今の私にできること、宣言。

P1000006熊本の震災におきましては、他人ごとではない感覚を痛烈に感じております。
SNSでは関連のつぶやきが必然的に増えてしまいます。

今日本の政治が国際社会の中でも非常に劣った、醜い状態にあります。
経済一辺倒、と言われながらその経済も立ち行きません。
一体リーダーは私たちをどこへ連れて行こうとしているのでしょうか。

まずどうしても今言っておきたいことがあります。
これまで生きてきて、これほど軽く扱われた災害があるか、
と、私は感じています。
少なくとも政治的リーダーは、こういう時には血相を変えて、
威信をかけて臨む姿勢を示して来たのではないでしょうか。

もしこれがやむを得ない国家の現状を表しているのだとすれば
日本は本当に来るところまで来てると言わざるを得ません。

震災のどさくさの間に国益とは程遠い(と私なら考える)法案が通ったり
増税もやる、TPPの中身はこんなだった、と、
もはや、誰のための何のための政治なのか、道理を外れている。

しかしながら戦争法案が通った時点で、
国家はそっちに向かってまっしぐらなのは当たり前です。
戦争の前に人命の尊重や個の財産や権利や、
人間の尊厳が損なわれるのは当然のことで
今繰り広げられているのがそのままそれなのです。

いろいろな人が善意を持って関心を示し向き合い闘っているけれど、
私たちはこの流れをもはや止められないかもしれない。
普通に考えたら、止められません。
普通に理性を持って止められる時期は過ぎました。

私たちの世代は平和と物質的豊かさの恩恵の中で育ち
無残にもその尊い土台をぶち壊し、
多大な犠牲とともに失うことでしょう。
とてもいやですが、その流れの行方はすぐ目の前まで来ている。

でもいつかは必ず、その濁流は収まります。

多大な命や個々の想いや美や希望や信頼や誇りや何かを
すっかりその濁りの中に混乱と混沌とともに見失っても。

次の輝きを、
生きている間に見ることは不可能かもしれない。

私たちは経済と物理的発展に目がくらみ
利己主義のために周囲の多くを犠牲にした、
恥ずべき人類として
歴史に記されることでしょう。

たとえ私たち個人が権力やリーダーの犠牲者だとしても、
その汚名を逃れることはできません。

しかしそれでも
それが時を超えて
人類の礎として
たとえひどい反面教師の衣を着てでも
時を超えてしっかりと学び取られるのであれば
それは喜ぶべきことでしょう。

人類はそうやって少しずつ少しずつ
これまでも前進してきたのです。

嵐の濁流が去ったあと
静かな流れの底には
美しい砂粒が残ることでしょう。

その砂粒は
私たちが何を失おうと失われなかった
魂の輝きです。

何が起ころうと、
どのような汚名を着ようと
どのような物語に巻き込まれ
歴史に翻弄されようと

私たちの肉体がすべての物語とともに
出番を終えた後
この美しくきらめく
砂粒を残します。

それは、希望です。
それは、進化です。
それは、命の本質です。

私はその砂粒を湛えた、生命です。

その砂粒から絶えず送られるきらめきが
内なる声として私にささやきかけます。

生きなさい、と。
すべてを観なさい。
聴きなさい。
味わいなさい。
知りなさい。
考えなさい。
苦しみなさい。
そしてそれらのすべてを感じ切ることが
楽しむということなのだとみいだしなさい。

この肉体の目でそれを見たいという欲も
もはや手放した。

ただ信じることを言う。
平和を達成することが、私たちの進むべき道だ。

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