あなたも引き寄せている

「感じ切ること」という画期的な変容のワークに人気が出ない理由のひとつにきっと、「引き寄せ」が流行したことがあるのでは、と思っています。

引き寄せというと、あたかもツキがどんどん来る!みたいに宣伝されていた気がします。
スピリチュアルと言えばいつもツイててラッキーで笑顔、もしくはお化けかオーラか神さまが見える、というイメージがあります。
そうなってくるとツキがない自分って、行いが悪いのか、みたいな気さえしてきそうです。

引き寄せというのは波長の法則で、近い波長のもの同士は引き寄せ合うという宇宙のエネルギーの原則に基づいています。
私は最初に読んだスピリチュアルの本でこの法則に出会いました。
エドガー・ケイシーの宇宙と意識とエネルギーの原則についてのリーディングが書かれた本でした。

2冊目に読んだマインドトレーニングという本はこの法則のことがさらに詳しく厳密に説明され、この本のワークの実践によって初めて自分を変えることに成功しました。というより、本当の自分と真実に出会う旅が始まったと言うほうが正確かもしれません。

私たちは自分が内包しているエネルギーに見合ったものと出会っていきます。
ですから自分の周辺や自分に起こる出来事を見まわしてみることは、まず自分の内面を探索していく最初の時点では重要かもしれません。
いくら自分を変えたつもりでも、起こる出来事や周辺の状態がまるで変わらないか、或いは繰り返していると感じられるのであれば、何かを見落としていると考えて見直すチャンスになります。

私はと言えば、状況があまりに苦しかったところから出発していましたので、とにかく状況の変化を望んでいました。
少しでも好転すればと必死の思いで自分の人生をかけた実験に挑みました。
そしてその実験は着実に、というよりは劇的に、結果を出してくれました。
途中まではそうやって、内面の変化も周辺の変化というはっきりした姿を見せてくれなくては意味がないと信じていました。

それはある側面では正しいことです。
化学変化と同じで、それは厳密に作用し変化するからです。

とても強い負の想念からの出発をすると、私たちは延々と上昇しなければならない錯覚にとらわれます。
そうでなければ帳尻が合わないし、今のこの状況も自分が創っているのだと認めてしまうと、あとどれだけ努力して変わればこの状況は良くなるんだろうという思いがするのはもっとものことと思います。
そういう考え方をする人はだいたいにおいてまじめで、それまでも結構努力をされてきた方が多いものです。

それで、なおさらなおさら、突っ走っていきます。
これくらいの変化なんかじゃ、追いつかない、という気分で。もっと、もっと、もっと、と。

私も、法則を知ってしばらくは、突っ走りました。
恐れが追いついてこなくなるまで逃げ切らなければという勢いで。

もしその頃の私になにか言えるとしたら、言えることが山のようにあります。
その、心の底から、自分を幸せにするために言える言葉を、今はセッションを通じて皆さんにお伝えすることができています。

どんな状況のときにも、私は私なりに本当によくやってきました。
いつも最善を尽くすことに一生懸命でした。
そのすべての時の私に、今はありがとうと心から言えます。
私をここまで連れてきてくれたのは、あなたたちです。
すべての瞬間に存在していた私の思いです。

もし今の私が彼女たちにアドバイスするとするなら、こう言うでしょう。
OK,よくやった。さあ、では立ち止まって。今を感じてごらん。そして感じていることを全部教えて。
そうしているって?本当かな。
じゃあ、こうしてみて。・・・・・

良くないと思えるフィーリングを一人で感じ切るのは難しいことです。
コツも必要だし、なにより恐れがわきます。
そんなもの、なるべくなら一生胸や身体にしまい込んでおいて、墓場まで持っていこう、と、多くの人がひそかに思っています。

でも、そのしまい込んだ良くないと思える、という思い込み(あくまで、そう思い込んでいるのです)こそが、潜在的なエネルギーとなってあなたの世界を創造していくものなのです。

