美しいものを美しいと感じるこころ。


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10155032_489116214550924_4430481331966526896_n主人が撮影した桜です。

先週末は家族の所用で東京に行きました。普段離れているので家族とみっちり過ごしました。全員とそれぞれ話す、ということができたのは初めてのことかもしれません。とても大きな仕事というか、人生における大事なミッションを遂行したような充実した気持ちです(笑)。

人生において家族というものがこんなにだいじなものだということが実感としてわかるようになったのはやはり自分が家族を創るようになってからかもしれません。

今回は調布、狛江に泊まったのですが、ふるさとの美しさを再認識することもできました。

私は22歳で家を出てから狛江という場所は居心地が悪く、間で2年住んだこともあるのですが、意識の中ではそこにいなかったように思います。実家に帰るというようなこともほどんどありませんでした。あまりにしんどいことばかりあったので、行くときは体調を崩す覚悟で行かなくてはなりませんでした。

高校時代(都立狛江高校)はとても苦しく、今で言えば鬱状態で、身体もいつも極度に具合が悪く、成績も入学当時はトップクラスだったのに最後は真ん中以下に下がりました。大学に入れたのが奇跡的でした。最初の頃の成績の良さが貯金になって、指定校推薦の枠をいただいて入れたのですが、貴重な枠をいただき玉川大学の演劇専攻に行けたのは私の人生でももっとも幸運なギフトのひとつです。3年で中退してしまいましたが、その後の人生を大きく支えてくれた宝物です。今となっては本当に感謝しかありません。担任だったしゃくちゃん(顎がしゃくれた数学の先生)にもまったく心を開かず困った存在だったと思いますが、よく最後まで面倒をみてくださったと思います。

狛江高校は私の心さえ乱れていなければ理想的な環境でした。まずなにより多摩川沿いにあるのです。窓の景色は広々とした河原です。母校の狛江2中から大勢が進学し、付属2中などと言い合ったりしていました。当時の学校のランク付けより実際のほうが優秀で、先輩方はスマートで洗練された印象でした。

規則にがんじがらめの中学から一気におとなの世界に行ったようで、先生も生徒を信頼していて、細かいことで注意を受けることなどありませんでした。一度、多摩川の土手でタバコを吸っていた同級生が見つかった時は担任のえーっと、名前をど忘れしましたが、顔を覚えているのに。いい先生でしたが、涙を浮かべて、信頼を裏切らないでほしいと訴えておられました。そういう規則違反以外は本当に自由で、昼休みにはお弁当を持って多摩川に行き、はたのさんという文具屋さんですももキャンディーやチェリオのジュースやアイスキャンディーを買ったり、男子の間では狛江の駅前まで自転車で走り、都堂のみやこ焼き(今川焼きです)を買って食べるのが流行ったりもしました。知っている人はなつかしいでしょ。

近くの土手には古い松林があり、桜並木があります。五本松と呼ばれ、当時の時代劇の撮影にはよくよく使われていました。それくらい古い感じが出ていて、周りに建物も映らない環境でした。

1年生の時は同級生が亡くなるということがありました。元々長いこと病気だったので、身体も小さくて色が白くて静かな男の子でした。死というものを身近に感じたのはそれが初めてでした。1年生のときの私はまだ学級委員をするほど元気があり、連絡網の最初だったため担任の先生からうちに電話がありました。地面が崩れるほどショックでした。先生も泣いていました。一緒に泣きました。(どうしてこの先生の名前が出てこないんだろう。しゃくちゃんよりもうんと仲良しだったのに。)

終業式の時など、アメリカ映画の卒業式のような感じで、クラッカーを鳴らしたり歓声が上がったりする不思議な校風で、先生方も笑顔でした。そして、これだけは当時の私も気に入っていたのが、この学校の校歌です。

先ほども、狛江の情景を思い出しながら口づさみましたが、本当にその情景そのもののような見事な描写です。当時の音楽の先生も芸術家で、校歌の素晴らしさをよく語っておられました。まず、この校歌には学校の名前が入っていません。そして、和歌になっていて、一番と二番の間に反歌が入ります。歌詞、曲ともに雅やかです。

1.多摩川の堤のほとり
朝日さすわが母校
風わたる銀杏(いちよう)のつらなり
中洲(なかす)めぐりたゆたふ水に
いにしへを想うひととき
老い松はきのふを語り
葦(あし)のはら明日(あす)をささやく
ここ狛の里
青春のわがふるさと

2.武蔵野の西なる野辺に
入り日燃ゆわが母校
目路(めぢ)はるか富士の夕かげ
雲の色は川面(かはも)を染めて
水鳥の憩(いこ)ふひととき
語りゆくわれらが胸に
新しき明日は宿(やど)らん
ここ狛の里
青春のわがふるさと

反歌(歌う時は1、2の間に)

高麗(こま)びとの伝へしわざをうけ継(つ)ぎて
あづま少女(おとめ)は布(ぬの)さらしけり

作詞 坊城俊民
作曲 田崎篤次郎

歌詞からもわかるように、ここ狛江(こまえ)市は古くは高麗(こま)から流れ着いた人が暮らしていて、布を織り染色をして多摩川の水でその布をさらしたという歴史があります。それで隣接する調布市には染地(そめち)という名がついています。美しいですよね。

当時は咲き乱れる桜さえも憎らしく感じるほど私の心は乱れ塞いでいました。美しいものを美しいと感動し感謝できるというのは本当に幸せなものだと思います。そういう心がまた次の瞬間の幸せを創っていくものなのです。

でももし今、幸せを感じることができない人がいたとしても、必ずそれを変えることはできます。私はその道を開くことができました。私のようなものにできたのですから、その道はすべての人に必ず用意されているのです。

今日もお読みくださりありがとうございました。
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