おとといから夏です。

みなさん、こんにちは。
いつもAZU WORLDをご訪問くださりありがとうございます。

沖縄、おとといから夏となっています。
昨日のお休みは今シーズン初の、ビーチランチ&コーヒー&散歩&ヨガ&瞑想+わんこ
を、楽しん来ました。

いつもながら、ランチは夫が作ってくれます。
卵とツナとオレンジクリームチーズの三種のサンドイッチ。

準備ぜーんぶ整えてくれて、私はご招待状態(笑)
昨日はコーヒーだけお手伝いしました。が、

夫だと2種類の豆で淹れてくれるところ、
おおざっぱな私は一種類どーん。しかも、
量も足りな目。だんなさんごめん。

夏になると俄然沖縄の空と海の色は輝きます。
きれいなものを見るって、それだけでエネルギーが変わりますね。
良いものに触れるって大事だなーと思いました。

少しでもお裾分けできたらと思い、今日は写真アップしますね。

いつもお散歩する知念のビーチ。誰もいません。
いつもお散歩する知念のビーチ。誰もいません。
空、すごくなってきました。
空、すごくなってきました。
満潮時は海底です。どんどん進む。と、
満潮時は海底です。どんどん進む。と、
振り返るとこんな。パラソルほとんど見えません。
振り返るとこんな。パラソルほとんど見えません。
ついに最先端へ。離島並みにきれいです。
ついに最先端へ。離島並みにきれいです。
どこへきちゃったんだろう?
どこへきちゃったんだろう?
ガラ携のカメラの限界(笑)
ガラ携のカメラの限界(笑)
正面にある点はクマカ島です。
正面にある点はクマカ島です。
さんごのあかちゃんも育っています。がんばれ!と声がけ。
さんごのあかちゃんも育っています。がんばれ!と声がけ。
おかあさんも大冒険。
おかあさんも大冒険。
久高島でいただいたカジキとクレソン丼。これも夫が。あれ、私料理してないわ。
おうちに戻って晩ご飯は、久高島でいただいたカジキとクレソン丼。これも夫が。あれ、私料理してないわ。
だけど、シャンプーは私ががんばりました。きれいな間だけ、お部屋で一緒。
だけど、シャンプーは私ががんばりました。きれいな間だけ、お部屋で一緒。

御清聴?ありがとうございました^^

 

こんな感じでいつも考察と創造をします


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季節外れな話ですが、沖縄で、沖縄の台風を体験したらこれまでの台風観はまったく変わってしまいました。生まれも育ちも東京都。一度だけ、一度きりしか行ったことのない屋久島で、滞在期間の半分以上台風に見舞われたことありました。主人と一緒に初めての旅行だったのかな、主人のお友達夫婦が移住した先に泊めていただき、そこでの体験が人生で最も激しい台風でした。

築100年の古民家に住まわれていて、雨戸閉めきって、電気が止まり、3日目に水道が止まって床下浸水が始まって、もうどうしたらいいのかわからない・・・というところで過ぎ去ってくれました。確か風速が35メートルだったかな。主人と友人だんなさんはその中歩いて海まで行ったんです。なにも知らずに。そういうことして命を落とすってよくある話しですからとても怖かった。唯一その帰りを待つのが一番怖かった記憶です。

戻った二人は顔色が若干変わっていました。本当に身の危険を実感した。もうしない、と言っていました。それで済んで、そしてそういう学習ができて本当に良かったと思いました。