あなたは本当は、世界に向かって、すべての天使と神々に向かって、この大自然と大宇宙に向かって、言い放てばいいのです。
私は悲しい!寂しい!こわい!だから、助けて!と。

そしてやっぱり何も解決しない気がして、丸まって自分を抱きしめて、泣きながら、でも優しい音楽とろうそくのともし火のなかで、あるがままの姿で眠ればいいのです。
そんな夜も世界はあなたを抱きしめているあなたを、その存在のすべてで抱きしめているのです。

本当のフィーリングこそが、私たちのパワーです。
それを感じ切ることが癒しであり、愛です。

私はそうして自分に正直になることで少しずつ、幸せになっていきました。
たくさんの助けを借りながら。
笑顔ばかりは返せませんでした。
それでも。

あるときから、取り巻く状況というのは、本当は全く目的じゃないということがわかってきました。
結果のために努力してきたのが逆転し始めました。
そうじゃなかった、結果と思ってきたのは単なる映し出された背景であり、この自分との深いかかわりだけが本当の目的だったのだとわかりました。

この深いかかわりの中に、宇宙が存在しています。


クリックの応援、いつも本当にありがとうございます。
順位は問題ではないのですが、でも、皆さんの応援がそうしてくださるのだと、今日は嬉しくなりました。

引き寄せの真実

沖縄は沖縄の冬並みの寒さが来ています。今日は日中16度で暖房を入れました。エアコンが聞いた事のないほどの回転音を出して働いていました。これまで沖縄で一番寒くても12度。今年は一瞬11度もあったかな。なんだか異常気象です。おばあの経験値予報はおもしろくて、この時期この気温だと夏はこうだはずよ~と教えてくれます。旧暦をからだで覚えているおばあの天気予報はよく当たります。もっとも春の台風などは福一の放射能の影響だという意見も聞きます。影響がないはずはないだろうな、と思います。

この春沖縄では野菜が大豊作だったようで、買う暇がないほどたくさんいただきました。「おうちで食べるのだから無農薬よ~」がとても嬉しい。農薬についてはアンチエイジングの鬼こと勝田小百合ちゃんが何年も前から訴えてきたことがようやく明るみに出てきました。以前にも書きましたが、「アメリカーから農薬が入ってきてから害虫が増えたさー。昔はいなかったよ」というおばあの話を聞いて、衝撃を受けました。この言葉の意味をぜひ考えてみてください。

もちろん自分と家族や周囲の人の健康は大事。ですが、私たちは健康のために生きているのではありません。生きるための健康です。生きるというのは、意識のことです。

今日はいい動画を見つけましたのでアップしておきます。
本質だと思います。
ただ大いなる意識は流れ込んでくるのではなく、すべてとして在るものだという風に私は捉えています。
http://youtu.be/lJroXtzZBmU
(エイブラハムさんのことはよく存じ上げないので、この方をお勧めしているわけではありません。念のため。)

ところで引き寄せを理解するのはとても難しいことです。
外側が内面の投影であるということを意識していくと、あれもこれも「私のせいなのね」という風に思ってしまう方が多いように思います。
自己意識の浄化への取り組みなしに法則に当てはめて利用しようとするとこのようになります。
自己意識、つまりエゴを解体することで私たちはこの二元性(対極)の存在する世界をレッテルによって判断することなしに体験できるようになっていきます。つまりそれまではすべては良し悪しの世界です。すべては比較対照の対象です。より(都合の)良いものを私たちは好みます。

例えば私は子供のころクレヨンを好きな色の順番に並べていました。そしてしばらくたつと並べ替えをしました。少し経ってみると心の中でつけていた順番が変わっていることを発見したからです。順番はいつも変わりました。でもその価値観を私たちは自分のアイデンティティや性質だと解釈して生きています。自分の評価するものが自分だという感覚です。それで多くの人が「自分の好きな色がわからない」と言って悩んでいます。つまり自分がわからない、という意味なのです。それは自分というものをそのように定義すればそうです。

