります。

選挙の結果が沖縄と本土でこんなにも温度が違うのは、
沖縄がこうして洗脳されなかったためだと、私は理解しています。

洗脳されている、と言われていい気持がする人はいないでしょう。
でも沖縄の風にさらされていると、見えるのです。くっきりと。

聡明な友人、知人が
与えられた教育や情報に洗脳されているのを見るのは辛い。
騙されないで!と叫びたくなる。

私は沖縄へ来て、生まれて初めて政治的マジョリティーを体験しています。
こんな日が来るとは思わなかった。
沖縄の目線で歴史を見てみてください。
同情や罪悪感を振り捨て、真実を教わるつもりで。
なにかヒントがあるかもしれません。

どうかみなさん、どんなことがあっても、
諦めず、大切なものを失わず
悔いのない選択を見極めていきましょう。

個が失われる時代が再びくるとは思いもよりませんでしたが
もう一度、私たちが生きている間にそれを取り戻し、
ブラッシュアップして次世代に手渡してあげたいものです。

アセンション、そしてその具現化

いつもAZU WORLDを読んでくださるみなさん、本当にありがとうございます。face bookやTwitter、mixiなどではつぶやいたり情報を上げたりしてきたのですが、今日はここに書きたいと思います。

私は特に自分の今世の目的ってなんだろう?と考えていません。人間の魂の目的というのがひとつしかないということがわかったからです。人間にはこの世でその体験をどのように進めていくかというざっとの計画があるだけです。

けれど今まで歩んできた道を丁寧に振り返ってみて、こんなことしてたんだな、とか、この時はわからなかったけどこっちへ向かってきたんだ、とか、後にこのことをわかるには絶対この経験は外せなかったね、など、私が意識する以上に明確に、緻密に、すべては偶然(行き当たりばったり)ではなかったと納得せざるを得ないような、導きとしか言えないような地図を魂はやはり持っていることも知っています。

今やっていることを通してあるいはやっていないことを通して、私の魂は何を体験したがっているのか、何に強く惹きつけられるのかと改めてさらってみると、私は本当の平和、愛によって成り立っている世界を体験するべく進められてきているとわかります。

私は10余年前にヒプノセラピストという仕事を始めてから、いや、そうではなく30歳になって否応なく出かけていった世界で、インディゴチルドレンと呼ばれる新しい魂のことを知りました。知識で知ったのではなく、彼らが私めがけてどんどんやってくるという出会いを体験しました。

彼らは一様に優しく潔癖で傷つきやすく誇り高く素直で率直で創造的で、愛というエネルギーで動く、とてもわかりやすい人種のように私には認識されました。出会う彼らはたいてい傷ついていました。社会に、親に、自分であることに。けれどその皮の一枚奥には眩しいような光を放っていました。私は彼らといると非常に安心で、自由で、また、自分の価値を感じることもできました。私は彼らにとても愛されました。

セラピストを生業とするようになると、彼らがこれまで多く地球にやってきている魂とは異質の、とても波動の軽い、そして愛によって平和の世界を創るために来ている魂だということを知りました。彼らは一様に人間のエゴに悩んでいましたが、それを自分のエゴだと思い込み、自分になにか欠点があるに違いないと信じ込んでいました。もちろん彼らにもエゴがあります。でもそれはそんなに根深い重たい想念で構築されているものではありませんでした。ただ、世界を眺めていて自分の立ち位置がよく掴めずに、自分の価値を見いだせずにいたような感じです。彼らはただ、自分が何者なのかを思い出したかったのです。

セラピストを始めた当時、彼らは社会人になりたての頃でした。私に会って話すと、彼らはとても元気になってくれました。彼らは個人的な欲求を満たすための欲望があまり強くないため、自分には古い時代の人のようなバイタリティーや根性がないと感じていましたが、彼らの魂が息を吹き返すような、自分の欲求を思い出せるような種を私は持っていました。それが、世界の平和です。

私は自分自身も彼らの仲間かもしれないと、もちろん考えました。ですが彼らの特徴と私では若干違う面もあります。次第に私は「彼らが地上で存分にちからを出してミッションを行えるような準備をするために来た」と思うようになりました。だからといって自分が犠牲になったりそれらしい役割を演じることは全く必要ありませんでしたが。私がすべきことは「彼らが見習えるように、出来る限り自分のままで生きて、存分に自由にそしてありのままで幸せに生きることができることをやってみせてあげることだけ」でした。しかしこのミッションはおわかりのように、そう簡単ではありません。ただ私の人生を振り返れば、私が意図しようが望もうが努力しようが、成ることと成らないことがあり、このミッションに即したときだけそれは機能し、スムーズで抵抗なく進み、幸せに満たされるということがだんだんとわかってきました。

