傷つくことが教えてくれるだいじなこと

傷つくとはすごいことだ。
傷つきだけが純粋に心の存在を私たちに認知させる。

苦難も喜びも、たいていのことはその原因を外側にあるものと想起させるけれど、傷つくことだけは心の問題だとしか言えない。

本当はすべてが心の問題だけれど。

傷つくとき、私たちは愛の不在や欠如を感知している。
私たちはいつも本当は愛の不在と欠如を恐れている。
そして不条理なことに、その恐れだけが愛を覆い隠す。

最初、それは相手のものだと思う。
次にそれは自分のものだったと気づく。
そしてそれはすべての人とその関係のなかにあるものだとわかってくる。

そうなってくると初めて赦しにたどり着くことができる。

「傷つくならばそれは愛ではない」
その言葉が何度となくわき上がってくる。

その言葉にすら傷つく。

傷ついている時点であなたには愛がないのだと言われている気がする言葉だ。
傷ついている人に向かってなんて冷たく厳しいのだろう。

傷ついているとき、あなたは愛を求めているのだ。
なぜなら、それが欠如していてそれを必要としているという、心からのお知らせだから。

傷ついたとき、相手があなたを傷つけているわけではない。
ただあなたが愛を必要としているのだよ、とその痛みはあなたに教えている。

だから、相手からそれを奪い取ろうとか恵んでもらおうとか、
謝罪させようとか認めてもらおうという考えはいったん捨てて
まず私が私のめんどうをみよう。

自分が自分を愛するところから始めよう。

めんどくさい、と感じる人は多いだろう。
誰も、自分が思い通りにならない厄介者だと、多かれ少なかれ知っているはず。

でもそうやってほおっておかれておとなになったつもりで、いくら社会人になったところで、私たちは人として熟してはいない。

もっとわがままでがんこになって、だんだん忍耐力がなくなって、そしてだんだんあきらめていくものだ。

年齢を重ねて熟して美しくなりたいなら、自分の内側にクリアなスペースを築いていくほかに道はない。

力んで他を寄せ付けない努力は、10代に似合う。
20代まではそれも美しい。
自分育てはそれから、かな。


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