そして沖縄。風速70メートル、ということが起こります。最初の恐怖体験は豊崎のマンションでした。埋立地で背の高い建物だったので、普段から風が強かった。台風が近づいてまず停電は当たり前。まったくぬかっていたのだけど、水道も同時に止まりました。そうだった。もちろん電話も。そして、船のように家がずっと揺れます。通気口から風が音を立てて出入りします。竹の笛がずっと鳴っているみたいな音です。夏に締め切るので、蒸し風呂です。窓のサッシから水が浸水しますから、塞いだタオルを絞ったり取り替えたり、重病人の看病のようです。車での買い出しも出遅れました。車は風でひっくり返されるものです。➖知り合いの奥さんは本当にひっくり返されて浸水して出られず、電話も止まり、直感で探しに出たご主人に救出されたそうです。➖ 我が家の駐車場では追突事故が起こっていました。無人の車でです。うちのはサンバイザーの部分が剥がれただけでしたが、整列していた車が一方に寄ってグチャグチャになっているのはぞっとします。窓ガラスが割れるのでは、というのが一番ヒヤヒヤしました。同じ建物ではなかったですが、後から「うちの建物では割れました」という実話も伺いました。

台風が去ると、今度は家周りに水を撒かなくてなりません。塩害でサビやら酷い劣化につながるのです。とにかく風が当たるところはみんな。それから、外にあるものは家に入れたり(鉢植えなどもみんな)縛ったり、今は家の窓の外にネットを張ったりしますので、準備も復旧作業も1日仕事になります。沖縄の人はここがものすごく手早いのです。私もものすごくがんばらなくてはなりません。

車も洗車渋滞が起こります。植物も枯れます。これがとてもショッキングでした。風で街路樹が倒され折れてしまう様も悲しかったですが、海岸では風に吹かれた砂が樹の皮をずるっと剥いてしまうのです。それから台風が去った後、徐々に木々が枯れていきます。山がどんどん赤茶けていきます。これが塩害でした。新しい東屋の柱や壁もものすごい劣化です。こういうのは目の当たりにしないと想像がつきません。それから、沖縄南部は農業が盛んで、その恩恵にいつも感謝していますが、その農産物の被害がものすごいのです。数十億円という単位での損害が出ます。これはとてもショッキングです。この、こういうことがショッキングであるという感覚も、東京で暮らしている時には体験したことがありませんでした。

東京は日本の中心、情報の中心でありながらあらゆることはとても遠いところで起こっているという感覚に取り巻かれる気がします。食べているものを作っている人の顔が見えない。すべては【どっかで誰かがうまくやってんだろ】➖昔そういうCMありました➖というふうになるのです。

沖縄にいると、すべてのつながりが身近に見えてきます。1つ何かが起こるとその連鎖は観察していれば身近に実感できます。例えば選挙とか、基地とか、野菜とか、農薬とか、景気とか、魚とか、海とか、空とか、PM2,5とか、戦闘機とか、見回して目についたことを観察しているとあらゆるつながりが感じられます。

さて、今日の話しは、これがテーマではありません。私は台風について考えています。この台風を、私はどう捉えればいいのだろう、と。今しばらくお付き合いの程を。

ずっと以前に、村上春樹のエッセイで読んだフレーズを私はよく思い出すのです。ギリシャの島では、毎年台風で石垣が破壊されるが、それをまた同じように手作業で復旧する。何度でも、何度でも。日本では、壊されない何かを開発していく。でもギリシャのこういうやり方が日本には失われているのではないか、という論旨だったと思う。この意味はとてもよくわかる。沖縄の美しさの部分は圧倒的にこのようにしてしか残されないだろうと思う。

しかしそもそも台風はなぜ存在するのだろう。私はこの破壊力は人間界の戦争に似ていると感じる。この一瞬で奪われる命とエネルギーの多さに私は呆然としてしまう。台風のあとはしばらく生命力が奪われ若干虚脱してしまう。多くの敏感な人は気圧のせいだと思っているかもしれないあのなにか脅かされる感じは、エネルギーの次元ではやはり、暴力的な破壊力に細胞や意識レベルでダメージを感じているのではないか、と私は仮説してみる。というよりそう感知している。

意識界では地震について、極端なエネルギーの溜め込みや偏りをこまめに浄化、バランスすることで小さく頻発させ大地震を回避できると考えられている。台風も同じ原理ではないか。人間の感情についてはまったくこの通りだ。