私は次第に、世界が愛中心に回っているという世界を生きているうちに、目の黒いうちに見たいと願うようになりました。そしてそのことを追求すればするほどに、人間は自己意識(潜在意識)の中にある痛みを癒し、恐れを克服していく必要があるとわかるようになりました。そうしなければ人間は真実を観ることができません。それがどのレベル(次元)であっても、恐れにとらわれ痛みを抱えていては真実に触れることができないのです。それは分厚い防護服越しに愛撫するような感じです。いやでしょ。(笑)

さて、若きインディゴちゃんたちが押し寄せて会いに来てくれる中で私は思いました。彼らが社会の中枢の世代になるころには世界は変わっている、と。でもそれには、彼らが自分を癒し、癒し方を覚え、そして自分が何者なのかを思い出さなくてはならない。人間力を身につけ生きていけるだけの訓練も積まなくてはならない、と。私はおとなになってからだいたい10年以上地に潜伏しました。その間に「人間力をつけるんだ、超能力じゃなくて、才能でもなくて、人間力を鍛えなくては」と思い続けました。自分に足りないのはそこなんだとわかったからです。そうやってインディゴちゃんが育つのを待ち、あるいは助け合いました。

私の内面の世界が信じられないほどクリアになってくると、これまでのいろいろなパーツのあらゆる混乱が解けて見えました。そして、私の魂が何のためにこんなにも苦しい中を生き延びて(本当にただ生き延びることだけに集中して生き延びた時期もあります)来たか、どこへ向かっているのか全く見えない闇を彷徨いながらも向かっていたところがどこだったのか、わかりました。

その目標とも言える超越的な世界をこの世的に具体的に表してみるのなら、それは世界から戦争が消滅した世界のその後、です。すべてのいのちが平等に、神を宿す肉体として尊ばれる世界です。自由で、それぞれが自主的に愛を表現することで共生し循環する世界です。

多くの人が、世の中が変わらないのは政治が変わらないからだと言いましたが、私は政治が変わるのは最後だよ、とよく言いました。この宇宙の原則は「意識が先」です。その変化が政治に表れた時にはすでに世界(意識)の大多数は変わっている、と観ることができるからです。だから、自分の意識を変えるんだよ、変えるというのは、既存の、当然と思われている不条理に気づき解体するんだよ、手放すんだよ、自由になることなんだよ、ということです。そしてそういう自分のあるがままを生きてそれが示されれば、世界は変わるんだよ。そうしたらそれに合ったシステムが必要になるでしょ、その時に政治の概念が変わり、本当に必要なものに置き換えられるでしょう、と、思っていたのです。

そして、その時が、今来たのです。

待っているうちは長かった。次第に待つことも忘れ、自分のできることすべきことに没頭して、ただ今に感謝するようになっていたら、それが来ました。

その時が来たということが、今回参議院選挙に、三宅洋平という人が立候補したのを見た時わかりました。

私の近しい友人たちが「魂が震えた」と言っているのを聞いて私はある映像を見ました。彼らの感性がそう言うのってどんなんだろうと思った、純粋な興味でした。そして見ているうちに自分も震えていました。それらの映像は別枠でいくつかアップしています。どうか、見てください。見て感じてみてください。私の言葉を理解し好んでくださる皆さんであればきっと何か感じていただけるのではと思います。

人は痛みがあると真実を観られないと言いました。ですが、どんな痛みや恐れがあっても、魂は愛に惹きつけられます。どんなに観ないように感じないようにふさいでいても、僅かな隙間から愛の波動をキャッチしてそちらへ惹きつけられるのが魂です。だから魂は愛に震えるのです。

政治に愛をもたらし、愛によって世界を変えるんだ、と公言し、世界から戦争がなくなる方法をみんなで見つけてそれをやろう、その代表として俺を国政に送り出してくれ、と言っているスピリチュアルで勇敢な、知性と創造性にあふれた、そして人間力の訓練を積んだ魂がとうとう政界の扉を開こうとしています。

彼を見た時、私は「私もとうとうここまで来た」と自分にありがとうをしました。彼は私の意識の世界から現れた鏡だからです。どうかみなさんも鏡を見てください。そして、世界に光をもたらしたご自身の努力をねぎらい、そしてそこから次の一歩を踏み出してください。