眠れぬ夜のメッセージ

もしあなたが望まないあなたの心と出会い、それを変えたいと願ったのなら、
あなたはその心と対等に戦わないでください。
押しやったり無視したり叩きのめそうとしたりせず。
攻撃された心は、
傷つかないためにますます防御を強め、あなたを攻撃してきます。
結果あなたの敵は強くなる。

もしあなたが想像し得る最高次元の神さまならどうするだろうと想像してみて。

私はこんなふうに想像する。
神さまは無限に赦す。無限に受け入れる。無限に助ける。無限に与える。

「無限に」は真似できないけれど、その特性を真似てみる。

望まないあなたの心、例えば嫉妬とか頑ななプライドとかひねくれちゃった心とか。
それを自分から追い出したいとき、手放したいとき、
赦す、受け入れる、助ける、与える、を自分に対してやってみる。

そうだね、そういう気持ちってあるよね。
そういう状況ならきっとそうなるよ、あなただけじゃない。
ひとりで苦しむ必要はないよ。
でもそうやって、良くない思いと闘うことは大切。
でも闘いすぎると疲れてしまうよ。
疲れると人間はどんどん攻撃的になって、
周囲かあるいは自分を追い詰めてしまう。
そばにいてあげるから、少しおやすみ。
大丈夫、休息すれば本来のあなたに戻れるよ。

どんな自分になりたいか、理想を持っている人ほど
自分の中の低次元な思いを許せずにいます。
でも許さなければなお低次元に陥るのがこの世界の法則。

人間の意識は固定されたものではなく、
気分と同じで上がったり下りたりする波そのもの。
その波が周波数を作り、エネルギーを生み出す。

波に逆らうのではなく、
波を読む視野を持つことが自分をよく知るということです。

神はあなたのすべてをよく知っています。
しかし神はあなたのどのような部分にもとらわれず、
本当のあなただけをよく見ています。
本当のあなたというのは、神と同じ質をしたあなたの魂です。

波を追いかけたりしがみついたり捕まえて変えようとがんばったり。
人間がやっている努力はそんなやり方。

でも本当のあなたは波の中にはいません。
追いかけたりしがみついたり捕まえて変えようとがんばることを退いて
すーっと神さまのいるほうへ近づいて
そこから波を心の眼で捉えると波が理解できます。
そしてその瞬間、あなたは波ではない。
波の中にはいない。
波を捉えているのがあなたになります。

自分取り扱いマスターになる

『自分を愛しましょう』すべてはそこから始まります。
そう言われて最初から、そうか、それだ!と理解できる人がどれくらい地上にいるでしょう。

それが正しいことはなんとなくわかっている。でも具体的に何をしていいかわからない。
それが多くの人が抱く、その命題に対する反応ではないでしょうか。

愛はあらゆる段階と次元に存在しますので、この方法が正しい愛の表現、というふうにはなりません。
時に厳しく時に優しく、と言いますが、さらに多様です。

もし適切な愛を知りたいのであれば、まずはそれを注ぐ対象をよく知らなければならないでしょう。
つまり自分を愛するのであれば、自分をよく知るというところから、愛のレッスンは始まります。

そのように関心を持つ、という段階がまず初めにあります。

自分の状態がどうなっているか。
まず最初の大きな難関です。
なぜなら、自分との親密な付き合いが手つかずの状態というのは、荒れ果てた庭、まったく手入れの行き届かない家屋のように、とても好きにはなれないしろものだからです。

自分を好きになろうと思って始めたのに、見ようとすればするほど好きとは思えず、もはや手遅れなのではという絶望感さえわいてくる、という事態に出会うかもしれません。

そんな思いをするくらいならいっそ、自分の中身なんか気にせずに、外側をなんとかお気に入りのもので固めて手に入れたいものを手に入れることに集中し、嫌悪なんか感じないで済むように自分を駆り立てて生きたほうがいいのでは・・・そんな風に思う人も多いかもしれません。
『そのほうがポジティブなのでは?』と。

しかしそんな努力と成果は長く続くものではありません。少し突っ走ってみれば、その効果が持続可能なものではないとわかります。
手を変え品を変えてもその効果は歳月とともに薄れていくものでしょう。麻薬のような麻痺という働きをするものはみなそういうものではないでしょうか。

しかしこのような一時的な興奮を、幸福だと勘違いしてしまうことはとても多いように思います。
『あの時の調子のいい自分を取り戻したい。』とおっしゃる方はたくさんいます。
よくうかがっていくと、それはある意味旅行ハイ、恋愛ハイ、成功ハイ、達成ハイのような状態です。
ずっとそれで行きたい、と願うのは、麻薬中毒でいたいという気持ちと似ています。

私たちはどうがんばっても、恒久的には『愛』によってしか満たされることはありません。その欠如を何かしら別のもので麻痺させようとまい進するのが、欲望主体、つまり肉体主体の人生です。

愛の欠如を肉体は、何かをゲットすることで埋めようと努力します。
しかし愛だけはゲットすることでは体験できないものなのです。

人間は高度な生き物です。肉体以上の生き物です。
ですから、肉体以上の体験を求めます。
肉体以上というのが、内面的な充足、つまり幸福です。

しかし肉体の生命力というのはとてもパワフルで、その幸福すらも、ゲットによって満たされるのだと誤解しすり替えてしまいます。
このすり替えが私たちに混乱を起こしています。

自分をよく知り、自分の正しい取り扱いに取り組むにつれ、そこに愛情が芽生え、本当の信頼感つまり自信が生まれます。
それが、地上に安心感を築くことです。
安心は外堀をいくら固めても中心に構築されない限りは暫定的で仮設的であるにすぎません。

自分を知る最初の段階で出会う絶望的な荒れ果てた庭を見てひるむ気持ちは私もよく知っています。
自分の人生の処し方、選択のすべてが間違いで、それらの結果が今のこれだ、もう取り返しがつかない、と言う気分です。

しかし、内なる世界と物質次元の一番の違いは、気づきさえすれば、そこに光さえ当ててあげれば、変化は一瞬だということです。
やらなくてはならないのは、その変化をゆっくりと肉体に覚えさせてあげることです。
それはまるで、子育てや犬の訓練と同じです。
やらせる、できたら、ほめる。この繰り返し。

ここで多くの人が(犬の訓練と同じで)うまくできないときに自分の頭やしりをたたいてしまいます。
でも、とにかく成果が早いのは、できるように自分を仕向けて、できたらほめる。どんな些細と思えることでも、です。

『そんなこと、誰だってみんな、当たり前にやっていることでしょ?』という概念を捨ててみてください。
多くの人が、幸福というものに対してそんな見方をしています。

でも、それは極めていいかげんな概念です。
『絶対に本当ですか?』と問い直すまでもなく。
そんないい加減な概念のために、あなたの輝いた世界をくすませる必要はありません。

他人や世間という、本当は実態のないデータと自分を比較して自分を罰して調教するのをやめることはとても重要です。
毎瞬、新たに生まれてくる新しい自分と出会い続けること、それが本当は人生です。

目覚めというのはそういうことです。
これらのすべてを管理し見守り助けてくれるのが、あなたのハイヤーセルフであり、内なる神です。


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