台風が自然界に絶対必然のものであれば、私たちは起こるべくして起こることに対処することを学習するしかない。しかし、台風がそもそも過剰なエネルギーの沈滞や抑圧に対するバランス現象であるなら、エネルギーの次元で意識的に働きかけることで結果を変えることは、自然に付加をかけるようなエゴ的行為にならないはずだ。

同じ原理で、私は人間には戦争は不要となっていくと確信できる。多くの人が過去から推察して、また現在の自己意識の結果として、戦争は人間にとって避けられないものだと認識しているだろう。だから現時点で戦争は存在している。その存在が消えたことは有史以来ない。しかし本来の仕組みはそうはなっていない。

私たちはエネルギーによって存在し、そして変化を遂げる。私たちは進化する。創造する。意識によって。その意識の源を神と呼ぶなら神のみこころに沿って、私たちは出現し続ける存在である。

もし、ひとりひとりのすべてが武器を置くという選択を今する意識状態に至れば、武器は消滅してしまう。それは難しい、と思う人がいるならその人が意識を変える手助けをすればいい。私は、私自身の自己意識を浄化しバランスし続ける。そして内なる神を求め続ける。そして願わくばそれに出会い続ける。難しいと感じている自分が訓練によって、体験を重ねることで難しいことも難しくなくできるようになった時、初めて難しくなくそれを伝播することができる。自分に難しいことを人に強要することはできない。私にとって、愛であること、愛をもって伝えることが難しくない、易しく優しいことであるとき、それは難なく実現する。それは毎瞬の意識的選択と、愛のためにのみ存在する神の愛を求める意志によってなされる。

台風がまずは沖縄から消滅することを私は神に願ってみようかと考えている。そのために神から求められることはなんだろう。それを受け取ってみよう。人間が本当の平安と愛を自己のうちに実現する道の創造のひとつのしるしとして。

人生の問題を解決するとき必須なもの

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沖縄で暮らしてまる6年になろうとしています。
最近、主人と車の中で(車の中でいろんな話をします)
「沖縄に来て本当に良かったと思う」と私が言うと
「もしかして俺たち、沖縄でなければいけなかったかもしれないと思うよ、最近」と主人から返ってきました。

沖縄へ来てしばらく経った頃には
「どこで暮らしても同じなんだ、要は自分」と学ばされましたが、それも踏まえた上での会話です。
どちらも本当のこと。

沖縄でよく思うことは、人ひとりの想いのちからの大きさ。
沖縄のお天気は行事に強いなぁ、と思うことが多いのだけど、大事なときにはよく、天気予報を無視して晴れる、とか。
大事な時っていうのが例えば、子供の日とか、運動会とかだったりして、私はよく、おばあが孫たちのために心込めてうーとーとー(お祈り)してるんだな、と感じるのです。

私はまじめにそう思うのですが、ここで多分、沖縄の人がこれを読んだら、そうねー、普通よーっていう感じに受け取っていただけるんじゃないかと思います。やまとぅーにはもう少し遠い感じの話に聞こえる気がします。

東京育ちの肌感覚では、例えば、祈るのは最後の手段、という感じがあります。
ですから、何か問題があるときの解決策にはまず合理的手段を探すのが当たり前という感覚です。
体調を崩したらまず病院に行く、というような。当たり前ですよね。

でもこちらでは「病院半分、ユタ半分」という言葉があって、体調の不良も、エネルギー的な不具合かも、という視点で考えるのは普通です。
私はユタさんの言い分がすべてとか絶対とは思いませんが、最初にエネルギーありき、というのは本当だと思っています。

「エネルギー」というのは、人間において言えば、「心」が放つ「想念」の波動がもっとも直接的で影響力があると思います。
いろいろな意味で、沖縄の集合的な世界観は形而上学的に科学的で理にかなった点がとても多いのです。誤解や迷信的な部分が付随していることはありますが、人間が霊眼を一時的に見失ったとしても、再度見つけることができるように形式化されて伝統的に引き継げるように工夫がしてある部分に感銘を受けることが多いのです。