ここでの色の好き嫌いは、思い込みや反射です。子供のころは、黄土色やこげ茶色の良さはあまりわかりません。味覚でも苦味や複雑な味は好みません。最もこれは毒性を避けるための本能だとも言われています。子供はまず地に着地し肉体を存続することを一義としますので本能の力も旺盛です。ですから毒性を含みそうな味のものを嫌うのです。いづれにしてもこのレベルでの色の好き嫌いを魂の希求だと見るのは間違っています。これはエゴのレベルの記憶による反射でしかないからです。

私は物心ついたときからものの好き嫌いがとてもはっきりとしていました。そしてつきたい職業などもとてもはっきりと意識していました。早くからやりたいことをみつけて、できることを行っていました。結果的に言えば早くから多くの挫折も体験しました。あらゆる可能性を折られてきたように思います。でもそれは人間を体験し知る上でありがたいことでした。

私たちがみつけたいのは魂の希求を実現する方法です。自分のエゴの欲求の声と魂の希求の流れを識別するのはとても難しいことです。時にはまったく何もかも見えないまま、前進するときもあります。それはほとんど停滞にも後退にも絶望にも見えます。でもそれは、なにを基準にしているか、によります。社会的な評価、世間での評判、また自分の美学、自己評価のものさし…しかし自分の価値観だと認識しているもののほとんどはまずは親や身近な環境の影響を無意識的に受け入れたものです。いくら思考のレベルでこれを再評価したつもりでも、思考は比較対照によってしかものごとを整頓できませんから元の基準を否定するか拒否するかわずかながらにずらすか、そんな程度のことしかできません。つまり世界観を実感から変化させるにはこのやり方では不可能なのです。

実際の基準はそこにはありません。そこにない基準に照らすと、停滞も後退も存在しません。ただ私たちが本質の流れを認識できていないだけです。お日さまが雲に隠れるととたんにお日さまを見失うのと同じことです。でもお日さまはお日さまの軌道をきちんと前進しています。魂の動きもそうです。

私は自己意識の浄化が充分でなかったときにはよくよくバランスを崩し、しょっちゅうお日さまを見失いました。というよりほとんどどこで何をしているのかわかっていませんでした。そんな時どうすればいいでしょうか。

みなさんはいっときも早くお日さまの位置と軌道を確認したいと思うかもしれません。でも、心に記憶の残像がいっぱい詰まった状態では、それを見ることは雲に覆われながら目を必死に凝らすこと似ています。疲れるし怖いし緊張するし、疑心暗鬼になってろくなことを考えません。その時に浮かぶ考えはほとんど取り越し苦労で誤った思考、誤解だらけなのです。

こんなときに私を支えたのは全体の仕組みを知ることで、実際に自分には見えなくても、神の目線で目測を立てることでした。つまりそれは、霊的な理想を持つということです。それから、その仕組みが働く力、つまり原理を信頼する努力をすることです。これは具体的には心の態度と祈りがそうです。そして、そうしつつ、できることとしては内面の浄化に励むことです。これはヒーリングや瞑想(ヒプノ)、内観によります。そうしているうちに、目測が事実とだぶって、それが真実だったという現実に出会って生きます。これが本当の意味で人を満たす引き寄せです。

いつしか一生懸命に目測をたてる必要がなくなり、信頼という平安の中で、今を本当の意味で楽しめるようになります。つまりすべてが引き寄せであり全てが導きであると実感できる状態です。

内面の旅は私たちを即座に幸せへと向かわせてくれます。ですがそれにはダイナミックな変容のプロセスが伴います。人生をかけるに値する旅です。ですから私は、幸せという目的のためには地球の裏側に行ってインディアンに会うのではなくて、今ここで、ここにある入り口(こころ)を掘ることをお勧めします。幸せ、天国、平安、平和、愛という人間の魂の希求する聖地への道はここに準備されているということに気づき、気づいた人からはりきって掘ってもらいたいと願っています。