日本人は第二次世界大戦の敗戦のあと、神を封印し、経済を崇めました。
その影響下で育った多くの人は、顕在意識(合理的思考)によってものごとは片付き、人間は発展する、と認識してきました。
でも実際、合理的思考によって解決できるのは瑣末な部分でしかありません。
それはあくまで補佐的に働くちからです。言わば交通整理です。
交通整理で衝突事故を緩和することはできます。
でも、ゆくべきところをみつけることはできません。
ゆくべきところをみつけるのは、私の魂であり、意識であり、存在のちからです。

ゆくべきところがみつからないまま、私たちは交通整理に必死になり、交通整理に人生の時間を捧げます。
より快適に、よりスマートに、を求めて。
そうしていればそのうち、ゆくべきところがみつかるだろう、その先に幸せがあるのだろう、とぼんやり考えながら。
このことは一般に「意識の高い」と言われる人々の中にも多く見受けられます。
しかし、本当にそうでしょうか。私は違うということがわかりました。

もしそういう行為の滑稽さ不毛さに気づいたら、私たちは自己を見直す必要があります。

祈りと瞑想は、私たちが魂と、意識と、真の自己存在と再会するための唯一の方法です。
ですから基本的に、対処と祈りでは、祈りが先です。
そうすれば、対処が実を結びます。
対処のとき、間違った選択(誤解、混乱)を選ばずに済みます。

神というあまねく照らす光にまず介入してもらって、事の様相をはっきり見せてもらうのです。
それから落ち着いて対処することです。
そうすれば、人事を尽くして天命を待つ、という心境にもなれます。

盲目のまま対処に明け暮れ、デタラメに走り回って、「どうして着かないんだろう」とか、
あるいは神がいればきっと着かせてくれるはず、というのも、人間の都合のいい考えです。
それはきちんと依頼せずに、あわよくば恩恵に預かろうという考えに似ています。

きちんと依頼する、というのは、とても大事なことです。
その対処にも自覚を持つことになり、またそこから来た結果をもしっかりと受けとめることにつながります。
結果的に、責任感と感謝にもつながります。

逆説的ですが、よく考えればこれは当たり前のことです。
最高司令官に監視を依頼している、と、イメージしてみるといいかもしれません。
そうすれば自ずと自分の行いも認識し、自覚と責任を持つようになるという感じです。

人間には、思考と想念という、使い方に注意が必要な強大なパワーを与えられています。
神によく話しかけ、助けてもらいながら、最善の使い方をみつけ、施行するという責任があるのです。

沖縄生活アルバム。


1日1クリックの応援、本当にありがとうございます。
今日も幸せです。

沖縄はもしかしてこのまま梅雨にはいっちゃうのかな~という感じの空模様です。
写真はそうなる少し前の休日。みいばるビーチの食堂かりかで本格キーマカレーをいただきました。
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そしてこちらは垣の花をお散歩していてあまりの見事な咲きっぷりに心惹かれたブーゲンさん。
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このお散歩の目的はこちらのヒスイカズラ。あるお宅がお庭解放して見せてくださるのですが、昨年偶然発見して今年もおじゃました。
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すごくないですか?この色とかたちと。
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10年位咲かなかったとおっしゃっていました。もとは一本の木ですが果樹園のようになっています。
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さらに別の日。これは近所のお散歩コースです。
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好きな木。紋羽の木というのですが方言ではハマスーキ。この木で糸満の玉城さんが作ったのが最初の水中ゴーグル(みーかがん)だそうです。
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まるでプライベートビーチのようにひそやかな楽園。
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そしてどうしても流木を拾ってきてしまううちのヨガダンナ。奥さん大変だね~とご近所さんに笑われました。
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これは先日初めて作ったスコーン。クラッシュアーモンド入り。おいしかった。
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ので、味をしめてリピート。今度はレーズンとカシューナッツ入り。
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それから最近、みょうがの苗が買えることを知り
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根っこみたいなものをホームセンターで買って、プランターに。
今は写真よりだいぶ育ってます。
収穫は9月だそうですが、できるかな。
今日はこのへんで^^

私たちはひとつからやってきた魂。


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本当にありがとうございます!

沖縄はめっきり春めいてきました。沖縄へ来て丸5年が過ぎ、沖縄で初めてセッションさせていただいたお客さまがぴったり5年後の先日、また東京からいらしてくださいました。とても感慨深いセッションです。

常々思っていますが、セッションにいらしてくださる方は私の人生をも作ってくださっています。私の魂に導きと気づきと喜びをくださいます。自分の人生に輝きと意義と美しい景色を与えてくださいます。人生にはいろいろなことがありますが、魂同士のふれあいというのは地上の時間を超えて宇宙の記録として刻まれるということを改めて実感します。

こういう魂の連帯というのは本当にあるものなのだと思います。そうして触れ合いながら互いに化学変化を地上にもたらし、人類の希望を紡ぎだしていくのです。

この5年の間、長くおつきあいくださる方がとても増えました。セラピーを知らない方から見るとセラピーに行くのは病んでいるい人だと思われているかもしれません。実際そんな声も遠巻きに耳にしたこともあります。けれど本当はそうではありません。私のセラピーに関して申し上げれば、人間と自己を探求するという、人間として王道の道にある方こそがいらしてくださっています。苦しみとはその道へいざなうひとつの導きだと今では確信しています。

長くおつきあいくださる多数の方がここ最近になって、昔の痛みを再体験したり、停滞にあると感じていらっしゃるようです。こういう時は集合意識全体で何か取り組みをしている時です。水面下では必ず成長の準備が行われていて、大抵それは後でわかります。

「AZUさん、なかなか進まなくてすみません。こんな私に根気強く付き合って下さりありがとうございます。私だったらとうに自分に嫌気がさしてます」というような言葉を何人もの方から同時期にいただき、これはただごとではないと感じました。

そういう時には、私自身も自分のこととしておなじような心的体験をしています。痛みの度合いなどはそれは以前とは比にならないほど微細ですが、それでも何かに縛られて進んでいないかのような幻想を見せられることがあります。

けれど私はそのことを調子を崩したというふうには見なくなっています。その時は「なんとかしなければ抜けられない」とじたばたするのですが、結局は時期がくるとふっと気づきがあったりしてそれを通過します。そして後から振り返ると、その時期の学びは大きく、後でそれが役立つ場面に必ず遭遇します。同時期に同じような心的体験をしている魂の仲間がいるというだけで、その体験は貴重な何かなんだろう、というふうに思えてきませんか。これは創造のプロセスと同じです。「自分が悪い」わけではありません。

こんな時期に同じようなテーマを持っていらしてくださった方のセッションで、(実際テーマがブームのように重なることはよくあります)例えばご一緒にテーマを解体し乗り越え、自己意識のヒーリングや、ヒプノのワークで浄化をすると、私まで一緒にクリアになります。その時、魂みんなで協力して取り組んでいることがよくわかります。そして改めていつも「肉体は別々でも意識の深部はひとつ」ということを実感します。自分を癒やすことは等しく他者を癒しますし逆もまた真なりです。

私は昨日ある段階を超えた感触を得ました。みなさんはいかがですか?

2013年 久高島の神気をどうぞ

沖縄開闢の地といわれる神の島 久高島に今年もお正月2日に詣でることができました。

風間家の弟Jくんが夏に続き、我が家へ単独リトリートツアーにやってきました。

だんなさんと弟くんが真剣に瞑想と祈りについて問答している姿は、不思議な縁を感じさせます。

 

今回は久高島で3人で瞑想しました。

当然のようにあっという間にどーんと内なる神に出会える感謝に満たされます。

最高の瞑想で新年を迎えることができました。

「感謝できるということが幸せ」「瞑想できることが幸せ」「そう言い合えることが幸せ」というのが正直な感想です。

ご自身という無限のすばらしい存在と触れ合うすばらしい時がみなさんに多く訪れますように。